FP JourneF.P. ジュルヌ
標語『Invenit et Fecit』を掲げ、18Kローズゴールドのムーブメントを年1,000本未満で送り出すジュネーブの独立マニュファクチュール
F.P. Journe(エフ・ピー・ジュルヌ)は1999年、フランス出身の時計師フランソワ=ポール・ジュルヌがスイス・ジュネーブに設立した独立系マニュファクチュールである。標語「Invenit et Fecit(発明し、製作した)」が示すとおり、設計から組立まで自社で完結させる体制を貫いており、年産は約900〜1,000本にとどまる。トゥールビヨン・スヴラン、クロノメトル・ア・レゾナンスをはじめとする一連の作品で、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)のエギーユ・ドール(金の針賞)を史上唯一三度受賞している。
設計思想
機構の哲学:伝統機構の現代的再構築
ジュルヌの設計思想の核心は、18世紀から19世紀の時計史を深く学び直し、その精華を腕時計という制約の厳しい器に翻訳することにある。ブレゲ、ジャンヴィエ、デタント脱進機、レモントワール・デガリテ(等時性のための定力機構)、共鳴現象——これらの古典的命題に、現代の素材と工作精度をもって再挑戦する姿勢が一貫している。創業作「トゥールビヨン・スヴラン」が、世界で初めてトゥールビヨンと一秒レモントワール・デガリテを組み合わせた腕時計として登場した経緯は、この姿勢を象徴する。
意匠の哲学:可視化されたメカニズム
文字盤の偏心配置、ムーブメント側ではなく時刻表示そのものを設計の中心に据える発想は、ジュルヌの揺るぎない作法である。ローズゴールド製の地板や受けは、2004年以降の自社規格として固定化された。「ムーブメントを18Kローズゴールドで構成する世界で唯一のブランド」と本人が語るとおり、材料選択そのものを意匠言語に変えている。文字盤も自社工房で製作され、機構と表情を一気通貫で統御する。
商業の哲学:規模を選ばないという選択
年産1,000本未満という枠を超えない判断は、業績拡大よりも品質の上限を優先する姿勢の表れである。2018年にシャネルが少数株式の出資を行った際にも、独立性と意思決定の自由が維持される枠組みが確認された。流通もまた直営ブティックと一部の正規取扱店に限定される。捨てられたのは量産であり、選ばれたのは小規模ゆえに可能な技術的冒険である。
物語
1. マルセイユからパリへ、修復家としての修業
フランソワ=ポール・ジュルヌは1957年、フランス南部マルセイユに生まれた。手先を動かすことに早くから関心を示し、14歳でマルセイユの時計学校に入学する。1976年、パリ時計学校を卒業すると、パリで懐中時計修復家として知られた叔父ミシェル・ジュルヌの工房に入った。ここで彼が手掛けたのは、ブレゲ、アンティード・ジャンヴィエ、サー・セシル・クラットン旧蔵などの歴史的な懐中時計の修復であった。とりわけ、共鳴現象を用いたブレゲのNo.3177時計に触れた経験は、のちの「レゾナンス」発想の遠い源泉になったと伝わる。
工房の本棚にあったジョージ・ダニエルズの著作『The Art of Breguet』を手にしたとき、若きジュルヌは決意する。修復ではなく、自分自身で時計を作る——その帰結が、1983年1月、25歳のときに完成した自作の懐中時計であった。トゥールビヨンとデタント脱進機を組み込んだその一作は、時計学校が修復技術中心の教育に偏っていた当時の常識からすれば、異例の達成であった。
2. 独立への助走と「スースクリプション」方式
1980年代、ジュルヌは収集家や歴史的時計のオーナーから個別の修復・特注を引き受ける。アスプレイやカルティエなどへの仕事もこなしながら、私的に腕時計のプロトタイプを進めていた。1991年、彼はトゥールビヨンと一秒レモントワール・デガリテを統合した最初の腕時計を完成させる。資金は乏しく、ブランド設立の見通しは立たなかった。
転機は友人カミーユ・ベルテの提案であった。20名の信頼できる顧客から、まだ存在しない時計に対して半額の前金を募る「スースクリプション(購読)」方式である。1999年、こうして20本のプラチナ製「トゥールビヨン・スヴラン・スースクリプション」が誕生し、これがF.P. ジュルヌ・マニュファクチュール設立の元手となった。同年のバーゼルワールドでブランドが正式に発足する。
