物語
01フィレンツェの時計学校
1860年、ジョヴァンニ・パネライは、アルノ川に架かるポンテ・アッレ・グラツィエの袂に小さな時計店を開いた。ここはフィレンツェにおける最初の時計学校でもあり、商いと教育を兼ねた拠点として機能した。店舗は20世紀初頭にピアッツァ・サン・ジョバンニ——ドゥオモの真向かい——へ移り、「オロロジェリア・スヴィッツェラ(スイス時計店)」の看板を掲げる。ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタン、パテック フィリップなどスイス主要ブランドの正規販売店として、パネライ家は「スイス精密」と「フィレンツェ職人」を結ぶ稀有な位置を占めていた。
02王立海軍との結縁
20世紀初頭、創業者の孫にあたるグイド・パネライが家業を継承する。彼の主導により、同社は時計小売から海軍向け精密計器の製造へと軸足を移した。爆雷信管、潜水艇用コンパス、深度計、ガンサイト——いずれも光と機械の精度を要する装備である。決定的な転機は、1916年3月23日にフランスで出願されたラジウム系発光塗料の特許であった。海軍中佐カルロ・ロンコーニとの協力のもと開発されたこの塗料は「ラジオミール」と命名され、計器類の視認性を飛躍的に高めた。
1935年、伊王立海軍は新型の奇襲兵器を秘密裏に準備していた。潜水艇による接近攻撃を担う特殊潜水隊「デチマ・フロッティリア・MAS」である。彼らは暗黒の深海で潜水艇に跨乗し、敵艦に時限機雷を取り付ける任務を担う。必要だったのは、海中で時刻が読める腕時計であった。1936年、パネライはロレックスから26ミリのオイスターケースを47ミリへ拡張させ、懐中時計用のロレックス・キャリバー618と組み合わせ、文字盤にラジオミールを塗布した最初のプロトタイプを納入する。これがラジオミール、すなわち現代のパネライの原型である。
03ルミノールとクラウン保護機構
戦後、ラジウムの放射線障害が広く知られるにつれ、パネライは新たな発光体の開発を迫られた。1949年1月11日、トリチウムを用いた、より安全で発光性能の高い「ルミノール」の商標が登録される。原子力時代に「ラジウム」を冠する素材名を避けるべきとの判断が背景にあったと伝わる。
続く1955年、ジュゼッペ・パネライと姉妹マリア・ジュゼッペの連名で、クラウンを物理的に押さえつけるレバー式ブリッジ機構「タイト・シール・デバイス」が伊国内で特許出願される(翌年米国でも出願)。ねじ込み式リューズより確実な水密を得るためのこの装置は、後にパネライ最大の識別要素となり、ルミノールというモデル名と不可分の存在になった。1956年にはエジプト海軍向けに60ミリの「エジツィアーノ」(GPF 2/56)が製作され、この機構の真価が示された。同時期から、ロレックスに代わり8日間パワーリザーブのアンジェラス社製キャリバーSF240が採用される。これが後に自社製P.2002の8日間パワーリザーブへ受け継がれることになる。
04沈黙の二十年と市販化
1972年、ジュゼッペ・パネライの没後、技術者ディーノ・ツェイが経営を引き継ぐ。冷戦期を通じてパネライは海軍納入を続けたが、民間市場には姿を見せなかった。1980年代以降、潜水士向け腕時計への需要は世界的に高まったものの、パネライの軍用品は依然として伊軍事機密法の下にあり、その存在を一般が知る機会は限られていた。
1992年、ツェイは経営方針を転換する。1993年9月10日、ラ・スペツィア軍港に停泊する伊海軍駆逐艦ルイジ・ドゥラン・ド・ラ・ペンヌの艦上で、最初の民間向けコレクションが発表された。ルミノール、ルミノール・マリーナ、そしてマレ・ノストルム・クロノグラフ——いずれも歴史モデルを下敷きとした番号入り限定生産であった。式典には、戦時下の伊海軍潜水部隊最高指揮官であったアイモーネ・ディ・サヴォイアの子息、アメデオ・ダオスタ公爵が出席している。
05ヴァンドーム/リシュモン体制
1996年、ローマで映画『デイライト』を撮影中だったシルヴェスター・スタローンが、現地でラジオミール・ロゴ(Ref. 5218-201/A)を着用した。同作とその後の彼の個人的な熱狂を通じて、パネライの名はアメリカを中心に急速に広まる。1997年、ヴァンドーム・グループ(後のリシュモン・グループ)が同社を買収した。これによりブランドは、グローバルな販売網と研究開発体制を持つ高級メゾンへと変貌する素地を得る。1990年代後半から2000年代にかけてブランドを率いたアンジェロ・ボナーティは、コレクションを意図的に絞り込み、新作よりも既存ラインの深化を選んだ。この姿勢が、後年「カルトブランド」と評される性格を決定づけた。
06マニュファクチュールと現在
2002年、ヌーシャテルに製造拠点が開設される。3年後の2005年、初の自社製キャリバーP.2002——8日間パワーリザーブを継承する手巻きGMT——が発表され、続いてP.9000系の自動巻き、P.2005のトゥールビヨンなど、自社設計のキャリバー群が段階的に拡張された。2014年、ピエラボに約10,000平方メートルの新マニュファクチュールが稼働を開始し、約250名の専門職人を擁する体制が整う。2025年4月1日、リシュモンのスペシャリスト・ウォッチメイカーズ部門を率いていたエマニュエル・ペランが、ジャン=マルク・ポントルエの後任としてCEOに就任した。リシュモン体制下では三代目の最高経営責任者となる。