Longinesロンジン
スイス・サン・ティミエに1832年から続く老舗。翼の砂時計を商標に、航空計時と馬術計時の伝統を190年余にわたって担い続けてきた
ロンジンは1832年、スイス・ジュラ山脈の谷あいに位置するサン・ティミエに創業した時計ブランドである。1889年に登録された「翼の砂時計」は、姿を変えずに使われ続けている商標としてはWIPO登録のなかで最古とされる。航空黎明期にはリンドバーグやバードらの飛行を計時し、馬術と障害飛越の世界では1912年以来、公式計時の役を担ってきた。1983年からスウォッチ・グループの傘下にあり、グループ内では精度と優雅を備えた、手の届くスイス時計の代表格として位置づけられている。
設計思想
ロンジンは「伝統」「優雅」「性能」の三つを自社の柱として掲げてきた。もっとも、ブランドの輪郭がはっきりするのは、何を作らないかを見たときである。ロンジンはトゥールビヨンやミニッツリピーターといった最複雑機構には踏み込まず、希少性を競う高級時計の頂点を狙う道は選んでこなかった。代わりに、信頼できる機械式ムーブメントを量産規模の品質管理のもとで仕上げ、ふつうの勤め人でも手が届くスイス時計の価格帯にとどまり続けている。
意匠面では、細身のケース、抑制された秒針、読みやすい時字といったドレスウォッチの基本文法が一貫している。ブランドが繰り返し用いる「Elegance is an attitude」という言葉は、製品の見た目だけでなく、過剰な装飾と希少性アピールを避ける姿勢を指していると読める。
機構面の重心は、長く精度に置かれてきた。1908年のヌーシャテル天文台クロノメーター競技での首位獲得、1961年のキャリバー360による腕時計部門1・2位独占、現代のシリコン製ヒゲゼンマイを用いたクロノメーター認定モデルに至るまで、計時精度への投資は途切れずに見える。スポーツ計時の現場で磨かれた技術が腕時計の品質要件を裏打ちし、腕時計の評価が計時機材の信頼を支える、という循環がロンジンの内部構造を形作っている。
結果としてロンジンが選び取ったのは「希少な工芸」ではなく「広く行き渡るスイス時計の標準」という立ち位置である。同じスウォッチ・グループ内でオメガが宇宙と海の極限を象徴し、ブレゲやブランパンが伝統技巧を担うなかで、ロンジンは日常使いの優雅と、航空・馬術の歴史を引き受ける役回りを長く続けている。
物語
1. 谷あいの工房から工場へ
ロンジンの物語は1832年、スイス・ジュラ山脈のサン・ティミエの小さな時計工房に始まる。創業者オーギュスト・アガシ(1809–1877)は、地元時計商ライゲルの工房に共同経営者として加わり、やがて「アガシ&Co.」の経営を引き継いだ。当時のジュラ地方では、職人が自宅で部品を作り、それを商人が組み立てて販売する「エタブリサージュ」と呼ばれる分業形態が一般的だった。アガシは早くからアメリカ市場との取引を確立し、雪深い谷で作られた時計が大西洋を越えて売られていく流通網を整える。
転機は1852年頃、アガシの甥エルネスト・フランシヨン(1834–1900)が工房に加わったときに訪れる。フランシヨンは技師ジャック・ダヴィッドとともにアメリカの機械化生産を調査し、すべての工程を一つの屋根の下にまとめる「マニュファクチュール」への転換を進めた。1866年、彼はサン・ティミエを流れるシューズ川右岸の「レ・ロンジンヌ(長い草地)」と呼ばれる土地を取得し、翌1867年に新工場を竣工する。工場名はそのままブランド名となり、谷あいの草原の呼び名が世界の時計史に刻まれることになった。
2. 馬術と精度の時代
1878年、ロンジンは初の自社製クロノグラフムーブメントを完成させ、騎手と馬を彫ったケースに収めた。この懐中時計はアメリカの競馬場で標準的な計時道具となり、ブランドと馬術スポーツとの長い関係の端緒となる。本拠サン・ティミエは、スイス唯一の在来種であるフランシュ・モンターニュ馬の原産地でもあり、この巡り合わせは偶然と呼ぶには出来すぎている。
1889年、現在も使われ続ける「翼の砂時計」の商標が登録された。1908年のヌーシャテル天文台クロノメーター精度競技での首位獲得、1910年の10分の1秒精度を計測できる高振動スポーツ計時器の開発、1912年のバーゼル体操連邦祭での電気機械式タイミング実用化と、計時精度の領域で実績が重ねられていく。同じ1912年、リスボンで開催された障害飛越競技の公式時計を担当し、馬術スポーツとの本格的な関係が始まる。1913年には世界初の腕時計用クロノグラフムーブメントとされる13.33Zが完成した。
