物語
01ジュラの工房から(1884–1914)
1884年、ジュラ山脈の小村サン・ティミエに、24歳の時計師レオン・ブライトリングが工房を構えた。スイス時計産業の中心地ラ・ショー・ド・フォン近郊で修業を終えたレオンが選んだのは、当時すでに飽和していた懐中時計の量産競争ではなかった。彼が目指したのは、産業革命の只中で急速に需要を増していたクロノグラフと計時器の領域である。1893年には特殊な脈拍計を発表し、医師の診察、競技の計時、列車の運行管理など、専門用途の現場へ製品を送り込んだ。
1892年には工房をラ・ショー・ド・フォン市内のモンブリヤン通りへ移し、60名規模の体制へと拡張する。1914年に54歳で世を去るまでの30年で、同社の輪郭は明確になっていた。装飾よりも計測。芸術品より道具。この出発点が、その後一世紀にわたって同社を規定していく。
02プッシャーの完成(1914–1932)
レオンの後を継いだ息子ガストンは、腕時計クロノグラフという未踏の領域へ踏み込んだ。1915年、彼は2時位置に独立したプッシュボタンを備えた腕時計式クロノグラフを発表する。それまでクロノグラフ操作はリューズで兼用されていたが、独立プッシャーは現場での扱いやすさを劇的に改善した。
1927年にガストンが急逝し、わずか19歳の息子ウィリー・ブライトリングが1932年に三代目として経営を継承した。若き当主は1934年、4時位置に独立リセットプッシャーを追加する。2時にスタート/ストップ、4時にリセットという二プッシャー配置は、現代のクロノグラフが今なお踏襲する標準仕様の原型となった。
03計算尺と戦時の供給(1938–1945)
1938年、ウィリーは航空計器専門部署「Huit Aviation Department」を設立する。第二次大戦下のスイスは中立国であり、ブライトリングは英国空軍をはじめ複数勢力へコックピット時計を供給した。同時にウィリーは新たな主題を構想していた。それが1940年8月に出願された特許CH 217012、円形対数計算尺をベゼルに組み込むという発想である。1942年に発売されたクロノマット(数学者のためのクロノグラフ)は、軍人ではなく科学者・技術者・金融計算者へ向けて売り出された。
1943年には対照的なコレクション「プルミエ」が登場する。戦争の暗さの中、ウィリーはあえてエレガンスを語る時計を提示した。クロノマットとプルミエという二極が、計器メーカーであると同時に都市の紳士にも応えるという同社の振幅を初めて明示している。
04ナビタイマーと宇宙(1952–1969)
1952年、米国航空機オーナー・パイロット協会(AOPA)がブライトリングへ専用パイロットウォッチの開発を依頼する。1954年に量産化されたナビタイマーは、E6B型フライトコンピューターをベゼル上に再現し、燃料消費、対気速度、距離計算を手首の上で完結させた。文字盤中央には会員クラブの翼章AOPAロゴが配される。
1957年、同社は海へも進出する。「スーパーオーシャン」のRef. 1004とRef. 807は、200メートル防水を備えた最初期のダイバーズウォッチであり、後者は本格ダイバーズ・クロノグラフとして知られる。1962年、宇宙飛行士スコット・カーペンターはマーキュリー・アトラス7号での周回飛行に、24時間表示に改めたナビタイマー・コスモノートを着用した。軌道上では昼夜の感覚が失われるという彼自身の指摘に応えた設計であった。
1966年、ブライトリングはホイヤー、ハミルトン=ビューレン、デュボワ・デプラと秘密協定を結ぶ。「プロジェクト99」と名付けられた共同開発は、1969年3月3日にジュネーブとニューヨークで同時発表されたキャリバー11として結実した。世界初の自動巻きクロノグラフの座を、ゼニス・エル・プリメロやセイコー6139と分け合う形で機構史に刻まれている。
05クォーツショックとシュナイダー期(1979–2009)
1970年代のクォーツショックは、機械式専業に近かったブライトリングを直撃する。1979年4月、健康を損ねていたウィリーは商標と権利をシクラ社経営者エルネスト・シュナイダーへ譲渡した。ウィリー本人は同年5月に逝去し、創業家による経営は終わる。
シュナイダーは航空無線技術にも通じた人物で、クォーツを脅威ではなく機会と見なした。1984年、創業100周年に合わせて発表された新生クロノマットは、イタリア空軍曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリとの協力下で開発され、機械式クロノグラフ復権の旗手となる。1985年にはアナログ/デジタル併用の多機能クォーツ「エアロスペース」、1995年には遭難信号を発信する「エマージェンシー」が続いた。1999年、ブライトリング・オービター3号気球はベルトラン・ピカールとブライアン・ジョーンズを乗せて世界初の無着陸地球一周に成功する。
06ハウス・オブ・ブランズへ(2009–現在)
2009年、創業125周年を機に同社初の自社製クロノグラフ・ムーブメント「キャリバーB01」が発表される。コラムホイールと垂直クラッチを備え、70時間のパワーリザーブを持つこの機構は、その後B02からB19まで派生展開されていく。
2017年、シュナイダー家はCVCキャピタル・パートナーズへ株式の8割を譲渡し、IWCで実績を積んだジョルジュ・ケルンがCEOに就任した。ケルン体制は計器ブランドの出自を保ちながらも、ライフスタイル領域への射程拡大を進める。2022年にパートナーズ・グループが過半数を取得し、2023年末にユニバーサル・ジュネーブを、2025年にガレを買収。複数ブランドを傘下に置く「ハウス・オブ・ブランズ」体制が形を整えた。2026年5月、ジャン=マルク・ポントルエがブライトリング新CEOに、ケルンはハウス・オブ・ブランズ全体のCEOに移行している。