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BRAND · CH · EST. 1833

Jaeger-LeCoultreジャガー・ルクルト

Country
CH
Founded
1833
Headquarters
スイス ヴォー州ル・サンティエ
Group
リシュモン・グループ
Founders
アントワーヌ・ルクルト
Web
www.jaeger-lecoultre.com ↗

1833年創業、ヴァレ・ド・ジューに息づく総合製造の哲学。スイス時計史の屋台骨を支え続けてきた「時計師の時計師」

01 — 概要 / OVERVIEW

1833年、スイス・ヴァレ・ド・ジューの山間でアントワーヌ・ルクルトが開いた小さな工房から、ジャガー・ルクルトの歴史は始まる。同地で初めてあらゆる工程を一つ屋根の下にまとめた「マニュファクチュール」を確立し、パテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンなど高級メゾンにもムーブメントを供給してきた歴史から、業界内では「時計師の時計師」と称される。1929年のキャリバー101、1931年のレベルソ、1928年に原型が生まれたアトモス・クロックなど、創業以来1,400を超えるキャリバーを生み出してきた。現在はリシュモン・グループ傘下にある。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

ジャガー・ルクルトの設計思想は、「マニュファクチュール」という概念に集約される。1833年の創業以来、ケース、文字盤、ムーブメント、装飾、組み立てまで、時計を構成するほぼすべての要素を一つの建屋で内製する体制を一貫して守り続けてきた。これは創業者アントワーヌ・ルクルトの代に始まり、息子エリの代にヴァレ・ド・ジューで初めて確立された、業界の中でも稀有な統合垂直生産モデルである。

機構面では、極薄キャリバーと小型化への執着が際立つ。1907年の厚さ1.38ミリのキャリバー145、1929年に発表された世界最小の機械式キャリバー101など、極限まで切り詰めた寸法のなかに精度を成立させる技術がブランドの根幹を成す。20世紀後半以降は多軸トゥールビヨンであるジャイロトゥールビヨンや、二系統のゼンマイ列で時刻と複雑機構を独立駆動するデュアル・ウィング機構など、複雑機構の領域でも独自の解を提示し続けている。

意匠面では、過剰な装飾を避け、矩形のレベルソや円形のマスター・コントロールに代表される静かなプロポーションを基調とする。ヘリテージへの忠実さと現代的な可読性の両立を重視し、形より機構の物語を優先する姿勢が一貫している。

商業面では、自社ブランドの完成品と並行して、長らくパテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンなど他社にもムーブメントを供給してきた歴史を持つ。「時計師の時計師(The Watchmaker's Watchmaker)」という業界呼称は、こうした他社への技術提供の蓄積から生まれたもので、自社ブランドの華やかさよりも基幹技術の供給者としての立場を重んじる姿勢を示している。派手な広告表現や限定戦略よりも、累計1,400を超えるキャリバーを蓄積してきた製造能力の厚みを、ブランドの根拠とする点にこのメゾンの輪郭が現れる。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. ヴァレ・ド・ジューの一介の工房から(1833-1865)

19世紀前半のヴァレ・ド・ジューは、ジュラ山脈に抱かれた狭い谷で、長く厳しい冬を持ち、住民は屋内仕事として時計部品の加工を生業としていた。1833年、若き時計師アントワーヌ・ルクルトは、ル・サンティエの自宅に小さな工房を構える。1844年には、ミクロン単位の測定を可能としたミリオノメーターを発明し、これが部品の互換性と精度を支える基盤となった。1851年のロンドン万国博覧会では、独自の歯車とピニオン製造技術によって金賞を獲得している。

2. マニュファクチュールの誕生(1866-1902)

1866年、アントワーヌは息子エリとともにルクルト&シーを設立する。これは単なる会社設立ではなく、当時分業で行われていた時計製造の全工程を一つの屋根の下に集約した「マニュファクチュール」の確立を意味した。一介の部品供給者から完成時計までを担う総合製造業者への転換は、ヴァレ・ド・ジューの産業構造そのものを書き換えるものだった。1888年にはヴォー州で最大規模の企業へと成長し、500人以上の従業員を抱える「ラ・グランド・メゾン(大いなる館)」と呼ばれるようになる。

3. パリとの邂逅、極薄への挑戦(1903-1936)

20世紀の幕開けとともに、ブランド史にもう一つの軸が加わる。1903年、フランス海軍御用達の時計師エドモン・ジャガーが、独自設計の極薄キャリバーを実現できるスイスの製造者を募った。アントワーヌの孫ジャック=ダヴィッド・ルクルトがこの挑戦を引き受け、1907年に厚さ1.38ミリの極薄ポケットウォッチ用ムーブメント、キャリバー145が完成する。1929年には、わずか1グラム、98部品からなる世界最小の機械式ムーブメント、キャリバー101が発表された。

