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BRAND · CH · EST. 1875

Audemars Piguetオーデマ ピゲ

Country
CH
Founded
1875
Headquarters
スイス ル・ブラッシュ(ヴォー州ル・シュニ)
Group
独立(オーデマ家・ピゲ家による創業家経営、Audemars Piguet Holding SA)
Founders
ジュール・ルイ・オーデマ、エドワード・オーギュスト・ピゲ
Web
www.audemarspiguet.com ↗

1875年ル・ブラッシュ創業、家族経営150年。ロイヤル オークで高級スポーツウォッチを発明した独立系マニュファクチュール

01 — 概要 / OVERVIEW

オーデマ ピゲは、1875年にスイス・ヴァレ・ド・ジューの小村ル・ブラッシュで創業した時計マニュファクチュール。創業150年を経た現在も、創業家の手で経営され続ける数少ない高級時計ブランドの一つである。19世紀末からミニッツリピーターやグランド・コンプリケーションの腕時計化を主導し、1972年にはジェラルド・ジェンタによるロイヤル オークでステンレス製高級スポーツウォッチというカテゴリーそのものを切り開いた。八角形ベゼルが象徴する明確な意匠言語と、生産規模を意図的に抑える姿勢。「ル・ブラッシュから動かない」という創業以来の原則と、150年分の冒険の積み重ねを併せ持つ。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

オーデマ ピゲが守り続けているもの。それは、ヴァレ・ド・ジューの土地に根を張り続けるという物理的な選択と、複雑機構の伝統と意匠的冒険を一つのマニュファクチュールに同居させるという観念的な選択である。

機構面において、オーデマ ピゲは19世紀末からミニッツリピーターと永久カレンダーを腕時計サイズに落とし込む試みを続けてきた。1892年のミニッツリピーター腕時計用ムーブメント、1899年のグランド・コンプリケーション懐中時計に始まるこの系譜は、1986年の超薄型自動巻きトゥールビヨン(Cal. 2870、ケース込みで厚さ5.3mm)、1995/96年の世界初の自動巻きグランド・コンプリケーション腕時計(Cal. 2885)、2006年の潤滑油不要のAPエスケープメント(直接衝撃式の独自脱進機)へと連なる。複雑機構を装飾品ではなく実装可能な技術として磨き続ける姿勢は、創業者ジュール・ルイ・オーデマの技術職人としての気質を引き継いでいる。

意匠面では、ジェラルド・ジェンタが1972年にロイヤル オークで提示した八角形ベゼルとインテグレーテッド・ブレスレットの言語が、その後の半世紀のブランド全体の語彙となった。八角形のベゼルと8本の六角形ネジ、グランド/プチ・タピスリーのダイヤル、フラットな多面体研磨。これらは記号化される一方で、ロイヤル オーク オフショア(1993年)、ロイヤル オーク コンセプト(2002年)、コード11.59(2019年)と、世代ごとに語法を更新してきた。

商業哲学のレベルでは、創業以来の家族経営が際立つ。三大ブランドと並び称されるパテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンに対し、オーデマ ピゲのみがジュネーヴではなくル・ブラッシュに留まり続けることを選んだ。現CEOのイラリア・レスタは「私たちは生まれた場所から動かない」と公言する。生産規模を意図的に抑える姿勢、外部への売却ではなく創業家保持を選ぶガバナンス、香水やライセンス事業へむやみに広げない自制。何を作らないかという消去法の輪郭は、しばしば「ル・ブラッシュに居続ける」の一語に集約される。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. 山あいの工房から

ル・ブラッシュは、ジュラ山脈の谷間に抱かれた人口千数百の村だった。1875年の秋、24歳のジュール・ルイ・オーデマは妻シドニーと幼子を連れて、隣村ジメから故郷のヴァレ・ド・ジューへ戻ってきた。父の家のささやかな工房で、彼は他社向けにエボーシュ(ベースとなる未完成ムーブメント)を作り始める。

