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BRAND · CH · EST. 1884

Breitlingブライトリング

Country
CH
Founded
1884
Headquarters
スイス グレンヘン
Group
パートナーズ・グループ(2022年以降の筆頭株主)
Founders
レオン・ブライトリング
Web
www.breitling.com ↗

プッシャー、計算尺、コックピット、深海、宇宙。腕時計式クロノグラフの実用化に一世紀以上を費やしてきたジュラ生まれのスイスブランド

01 — 概要 / OVERVIEW

ブライトリングは1884年、スイス・ジュラ山脈のサン・ティミエで創業した時計メーカーである。本社はグレンヘン、製造拠点をラ・ショー・ド・フォンに置き、2022年からパートナーズ・グループが筆頭株主を務める。

腕時計式クロノグラフの基本機構を1915年から1934年にかけて確立し、1942年のクロノマット、1952年のナビタイマー、1957年のスーパーオーシャンと続く計器系時計を生み出してきた歴史を持つ。「プロフェッショナルのための計器」を長く自己定義としつつ、近年は空・陸・海を横断するブランドとして再構築が進み、ユニバーサル・ジュネーブを含むハウス・オブ・ブランズ体制へ移行した。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

ブライトリングの設計思想は、創業以来一貫してクロノグラフという複雑機構の実用化を中核に据えてきた。レオンが手掛けたのはドレスウォッチではなく、産業現場で時間を測る道具としてのストップウォッチであり、その文脈の延長線上に2時位置プッシャー(1915年)、4時位置リセットプッシャー(1934年)、計算尺ベゼル(1942年)が連なる。装飾的なグランド・コンプリケーションへ向かわず、機構の改良を「現場で何をどう測るか」という問いから出発させてきた点が、パテック フィリップやヴァシュロン・コンスタンタンとは異なる輪郭を与えている。

意匠面では、視認性が美意識の根幹に置かれてきた。コックピットの計器や潜水時の極限条件で読み取れることを前提に、大型のアラビア数字、ボリュームのある夜光、明確な対比配色が選ばれる。ナビタイマーの密集した目盛りはこの思想の例外ではなく、必要な情報を一画面に凝縮するという計器思想の結果である。スリムさや控えめな存在感は副次的な価値とされ、結果として華奢なドレスウォッチ路線は同社の主流とならなかった。

商業哲学の上では、1980年代の「Instruments for Professionals」(プロフェッショナルのための計器)というシュナイダー期のスローガンが長く同社の自己定義であった。2017年以降のケルン体制下では、この計器ブランドとしての出自を保ちながら、空・陸・海の三領域を横断するライフスタイル・ブランドとしての再定義が進んだ。色彩は鮮やかに、女性向けと男性向けの境界線は曖昧に、価格帯はガレからユニバーサル・ジュネーブまで多層化する戦略が採られている。

選ばれなかったものを挙げれば輪郭はさらに明瞭になる。創業以来、純粋なドレスウォッチの系譜は希薄であり、超薄型ムーブメントや過度な装飾仕上げに重心を置く時期も訪れなかった。同社が選んだのは、計器としてのクロノグラフを軸に据え、その上で時代ごとの実用と娯楽の境界を再設定することであった。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. ジュラの工房から(1884–1914)

1884年、ジュラ山脈の小村サン・ティミエに、24歳の時計師レオン・ブライトリングが工房を構えた。スイス時計産業の中心地ラ・ショー・ド・フォン近郊で修業を終えたレオンが選んだのは、当時すでに飽和していた懐中時計の量産競争ではなかった。彼が目指したのは、産業革命の只中で急速に需要を増していたクロノグラフと計時器の領域である。1893年には特殊な脈拍計を発表し、医師の診察、競技の計時、列車の運行管理など、専門用途の現場へ製品を送り込んだ。

1892年には工房をラ・ショー・ド・フォン市内のモンブリヤン通りへ移し、60名規模の体制へと拡張する。1914年に54歳で世を去るまでの30年で、同社の輪郭は明確になっていた。装飾よりも計測。芸術品より道具。この出発点が、その後一世紀にわたって同社を規定していく。

2. プッシャーの完成(1914–1932)

レオンの後を継いだ息子ガストンは、腕時計クロノグラフという未踏の領域へ踏み込んだ。1915年、彼は2時位置に独立したプッシュボタンを備えた腕時計式クロノグラフを発表する。それまでクロノグラフ操作はリューズで兼用されていたが、独立プッシャーは現場での扱いやすさを劇的に改善した。

1927年にガストンが急逝し、わずか19歳の息子ヴィリー・ブライトリングが1932年に三代目として経営を継承した。若き当主は1934年、4時位置に独立リセットプッシャーを追加する。2時にスタート/ストップ、4時にリセットという二プッシャー配置は、現代のクロノグラフが今なお踏襲する標準仕様の原型となった。