3. ジュネーブにマニュファクチュールを構える
1999年から2000年代初頭にかけて、ジュルヌは矢継ぎ早に基幹作を発表する。2000年「クロノメトル・ア・レゾナンス」、2001年「オクタ・レゼルヴ・ド・マルシュ」(120時間パワーリザーブの自社初の自動巻き)。2003年9月には、安藤忠雄設計の「ラ・コレッツィオーネ」内に世界初の直営ブティックを東京・南青山に開設した。当時はブランド側が小売店任せの流通を強める潮流のなかにあり、自前で直営店を構える判断は逆風を承知のものであった。
2004年、ジュルヌはそれまでロジウムめっき真鍮で作っていたムーブメント全機種を18Kローズゴールド製に切り替える。同年、デッドビート秒針を備えた「トゥールビヨン・スヴラン・ア・スゴンド・モルト」がGPHGのエギーユ・ドール(金の針賞)を受賞。続く2006年「ソヌリ・スヴラン」、2008年「センティグラフ・スヴラン」と、三度の頂点受賞を史上唯一達成することになる。
4. 領域の拡張と独立性の維持
2011年、軽量素材を主題とした「ラインスポーツ」コレクションを発表。2014年には電池駆動でありながら不装着時にムーブメントが自動停止し、装着で再起動する独自機構を備えた「エレガンテ」を投入し、機械式に閉じない表現の幅を示した。2015年、香港のラグジュアリーリテーラーThe Hour Glassと共同で「ヤング・タレント・コンペティション」を創設。若い時計師に賞金CHF50,000と表彰の場を毎年提供し、独立時計界の世代継承を支える仕組みとした。
2018年、シャネルがモントレ・ジュルヌSAに20%の少数株式出資を行う。シャネルはこれに先立ちベル&ロス(1998年)、ロマン・ゴーティエ(2011年)にも出資しており、ジュルヌ側は経営の独立性と意思決定の自由が維持される旨を明らかにしている。
5. 現在——希少性のなかで進む実験
2020年に「クロノメトル・ア・レゾナンス」がキャリバー1520へ刷新され、単一香箱と差動装置、毎秒レモントワール・デガリテ二基という新構造を得た。2023年、東京ブティック開設20周年を記念した「クロノグラフFB」200本を発表し、これを最後の限定シリーズと位置づけている。2025年には42mm径の一体型ブレスレット仕様、グランフー・エナメル文字盤を備えた「クロノメトル・フルティフ」が常設コレクションに加わった。年産1,000本以下の自己拘束は、四半世紀を経ても変わっていない。
歴史
フランソワ=ポール・ジュルヌは1957年、フランス・マルセイユに生まれた。14歳で時計学校に入り、1976年にパリ時計学校を卒業。卒業後はパリで時計修復家を営む叔父ミシェル・ジュルヌの工房に入り、ブレゲ、ジャンヴィエ、サー・セシル・クラットン旧蔵などの歴史的懐中時計の修復に携わる。1983年1月、25歳でトゥールビヨンとデタント脱進機を組み込んだ自作の懐中時計を完成させた。1991年にはトゥールビヨンと一秒レモントワール・デガリテを統合した最初の腕時計を制作する。
1999年、スイス・ジュネーブに自身のマニュファクチュール「モントレ・ジュルヌSA」を設立。同年のバーゼルワールドでブランドを発足させ、20本限定のプラチナ製「トゥールビヨン・スヴラン・スースクリプション」を発売した。2000年には「クロノメトル・ア・レゾナンス」、2001年には初の自社自動巻きキャリバー「オクタ」(120時間パワーリザーブ)を発表する。
2003年9月、安藤忠雄設計の建築「ラ・コレッツィオーネ」内に世界初の直営ブティックを東京・南青山に開設。これを起点に直営店網が国際的に広がり、2006年香港、2007年ジュネーブ、2009年パリと続いた。2004年、それまでロジウムめっき真鍮で作られていたムーブメント全機種を18Kローズゴールド製に切り替える。1999年から2003年までの真鍮ムーブメント期は、後に「ブラス・ピリオド」と呼ばれるようになる。