数年後、同郷の幼なじみエドワード・オーギュスト・ピゲと再会する。それぞれ4代と5代続く時計師の家系であった2人は、互いの強みが補い合うことを早々に見抜く。オーデマは技術と複雑機構を、ピゲは規格調整と販売を担う。1881年12月の契約書で「Audemars, Piguet & Cie」は法的な姿を整え、翌年1月から動き出した。当初の従業員は10名にも満たなかったと伝わる。冬の間、雪に閉ざされる谷の住人たちは、農閑期の副業として続けてきた時計作りを、生業に変えていった。

2. グランド・コンプリケーションの時代

19世紀末から20世紀初頭にかけて、若い工房は懐中時計用の複雑機構で頭角を現す。1892年、ミニッツリピーター腕時計用ムーブメントを開発。これは後にオメガとなるルイ・ブラント社へ納入され、世に出る最初のミニッツリピーター腕時計の心臓部となった。1899年、グランド・コンプリケーション「ユニヴェルセル(Universelle)」を完成させる。永久カレンダー、グランド/プチ・ソヌリ、ミニッツリピーター、アラーム、デッドビート秒、ジャンピング秒のクロノグラフ、スプリットセコンド――これらを一つの懐中時計に収めた怪作で、パリの万国博覧会で特別賞を獲得した。1907年、ル・ブラッシュのルート・ド・フランス16番地に最初の自社工場が建つ。この建物は現在もマニュファクチュールの本部として使われている。

3. 大戦と恐慌のなかで

第一次世界大戦が終わるころ、創業者2人は相次いで世を去った。1918年にジュール・ルイ、1919年にエドワード・オーギュスト。後継はそれぞれの息子、奇しくも同じファーストネームを持つポール・ルイ・オーデマとポール・エドワール・ピゲである。彼らが直面したのは戦後の長い不況、そして1929年に始まる世界恐慌だった。生産数は1929年の約730本から1931年には50本へ落ち込み、1932年の従業員はわずか2名にまで縮んだと記録されている。

それでも工房は手を止めなかった。1921年のジャンピングアワー腕時計、1925年の極薄懐中時計用キャリバー、1934年の世界初とされるスケルトン懐中時計、1946年の世界最薄ムーブメント9''' ML(厚さ1.64mm)。生産規模が縮んでも、技術的探求は脈々と続いた。

4. ジェラルド・ジェンタの一夜

1971年、当時の経営者ジョルジュ・ゴレイは難題を抱えていた。日本の精工社や諏訪精工舎が放ったクォーツ式腕時計が、スイス機械式時計産業の足元を崩しつつあった。バーゼル・フェアの直前、彼が頼ったのは、すでに1953年からオーデマ ピゲと仕事をしていた若き時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタである。

「鋼で作る、これまで誰も見たことがない高級スポーツウォッチを」。ジェンタは一晩でスケッチを仕上げたと伝わる。霊感の出所はジュネーヴで見たというダイビングヘルメットの八角形ボルト構造であった、と本人が後年語っている。八角形のベゼル、8本の六角形ネジ、ケースと一体化したインテグレーテッド・ブレスレット、プチ・タピスリー仕上げの「ブルー・ニュイ」ダイヤル。

1972年のバーゼル・フェアで、ロイヤル オーク Ref. 5402STは発表される。直径39mmは当時としては大きく、価格3,300スイスフランは同時期のロレックス サブマリーナーの約10倍だった。鋼の腕時計に金時計と同等以上の価格を求める発想は、業界からも顧客からも長く理解されなかった。最初の2,000本が売り切れるまでに3年以上を要したと伝わる。1980年代以降、機械式時計が再評価される潮流のなかで、ロイヤル オークの位置づけは静かに反転していく。

5. オフショアと冒険

ロイヤル オークが定着するにつれ、オーデマ ピゲは新たな世代の顧客に向き合う。1989年、当時の共同経営者ステファン・アルカートが22歳のデザイナー、エマニュエル・ゲーに命じたのは、ロイヤル オークをより力強く、若い世代に響く姿に再解釈することだった。設計に約4年。1993年、直径42mm、ラバー製ガスケットを覗かせる「ロイヤル オーク オフショア」が発表されると、瞬く間に「ザ・ビースト」と呼ばれるようになる。ジェンタはこの拡張を肯定的には受け止めなかったと伝わるが、若い世代は熱狂的に支持した。

