物語
01山あいの工房から
ル・ブラッシュは、ジュラ山脈の谷間に抱かれた人口千数百の村だった。1875年の秋、24歳のジュール=ルイ・オーデマは妻シドニーと幼子を連れて、隣村ジメから故郷のヴァレ・ド・ジューへ戻ってきた。父の家のささやかな工房で、彼は他社向けにエボーシュ(ベースとなる未完成ムーブメント)を作り始める。
数年後、同郷の幼なじみエドワード=オーギュスト・ピゲと再会する。それぞれ4代と5代続く時計師の家系であった2人は、互いの強みが補い合うことを早々に見抜く。オーデマは技術と複雑機構を、ピゲは規格調整と販売を担う。1881年12月の契約書で「Audemars, Piguet & Cie」は法的な姿を整え、翌年1月から動き出した。当初の従業員は10名にも満たなかったと伝わる。冬の間、雪に閉ざされる谷の住人たちは、農閑期の副業として続けてきた時計作りを、生業に変えていった。
02グランド・コンプリケーションの時代
19世紀末から20世紀初頭にかけて、若い工房は懐中時計用の複雑機構で頭角を現す。1892年、ミニッツリピーター腕時計用ムーブメントを開発。これは後にオメガとなるルイ・ブラント社へ納入され、世に出る最初のミニッツリピーター腕時計の心臓部となった。1899年、グランド・コンプリケーション「ユニヴェルセル(Universelle)」を完成させる。永久カレンダー、グランド/プチ・ソヌリ、ミニッツリピーター、アラーム、デッドビート秒、ジャンピング秒のクロノグラフ、スプリットセコンド――これらを一つの懐中時計に収めた怪作で、パリの万国博覧会で特別賞を獲得した。1907年、ル・ブラッシュのルート・ド・フランス16番地に最初の自社工場が建つ。この建物は現在もマニュファクチュールの本部として使われている。
03大戦と恐慌のなかで
第一次世界大戦が終わるころ、創業者2人は相次いで世を去った。1918年にジュール=ルイ、1919年にエドワード=オーギュスト。後継はそれぞれの息子、奇しくも同じファーストネームを持つポール=ルイ・オーデマとポール=エドワール・ピゲである。彼らが直面したのは戦後の長い不況、そして1929年に始まる世界恐慌だった。生産数は1929年の約730本から1931年には50本へ落ち込み、1932年の従業員はわずか2名にまで縮んだと記録されている。
それでも工房は手を止めなかった。1921年のジャンピングアワー腕時計、1925年の極薄懐中時計用キャリバー、1934年の世界初とされるスケルトン懐中時計、1946年の世界最薄ムーブメント9''' ML(厚さ1.64mm)。生産規模が縮んでも、技術的探求は脈々と続いた。
04ジェラルド・ジェンタの一夜
1971年、当時の経営者ジョルジュ・ゴレイは難題を抱えていた。日本の精工社や諏訪精工舎が放ったクォーツ式腕時計が、スイス機械式時計産業の足元を崩しつつあった。バーゼル・フェアの直前、彼が頼ったのは、すでに1953年からオーデマ ピゲと仕事をしていた若き時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタである。
「鋼で作る、これまで誰も見たことがない高級スポーツウォッチを」。ジェンタは一晩でスケッチを仕上げたと伝わる。霊感の出所はジュネーヴで見たというダイビングヘルメットの八角形ボルト構造であった、と本人が後年語っている。八角形のベゼル、8本の六角形ネジ、一体型ブレスレット、プチ・タピスリー仕上げの「ブルー・ニュイ」ダイヤル。
1972年のバーゼル・フェアで、ロイヤル オーク Ref. 5402STは発表される。直径39mmは当時としては大きく、価格3,300スイスフランは同時期のロレックス サブマリーナーの約10倍だった。鋼の腕時計に金時計と同等以上の価格を求める発想は、業界からも顧客からも長く理解されなかった。最初の2,000本が売り切れるまでに3年以上を要したと伝わる。1980年代以降、機械式時計が再評価される潮流のなかで、ロイヤル オークの位置づけは静かに反転していく。
05オフショアと冒険
ロイヤル オークが定着するにつれ、オーデマ ピゲは新たな世代の顧客に向き合う。1989年、当時の共同経営者ステファン・ウルカートが22歳のデザイナー、エマニュエル・ゲイに命じたのは、ロイヤル オークをより力強く、若い世代に響く姿に再解釈することだった。設計に約4年。1993年、直径42mm、ラバー製ガスケットを覗かせる「ロイヤル オーク オフショア」が発表されると、瞬く間に「ザ・ビースト」と呼ばれるようになる。ジェンタはこの拡張を肯定的には受け止めなかったと伝わるが、若い世代は熱狂的に支持した。
1995年にミレネリー、2002年にロイヤル オーク コンセプト。素材はチタン、フォージドカーボン、セラミックへと広がり、トゥールビヨンやグランド・コンプリケーションを腕時計サイズで成立させる試みが進んだ。2019年には、ロイヤル オーク以外の柱を据えるためのコレクション「コード11.59」が発表される。発表当初は意匠への賛否が大きかったが、独立した文体として徐々に定着しつつある。
06150年目とその先
2024年1月、消費財業界出身のイラリア・レスタがCEOに就任した。プロクター・アンド・ギャンブル、スイスの香料企業フィルメニッヒで25年以上の経験を積んだ、時計業界外からの登用である。レスタのもとで2025年に創業150周年を祝い、2026年初頭にはル・ブラッシュ近郊に新マニュファクチュール「L'Arc(ラルク)」を稼働させた。同年4月、7年ぶりにウォッチズ&ワンダーズ・ジュネーヴへ復帰し、新プロジェクト「アトリエ・デ・エタブリスール」を発表している。
経営はジャスミン・オーデマ取締役会長(ジュール=ルイ・オーデマの曾孫)と副会長オリヴィエ・オーデマを軸に、第4世代の創業家の手のなかにある。「私たちは生まれた場所から動かない」。レスタの言葉は、150年を超える歩みの背骨をなお要約している。