2004年、トゥールビヨン・スヴラン・ア・スゴンド・モルトがジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)のエギーユ・ドール(金の針賞)を獲得。2005年に「クロノメトル・スヴラン」が同賞メンズ部門を、2006年「ソヌリ・スヴラン」が二度目のエギーユ・ドール、2008年「センティグラフ・スヴラン」が三度目のエギーユ・ドールを受賞した。同賞を三度受けたのは現時点で同社のみとされる。
2006年頃よりプラチナケースと黒文字盤の直営店専用「ブラック・レーベル・コレクション」を展開。2009年「クロノメトル・ブルー」、2011年「ラインスポーツ」、2014年クオーツ駆動の「エレガンテ」と発表が続いた。2015年、The Hour Glassと共同で「ヤング・タレント・コンペティション」を開始する。2018年にはシャネルがモントレ・ジュルヌSAの株式約20%を取得した。
2020年に「クロノメトル・ア・レゾナンス」がキャリバー1520へ全面刷新。2023年、東京ブティック開設20周年を記念した「クロノグラフFB」200本限定を発表し、これを最後の限定シリーズと位置づけた。2025年には一体型ブレスレットを備えた時刻表示専用のスポーツモデル「クロノメトル・フルティフ」が常設コレクションに加わっている。年産は約900〜1,000本にとどまる。
シリーズ概観
F.P. ジュルヌの作品群は、性格の異なる四つのコレクションに整理される。
クラシック・コレクションは同社の中核であり、伝統的な腕時計の形式を継承する。1999年の初作「トゥールビヨン・スヴラン」を起点に、共鳴現象を用いた「クロノメトル・ア・レゾナンス」、薄型ローター付き自動巻きの「オクタ」シリーズ(レゼルヴ・ド・マルシュ、ルュヌ、カランドリエ、ペルペチュエル等)、純粋な時刻表示にレモントワール・デガリテを与えた「クロノメトル・スヴラン」、1/100秒計測の「センティグラフ・スヴラン」、グランド・ソヌリと作動安全機構を両立した「ソヌリ・スヴラン」などが連なる。タンタル製ケースと深い青文字盤で知られる「クロノメトル・ブルー」、フランシス・フォード・コッポラ監修による指で時を示す「FFC」もこの系列に属する。
ラインスポーツ・コレクションは、2011年に発表された軽量・実用志向のスポーツ系列である。アルミニウム合金やチタンを多用し、初作「センティグラフ・スポーツ」を皮切りに、「オクタ・スポーツ」、スプリットセコンドの「クロノグラフ・ラトラパント」と展開した。2025年には一体型ブレスレットの時刻表示専用機「クロノメトル・フルティフ」が加わっている。
エレガンテ・コレクションは2014年発表のクオーツ系列。トルチュ型のチタンケースに、不使用時にムーブメントが自動停止し装着で再起動する独自機構(キャリバー1210)を搭載する。機械式に閉じないジュルヌの設計言語を象徴する。
ブティック・エディションは直営ブティック専用シリーズで、白蝶貝文字盤の「ナクレ・コレクション」(2012年〜)などを含む。これに連なる「ブラック・レーベル・コレクション」(2006〜2021年頃)は、プラチナケースと黒文字盤を組み合わせた既存顧客限定の上位枠であった。
代表シリーズ
主要キャリバー
文化との接点
ジュルヌの作品は、文化的影響力のある顧客との関係から特異な作品を生み出してきた。最も知られるのは映画監督フランシス・フォード・コッポラとの協働である。妻エレノアからの贈り物であった「クロノメトル・ア・レゾナンス」を契機に2012年に初対面し、コッポラの「指で時刻を示せないか」という発想から、16世紀の外科医アンブロワーズ・パレの義手「ル・プティ・ロラン」に着想を得た「FFC」が2021年に試作完成。2023年に小シリーズ生産品が発表された。
また2008年発表の1/100秒クロノグラフ「センティグラフ・スヴラン」は、F1元総裁ジャン・トッドとの対話から構想された。同モデルの売上の30%は、トッドらが立ち上げたパリ脳研究所(現Institut du Cerveau)に寄贈されている。
2015年からはThe Hour Glassと共同で「ヤング・タレント・コンペティション」を毎年開催。次世代の独立時計師に賞金CHF50,000とフィリップ・デュフォーら審査員による評価の場を提供しており、ジュルヌ自身が独立時計文化の継承者として位置づけられる根拠ともなっている。