1995年にミレネリー、2002年にロイヤル オーク コンセプト。素材はチタン、フォージドカーボン、セラミックへと広がり、トゥールビヨンやグランド・コンプリケーションを腕時計サイズで成立させる試みが進んだ。2019年には、ロイヤル オーク以外の柱を据えるためのコレクション「コード11.59」が発表される。発表当初は意匠への賛否が大きかったが、独立した文体として徐々に定着しつつある。

6. 150年目とその先

2024年1月、消費財業界出身のイラリア・レスタがCEOに就任した。プロクター・アンド・ギャンブル、スイスの香料企業フィルメニッヒで25年以上の経験を積んだ、時計業界外からの登用である。レスタのもとで2025年に創業150周年を祝い、2026年初頭にはル・ブラッシュ近郊に新マニュファクチュール「L'Arc(ラルク)」を稼働させた。同年4月、6年ぶりにウォッチズ&ワンダーズ・ジュネーヴへ復帰し、新プロジェクト「アトリエ・デ・エタブリスール」を発表している。

経営はジャスミン・オーデマ取締役会長(ジュール・ルイ・オーデマの曾孫)と副会長オリヴィエ・オーデマを軸に、第4世代の創業家の手のなかにある。「私たちは生まれた場所から動かない」。レスタの言葉は、150年を超える歩みの背骨をなお要約している。

04 — History

歴史

A factual chronology

オーデマ ピゲの歴史は1875年、ヴァレ・ド・ジューの小村ル・ブラッシュに始まる。当時24歳のジュール・ルイ・オーデマと、幼なじみのエドワード・オーギュスト・ピゲ。前者は技術と製造を、後者は規格調整と商業を担う、相補的な役割で工房を立ち上げた。1881年12月に正式な共同経営契約が交わされ、翌1882年1月から「Audemars, Piguet & Cie」として始動する。

創業期の歩みは堅実だった。1882年からの約10年間で1,600個近い懐中時計を製造。1889年のパリ万国博覧会出品を機にロンドン、ベルリン、ニューヨーク、ブエノスアイレスへ販路が広がる。1892年、世界初とされるミニッツリピーター搭載腕時計用ムーブメントを開発、オメガの前身ルイ・ブラント社へ納入された。1899年にはグランド・コンプリケーション懐中時計「ユニヴェルセル」を完成。永久カレンダー、ミニッツリピーター、アラーム、グランド/プチ・ソヌリ、ジャンピング秒付きクロノグラフを備え、パリの万博で特別賞を獲得している。1907年、ル・ブラッシュのルート・ド・フランス16番地に自社工場を竣工。この建物は現在も本部として使われている。

20世紀前半には2つの世界大戦と1929年からの世界恐慌が立ちはだかった。1918年にジュール・ルイ、1919年にエドワード・オーギュストが相次いで他界。後を継いだのは、それぞれの息子のポール・ルイ・オーデマとポール・エドワール・ピゲである。1929年に約730本だった年間生産数は1931年に50本まで落ち込み、1932年の従業員はわずか2名となった記録が残る。それでも技術的な試みは続いた。1921年にジャンピングアワー腕時計、1934年に初のスケルトン懐中時計、1946年に厚さ1.64mmの世界最薄ムーブメント9''' MLを発表する。

1972年、バーゼル・フェアで発表されたロイヤル オーク Ref. 5402STは、ステンレススチール製の高級スポーツウォッチという未踏の領域を切り開いた。1986年に超薄型自動巻きトゥールビヨン(Cal. 2870)、1993年にロイヤル オーク オフショア、1995年にミレネリー、1995/96年に世界初の自動巻きグランド・コンプリケーション腕時計(Cal. 2885)、2002年にロイヤル オーク コンセプト、2006年に潤滑油不要のAPエスケープメント、2019年にコード11.59と続く。