3. 黄金期の航空と冒険
1919年に国際航空連盟(FAI)の公式サプライヤーに指名されると、ロンジンは1920年代から30年代の航空黄金期の証言者となる。1927年5月、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク=パリ間の単独無着陸飛行を成し遂げたとき、その33時間あまりの飛行時間を計時したのはFAIの委託を受けたロンジンであった。米南極遠征の指揮を執ったリチャード・E・バード少将や、1932年に女性として初めて単独大西洋を横断したアメリア・イアハートも、米国総代理店ロンジン=ヴィットナウアー経由でロンジンの計時器を伴っていたと記録されている。
リンドバーグは自らの航法経験からアワーアングル・ウォッチを発案し、ロンジンが1931年にキャリバー18.69Nを搭載した直径47.5mmの大型時計として製品化した。回転ベゼルと内側の時角ディスクで、太陽の時角から経度を素早く割り出せるよう設計された、文字どおりの「計算する腕時計」である。同時期にはフライバック機構を備えたクロノグラフ13ZNが登場し(1935年特許出願、1936年登録)、戦間期の腕時計クロノグラフ史における到達点の一つに数えられる。
4. 天文台コンクールと高振動
1959年、ロンジンは天文台コンクール専用設計の高振動キャリバー360を完成させる。矩形断面のムーブメントに大型香箱と幅広いヒゲゼンマイを収め、毎時36,000振動(5Hz)で動作するこの機械は、1961年のヌーシャテル天文台腕時計部門で1位と2位を独占した。その技術の延長線上に、1968年には世界初の高振動ダイバーズウォッチ「ウルトラ・クロン」が登場する。「一カ月に1分の精度」を謳う、機械式時計が電子化の波に対して提示できる最後期の答えのひとつだった。
5. クォーツ危機と再編
1969年に試作機ウルトラ・クォーツを発表したロンジンは、1970年代を通じてクォーツムーブメント比率を急速に高め、1980年には自社全生産の57.3%、1984年には9割超がクォーツとなった。だが価格競争はスイス時計業界全体を圧迫し、ロンジンの親会社ASUAGも経営の落ち込みを免れなかった。1983年、ASUAGはオメガを擁するSSIHと合併してASUAG-SSIH(1985年にSMHへ改称、後のスウォッチ・グループ)を発足させる。ロンジンはこのとき大手グループの一翼となり、グループ内でアクセシブルなラグジュアリーの位置を占める道を歩み始めた。
6. アーカイブの再生と現在
21世紀のロンジンは、自社の歴史をプロダクトとして語り直す方向に舵を切った。2005年に登場したマスター・コレクションは、ムーンフェイズや年次カレンダーといった穏当な複雑機構を備えた中核ドレスラインとして定着し、2007年にはダイバーのハイドロコンクエストが加わる。2013年には国際馬術連盟(FEI)と長期パートナーシップを締結し、馬術競技の公式計時という肩書を確かなものにした。
2020年に就任したマティアス・ブレシャンの時代には、レジェンドダイバー、ウルトラ・クロン、コンクエスト・ヘリテージ、パイロット・マジェテックなど、アーカイブから掘り起こされたモデルが連続的に投入された。2020年のスピリット・コレクション始動、2022年のスピリット・ズールータイム、2023年のコンクエスト刷新を経て、2025年にはデュアルタイム腕時計100周年を記念するスピリット・ズールータイム1925が発表される。同年6月、ブレシャンは個人的事情によりCEOを退き、中東・アジア地域責任者を務めてきたパトリック・アウンが新CEOに就任した。工場はいまもサン・ティミエにあり、年間およそ150万本の時計を作り続けているとされる。
歴史
ロンジンの歴史は1832年、スイス・ジュラ山脈の麓に位置するサン・ティミエに始まる。オーギュスト・アガシ(1809–1877)が地元時計商ライゲルの工房に共同経営者として加わったのが起点である。1852年頃、甥のエルネスト・フランシヨン(1834–1900)が経営に加わると、彼は分業生産から工場制への転換を進め、1867年にシューズ川右岸の「レ・ロンジンヌ(長い草地)」と呼ばれる土地に新工場を構えた。ブランド名はこの土地に由来する。
1878年に初の自社クロノグラフムーブメントが完成し、1889年には現在も使われる「翼の砂時計」の商標が登録された。1908年のヌーシャテル天文台クロノメーター競技での首位獲得、1910年の10分の1秒精度計時器の開発、1912年のバーゼル体操連邦祭での電気機械式タイミング実用化が続き、計時精度の領域で実績が重ねられていく。同じ1912年にはリスボンの障害飛越競技で公式時計を担当し、馬術スポーツとの長期的関係が始まる。1913年には世界初の腕時計用クロノグラフムーブメントとされる13.33Zを完成させた。