1928年、スイス人エンジニアのジャン=レオン・ロイターが、大気圧と温度差の変化から動力を得るアトモス・クロックの原型を発明する。外部エネルギーをほとんど必要としない「ほぼ永久」の置時計は、後にルクルトが生産を担うこととなった。1930年代初頭、スイス人実業家セザール・ド・トレイがインドを訪れた際、駐留英国軍将校から「ポロ競技に耐える腕時計を作れないか」と挑まれたと伝わる。ド・トレイはジャック=ダヴィッドに相談し、フランス人デザイナーのルネ=アルフレッド・ショヴォーがケースを設計、1931年3月4日にケースが裏返る独創的な機構の特許が出願された。同年11月、「レベルソ」の名前が登録される。

4. ジャガー・ルクルト誕生から戦後の黄金期(1937-1969)

1937年11月30日、それまで両社の販売会社として機能していたスペシアリテ・オロロジェールSAが「ジャガー・ルクルト製品販売社」へと改称される。これが現在のブランド名「ジャガー・ルクルト」の公式な誕生である。両大戦の前後を通じ、メゾンは時計と並んで航空計器や車載計器の製造にも関わり、その精密機器分野の経験が後の技術的厚みを支えていく。

戦後、ジャガー・ルクルトは「黄金時代」と呼ぶにふさわしい新作群を発表する。1950年のメモボックスは、機械式アラーム機構を腕時計に内蔵した先駆的な存在だった。1953年6月2日、エリザベス2世はフランス大統領ヴァンサン・オリオールから贈られたキャリバー101のジュエリーウォッチを戴冠式の腕に着けたと伝わる。1958年には耐磁・耐衝撃のジェオフィジック、1959年に潜水用に派生したディープ・シー・アラームを発表し、1962年には水中操作可能なアラーム機構を備えたメモボックス・ポラリスが登場、1968年型がアイコンとして広く知られるようになる。ツールウォッチ路線が最も活発に展開した時期である。

5. クォーツ・ショックと機械式の復権(1970-1999)

1970年代、日本のクォーツ革命と呼応して、スイス時計産業全体が深刻な業績落ち込みに直面する。ジャガー・ルクルトは1973年に独自のクォーツムーブメントを発表するなど対応を試みたものの、廉価な電子時計との価格競争は厳しく、1978年に株式の65%がドイツのVDOオートモーティブへ譲渡された。

1980年、ギュンター・ブリュームラインが経営を引き継ぎ、IWCとともに高級機械式時計の復権を主導する。1983年にはレベルソが本格的に復活し、ブランド再生の象徴的存在となった。1992年に発表されたマスター・コントロールは、ドレスウォッチの新たな定番として現在まで続く。1991年にはA.ランゲ&ゾーネを加えてLMH(レ・マニュファクチュール・オロロジェール)が組成され、ヴァレ・ド・ジューのメゾンは「機械式の砦」として再構築されていった。

6. リシュモン傘下と21世紀の歩み(2000-現在)

2000年、リシュモン・グループがLMHを完全買収する。研究開発の自由度は維持され、2003年にはハイブリス・メカニカ、2004年には多軸トゥールビヨンのジャイロトゥールビヨン、2007年にはデュアル・ウィング機構を備えたデュオメトルなど、超複雑機構の開発が相次いだ。2018年、メモボックス・ポラリスを系譜とするポラリス・コレクションが現代的なスポーツラインとして独立する。

2018年から2024年までキャサリン・レニエがCEOを務め、2025年1月、かつて2002年から2013年まで同職にあったジェローム・ランベールがCEOに復帰した。2026年には新たな複雑機構ライン「ハイブリス・インヴェンティヴァ」が発足し、三軸ジャイロトゥールビヨンを搭載する「マスター・ハイブリス・インヴェンティヴァ・ジャイロトゥールビヨン・ア・ストラトスフェール」が発表されている。

04 — History

歴史

A factual chronology

ジャガー・ルクルトの歩みは、1833年にスイス・ヴォー州ヴァレ・ド・ジューのル・サンティエで、アントワーヌ・ルクルト(1803-1881)が小さな工房を構えたことに始まる。1844年、ミクロン単位の測定を可能とした計測器ミリオノメーターを発明し、1847年にはキーを使わずに巻き上げと時刻調整を行う機構を考案する。1851年、ロンドンで開催された万国博覧会では、独自の歯車・ピニオン製造技術が金賞を獲得した。