経営は創業家の系譜に保たれ続けている。第4世代に当たるジャスミン・オーデマが取締役会長、オリヴィエ・オーデマが副会長を務める。CEOには2024年1月、消費財業界出身のイラリア・レスタが就任。2025年に150周年を迎え、翌2026年にル・ブラッシュに新マニュファクチュール「L'Arc」を開設、6年ぶりにウォッチズ&ワンダーズ・ジュネーヴへの出展を再開している。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

現行のオーデマ ピゲのコレクションは、性格の異なる4本の柱と、それを補う特別シリーズで構成される。

ロイヤル オーク(Royal Oak)――1972年に始まるブランドの中核。八角形のベゼル、8本の六角形ネジ、グランド/プチ・タピスリー仕上げのダイヤルというアイデンティティは半世紀を経ても変わらない。基本形「ジャンボ」のRef. 15202(2002年復活)とその後継Ref. 16202、自動巻きクロノグラフ、永久カレンダー、トゥールビヨン、ミニッツリピーター、女性向けの37mm/34mm径まで、家族の幅は広い。

ロイヤル オーク オフショア(Royal Oak Offshore)――1993年、エマニュエル・ゲーが22歳の構想を4年がかりで実体化させた派生系。当初42mm、現行は43mm前後の力強いケース、ラバーやセラミックといった素材実験、フライバック・クロノグラフを担うCal. 4401など、技術と意匠の両面で本流とは異なる温度を持つ。アスリートやエンターテイナーとのコラボレーションが多く生まれた舞台でもある。

ロイヤル オーク コンセプト(Royal Oak Concept)――2002年、ロイヤル オーク30周年に始まるアヴァンギャルド派生。トゥールビヨン、独立メモリー付きクロノグラフ「ラップタイマー・ミハエル・シューマッハ」(2015年)、フォージドカーボンやチタンといった素材、開放的なケース造形。コンセプトはオーデマ ピゲの実験室として位置づけられる。

コード11.59(Code 11.59 by Audemars Piguet)――2019年に発表された、ロイヤル オーク以外の柱を作るためのコレクション。八角形のミドルケースに丸いベゼルとケースバックを組み合わせる、近見と遠見で印象が異なる構成が特徴。新世代の自社製キャリバー4302、4401、4309を採用する。

これらの柱とは別に、1989年のジュール・オーデマ(Jules Audemars)、1995年のミレネリー(Millenary)、近年の[Re]Master、2026年発表の「アトリエ・デ・エタブリスール(Atelier des Établisseurs)」といった限定的・特別企画的なシリーズが断続的に生まれている。それぞれの位置づけは、シリーズ詳細ページで解説する。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Calibers

主要キャリバー

Movements of the house
キャリバー一覧 →
08 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

オーデマ ピゲ、特にロイヤル オーク オフショアは、機械式高級時計とポップカルチャーを近づけたモデルの一つである。

転機は1999年、アーノルド・シュワルツェネッガー主演『エンド・オブ・デイズ』に合わせて作られた「ロイヤル オーク オフショア エンド・オブ・デイズ」である。1997年にル・ブラッシュを訪れていた彼との関係はその後も続き、2003年『ターミネーター3』、2023年Netflix『FUBAR』に再登場している。

ヒップホップとの接点も深い。2005年にジェイ・Zが音楽活動10周年を記念したオフショアを共同制作。2013年から始まったNBAレブロン・ジェームズとの協業は、2015年の「ロイヤル オーク オフショア レブロン・ジェームズ」(600本限定)に結実した。2024年にはトラヴィス・スコットの「Cactus Jack」とブラウンセラミック製のロイヤル オーク パーペチュアル カレンダーを共同発表。テニスのセリーナ・ウィリアムズ、マーク・ロンソンも公式アンバサダーである。一方的なライセンスではなく、特定人物との長期的関係から限定モデルが生まれてきた点に、ブランド流の文化との接し方が表れている。