1919年に国際航空連盟の公式サプライヤーとなり、1927年のリンドバーグによる大西洋無着陸横断飛行の公式計時を担当する。1931年にリンドバーグ・アワーアングル・ウォッチを発表、1935年特許出願のフライバック・クロノグラフ13ZNが1936年に登録された。第二次大戦中は各国向けの航空計器・軍用時計を供給する。
戦後の1954年にはコンクエストが発表され、社内初の商標保護を受けたコレクションとなった。1959年に天文台コンクール用の高振動キャリバー360を完成、1961年のヌーシャテル天文台腕時計部門で1位と2位を独占する。1968年に世界初の高振動ダイバーズ「ウルトラ・クロン」、1969年にクォーツ試作機「ウルトラ・クォーツ」を発表した。
1983年、親会社ASUAGがSSIHと合併してASUAG-SSIH(1985年にSMHへ改称、現スウォッチ・グループ)が発足し、ロンジンはこのグループの傘下に入る。21世紀には2005年のマスター・コレクション、2007年のハイドロコンクエスト、2013年の国際馬術連盟(FEI)との長期パートナーシップ、2020年のスピリット・コレクション、2022年のスピリット・ズールータイム、2023年のコンクエスト刷新と続いた。2018年には創業以来累計5,000万本目の生産に到達したとされる。2025年6月、5年間CEOを務めたマティアス・ブレシャンが退任し、後任にパトリック・アウンが就いた。本社は現在もサン・ティミエにあり、年間約150万本を生産している。
シリーズ概観
現行ラインナップは、ドレス、スポーツ、ダイバー、パイロット、リバイバルがそれぞれ重ならない領域を担っている。
マスター・コレクションは2005年に始まったブランドの中核ドレスラインで、自動巻キャリバーL888やクロノグラフ用L688を備え、ムーンフェイズや年次カレンダーといった穏当な複雑機構を扱う。コンクエストは1954年に登場した、社内初の商標保護を受けたシリーズで、2023年に大幅刷新され、現代的なスポーツ・エレガンスの中核を担う。派生としてダイバー仕様のハイドロコンクエスト、そのGMTモデルが展開する。
スピリット・コレクションは2020年に始動したパイロット系の現代ラインである。リンドバーグ、バード、イアハートら20世紀の冒険者たちが用いたとされるロンジン時計の意匠要素を抽象化し、シリコン製ヒゲゼンマイを備えたCOSCクロノメーターとして仕立てている。GMTのズールータイム、フライバック・クロノグラフ、パイロット・サブコレクションへと拡張が進む。
ヘリテージは自社アーカイブからの復刻群の総称であり、レジェンドダイバー、ウルトラ・クロン、パイロット・マジェテック、コンクエスト・ヘリテージ、フラッグシップ・ヘリテージ、アヴィエーション、ヘリテージ・クラシックといったモデルが順次投入されている。1959年の高振動研究に連なるウルトラ・クロンの復刻は、技術的アーカイブの再生として位置づけられる。
エレガンスの系統には、長方形ケースのドルチェヴィータ、女性向けのプリマルナ、薄型ドレスのラ・グランド・クラシック、エヴィデンツァなどが含まれ、男女双方の装い用ピースを幅広く揃えている。
代表シリーズ
主要キャリバー
文化との接点
ロンジンの文化的接点は、まず空にある。1927年のリンドバーグによる大西洋無着陸横断、1929年のリチャード・E・バード少将による南極横断飛行、1932年のアメリア・イアハートによる女性初の単独大西洋横断は、いずれもロンジンの計時器とともに記録に残った。ハワード・ヒューズ、ワイリー・ポスト、ハロルド・ガティといった航法史の主役たちも、米国総代理店ロンジン=ヴィットナウアーを介してロンジン時計を所有していたと伝わる。
地上では馬がブランドの相棒であった。本拠サン・ティミエは、スイス唯一の在来種であるフランシュ・モンターニュ馬の原産地である。1912年のリスボン障害飛越競技以降、ロンジンは馬術の公式計時として歴史を重ね、2013年からは国際馬術連盟(FEI)の公式時計とパートナーを務めている。ケンタッキーダービー、ロイヤル・アスコット、プリ・ド・ディアンといった主要レースで公式タイムキーパーやスポンサーを担い、優勝騎手や調教師にロンジンのドレスウォッチが贈られる慣習が続いている。