1866年、アントワーヌは息子エリ・ルクルト(1842-1917)とともに ルクルト&シー (LeCoultre & Cie)を設立し、当時分業制が一般的だったヴァレ・ド・ジューで初めて、すべての製造工程を一つの工房に集約した。1888年にはヴォー州最大の時計会社となり、「ラ・グランド・メゾン」と呼ばれるようになる。

1903年、フランス海軍御用達の時計師エドモン・ジャガー(1858-1922)が、独自設計の極薄キャリバーを製造できるスイス側の協力者を募り、ジャック=ダヴィッド・ルクルト(1875-1948)がこれに応じた。1907年、厚さ1.38ミリのキャリバー145が完成する。1928年にはエンジニアのジャン=レオン・ロイターがアトモス・クロックの原型を発明し、後にルクルトが生産を担うこととなる。1929年にはキャリバー101を発表、1931年3月4日にはレベルソのケース機構が特許出願された。

1937年11月30日、販売会社スペシアリテ・オロロジェールSAが「ジャガー・ルクルト製品販売社」に改称され、現在のブランド名が公式に確立される。1950年にメモボックス、1958年にジェオフィジック、1962年にメモボックス・ポラリスが発表され、戦後の黄金期を代表する作群となった。

1970年代のクォーツ・ショックは大きな試練となり、1978年にはドイツのVDOオートモーティブに株式の65%が譲渡される。1980年からはギュンター・ブリュームラインが経営を主導し、1983年にレベルソを本格復活、1992年にマスター・コントロール、2003年にハイブリス・メカニカ、2004年にジャイロトゥールビヨン、2007年にデュオメトルを発表していった。

経営体制は、1986年にVDOがIWCとジャガー・ルクルトをLMH(レ・マニュファクチュール・オロロジェール)として統合し、1991年にA.ランゲ&ゾーネを加えた。2000年にリシュモン・グループがLMHを完全買収して現在に至る。2018年にキャサリン・レニエがCEOに就任し、2025年1月、ジェローム・ランベールがCEOに復帰した。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

現在のジャガー・ルクルトは、複数のコレクションを軸に編成されている。

レベルソは、1931年にポロ競技用として誕生したブランドの代名詞。ケースを裏返してダイヤルを保護する独自の機構と矩形のアール・デコ意匠は、発表以来基本構造を保ったまま現代へ受け継がれている。ソロ・タイム表示のクラシック、両面ダイヤルのデュオフェイス、複雑機構を備えるトリビュート、そしてレディース寄りのワンなど派生は幅広い。

マスター・コントロールは1992年に登場した、円形ドレスウォッチの現代的定番。1950年代のヴィンテージ・ジャガー・ルクルトの意匠を起点とし、クロノグラフ、カレンダー、ジオグラフィックなど用途別の派生を持つ。マスター・ウルトラ・シンは、1907年のキャリバー145を起点とする極薄系譜の現代解で、薄型ムーブメントの伝統を継承する。

ポラリスは、1962年のメモボックス・ポラリスを系譜とする現代のスポーツライン。2018年に独立コレクション化された。クロノグラフ、GMT、ジオグラフィックなど機能派生を備える。

デュオメトルは、二つのゼンマイ列で時刻と複雑機構を独立駆動する「デュアル・ウィング」概念に基づく高度な機構ライン。マスター・グラン・トラディションおよび2026年に発足したハイブリス・インヴェンティヴァは、ジャイロトゥールビヨンやミニッツ・リピーターなど高複雑機構の実験的領域を担う。

腕時計と並ぶ重要な系譜として、1928年に原型が誕生した置時計アトモスがある。大気圧と温度差で巻き上がる「ほぼ永久」の機構を備え、スイス連邦が国家贈呈品として用いてきた来歴を持つ。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Calibers

主要キャリバー

Movements of the house
キャリバー一覧 →
08 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

ジャガー・ルクルトと文化との接点としてまず挙げられるのが、レベルソとポロ競技の関わりである。1930年、英領インドの駐留英国軍将校たちの間で人気を博していたポロ競技は、スイスの実業家セザール・ド・トレイにとって「衝撃に耐える腕時計」開発の発想源となった。生まれた裏返るケースは、1931年の誕生以来、ブランドのアイコンとして変わらぬ位置を占めている。

英国王室との縁も深い。1953年6月2日、エリザベス2世はその戴冠式で、フランス大統領ヴァンサン・オリオールから贈られたキャリバー101のジュエリーウォッチを身につけていたと伝わる。2012年のダイヤモンド・ジュビリーには、当時のジェローム・ランベールCEOから新たな101が献呈されている。

近年は俳優や音楽家を起用したアンバサダー戦略を採り、レニー・クラヴィッツやアーニャ・テイラー=ジョイなどが知られる。