物語
01ヴァレ・ド・ジューの一介の工房から(1833-1865)
19世紀前半のヴァレ・ド・ジューは、ジュラ山脈に抱かれた狭い谷で、長く厳しい冬を持ち、住民は屋内仕事として時計部品の加工を生業としていた。1833年、若き時計師アントワーヌ・ルクルトは、ル・サンティエの自宅に小さな工房を構える。1844年には、ミクロン単位の測定を可能としたミリオノメーターを発明し、これが部品の互換性と精度を支える基盤となった。1851年のロンドン万国博覧会では、独自の歯車とピニオン製造技術によって金賞を獲得している。
02マニュファクチュールの誕生(1866-1902)
1866年、アントワーヌは息子エリとともにルクルト&シーを設立する。これは単なる会社設立ではなく、当時分業で行われていた時計製造の全工程を一つの屋根の下に集約した「マニュファクチュール」の確立を意味した。一介の部品供給者から完成時計までを担う総合製造業者への転換は、ヴァレ・ド・ジューの産業構造そのものを書き換えるものだった。1888年にはヴォー州で最大規模の企業へと成長し、500人以上の従業員を抱える「ラ・グランド・メゾン(大いなる館)」と呼ばれるようになる。
03パリとの邂逅、極薄への挑戦(1903-1936)
20世紀の幕開けとともに、ブランド史にもう一つの軸が加わる。1903年、フランス海軍御用達の時計師エドモン・ジャガーが、独自設計の極薄キャリバーを実現できるスイスの製造者を募った。アントワーヌの孫ジャック=ダヴィッド・ルクルトがこの挑戦を引き受け、1907年に厚さ1.38ミリの極薄ポケットウォッチ用ムーブメント、キャリバー145が完成する。1929年には、わずか1グラム、98部品からなる世界最小の機械式ムーブメント、キャリバー101が発表された。
1928年、スイス人エンジニアのジャン=レオン・ロイターが、大気圧と温度差の変化から動力を得るアトモス・クロックの原型を発明する。外部エネルギーをほとんど必要としない「ほぼ永久」の置時計は、後にルクルトが生産を担うこととなった。1930年代初頭、スイス人実業家セザール・ド・トレイがインドを訪れた際、駐留英国軍将校から「ポロ競技に耐える腕時計を作れないか」と挑まれたと伝わる。ド・トレイはジャック=ダヴィッドに相談し、フランス人デザイナーのルネ=アルフレッド・ショヴォーがケースを設計、1931年3月4日にケースが裏返る独創的な機構の特許が出願された。同年11月、「レベルソ」の名前が登録される。
04ジャガー・ルクルト誕生から戦後の黄金期(1937-1969)
1937年11月30日、それまで両社の販売会社として機能していたスペシアリテ・オルロジェールSAが「ジャガー・ルクルト製品販売社」へと改称される。これが現在のブランド名「ジャガー・ルクルト」の公式な誕生である。両大戦の前後を通じ、メゾンは時計と並んで航空計器や車載計器の製造にも関わり、その精密機器分野の経験が後の技術的厚みを支えていく。
戦後、ジャガー・ルクルトは「黄金時代」と呼ぶにふさわしい新作群を発表する。1950年のメモボックスは、機械式アラーム機構を腕時計に内蔵した先駆的な存在だった。1953年6月2日、エリザベス2世はフランス大統領ヴァンサン・オリオールから贈られたキャリバー101のジュエリーウォッチを戴冠式の腕に着けたと伝わる。1958年には耐磁・耐衝撃のジェオフィジック、1959年に潜水用に派生したディープ・シー・アラームを発表し、1962年には水中操作可能なアラーム機構を備えたメモボックス・ポラリスが登場、1968年型がアイコンとして広く知られるようになる。ツールウォッチ路線が最も活発に展開した時期である。
05クォーツ・ショックと機械式の復権(1970-1999)
1970年代、日本のクォーツ革命と呼応して、スイス時計産業全体が深刻な業績落ち込みに直面する。ジャガー・ルクルトは1973年に独自のクォーツムーブメントを発表するなど対応を試みたものの、廉価な電子時計との価格競争は厳しく、1978年に株式の65%がドイツのVDOオートモーティブへ譲渡された。
1980年、ギュンター・ブリュムラインが経営を引き継ぎ、IWCとともに高級機械式時計の復権を主導する。1983年にはレベルソが本格的に復活し、ブランド再生の象徴的存在となった。1992年に発表されたマスター・コントロールは、ドレスウォッチの新たな定番として現在まで続く。1991年にはA.ランゲ&ゾーネを加えてLMH(レ・マニュファクチュール・オルロジェール)が組成され、ヴァレ・ド・ジューのメゾンは「機械式の砦」として再構築されていった。
06リシュモン傘下と21世紀の歩み(2000-現在)
2000年、リシュモン・グループがLMHを完全買収する。研究開発の自由度は維持され、2003年にはハイブリス・メカニカ、2004年には多軸トゥールビヨンのジャイロトゥールビヨン、2007年にはデュアル・ウィング機構を備えたデュオメトルなど、超複雑機構の開発が相次いだ。2018年、メモボックス・ポラリスを系譜とするポラリス・コレクションが現代的なスポーツラインとして独立する。
2018年から2024年までキャサリン・レニエがCEOを務め、2025年1月、かつて2002年から2013年まで同職にあったジェローム・ランベールがCEOに復帰した。2026年には新たな複雑機構ライン「ハイブリス・インヴェンティヴァ」が発足し、三軸ジャイロトゥールビヨンを搭載する「マスター・ハイブリス・インヴェンティヴァ・ジャイロトゥールビヨン・ア・ストラトスフェール」が発表されている。