3. 計算尺と戦時の供給(1938–1945)

1938年、ヴィリーは航空計器専門部署「Huit Aviation Department」を設立する。第二次大戦下のスイスは中立国であり、ブライトリングは英国空軍をはじめ複数勢力へコックピット時計を供給した。同時にヴィリーは新たな主題を構想していた。それが1940年8月に出願された特許CH 217012、円形対数計算尺をベゼルに組み込むという発想である。1942年に発売されたクロノマット(数学者のためのクロノグラフ)は、軍人ではなく科学者・技術者・金融計算者へ向けて売り出された。

1943年には対照的なコレクション「プルミエ」が登場する。戦争の暗さの中、ヴィリーはあえてエレガンスを語る時計を提示した。クロノマットとプルミエという二極が、計器メーカーであると同時に都市の紳士にも応えるという同社の振幅を初めて明示している。

4. ナビタイマーと宇宙(1952–1969)

1952年、米国航空機オーナー・パイロット協会(AOPA)がブライトリングへ専用パイロットウォッチの開発を依頼する。1954年に量産化されたナビタイマーは、E6B型フライトコンピューターをベゼル上に再現し、燃料消費、対気速度、距離計算を手首の上で完結させた。文字盤中央には会員クラブの翼章AOPAロゴが配される。

1957年、同社は海へも進出する。「スーパーオーシャン」のRef. 1004とRef. 807は、200メートル防水を備えた最初期のダイバーズウォッチであり、後者は本格ダイバーズ・クロノグラフとして知られる。1962年、宇宙飛行士スコット・カーペンターはマーキュリー・アトラス7号での周回飛行に、24時間表示に改めたナビタイマー・コスモノートを着用した。軌道上では昼夜の感覚が失われるという彼自身の指摘に応えた設計であった。

1966年、ブライトリングはホイヤー、ハミルトン=ビューレン、デュボワ・デプラと秘密協定を結ぶ。「プロジェクト99」と名付けられた共同開発は、1969年3月3日にジュネーブとニューヨークで同時発表されたキャリバー11として結実した。世界初の自動巻きクロノグラフの座を、ゼニス・エル・プリメロやセイコー6139と分け合う形で機構史に刻まれている。

5. クォーツショックとシュナイダー期(1979–2009)

1970年代のクォーツショックは、機械式専業に近かったブライトリングを直撃する。1979年4月、健康を損ねていたヴィリーは商標と権利をシクラ社経営者エルネスト・シュナイダーへ譲渡した。ヴィリー本人は同年5月に逝去し、創業家による経営は終わる。

シュナイダーは航空無線技術にも通じた人物で、クォーツを脅威ではなく機会と見なした。1984年、創業100周年に合わせて発表された新生クロノマットは、イタリア空軍曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリとの協力下で開発され、機械式クロノグラフ復権の旗手となる。1985年にはアナログ/デジタル併用の多機能クォーツ「エアロスペース」、1995年には遭難信号を発信する「エマージェンシー」が続いた。1999年、ブライトリング・オービター3号気球はベルトラン・ピカールとブライアン・ジョーンズを乗せて世界初の無着陸地球一周に成功する。

6. ハウス・オブ・ブランズへ(2009–現在)

2009年、創業125周年を機に同社初の自社製クロノグラフ・ムーブメント「キャリバーB01」が発表される。コラムホイールと垂直クラッチを備え、70時間のパワーリザーブを持つこの機構は、その後B02からB19まで派生展開されていく。

2017年、シュナイダー家はCVCキャピタル・パートナーズへ株式の8割を譲渡し、IWCで実績を積んだジョルジュ・ケルンがCEOに就任した。ケルン体制は計器ブランドの出自を保ちながらも、ライフスタイル領域への射程拡大を進める。2022年にパートナーズ・グループが過半数を取得し、2023年末にユニバーサル・ジュネーブを、2025年にガレを買収。複数ブランドを傘下に置く「ハウス・オブ・ブランズ」体制が形を整えた。2026年5月、ジャン=マルク・ポントルエがブライトリング新CEOに、ケルンはハウス・オブ・ブランズ全体のCEOに移行している。

04 — History

歴史

A factual chronology

ブライトリングの歴史は1884年に始まる。スイス・ジュラ山脈のサン・ティミエで、24歳の時計師レオン・ブライトリングが工房を開いた。1892年に拠点をラ・ショー・ド・フォンへ移し、当初から主軸はクロノグラフで、ストップウォッチや産業用計時器の製造で名を馳せた。

1914年にレオンが没すると息子ガストンが経営を継ぐ。翌1915年、ガストンは2時位置に独立プッシュボタンを備えた腕時計式クロノグラフを発表した。1927年にガストンが急逝すると、19歳の息子ヴィリーが1932年に三代目として経営を継承する。1934年、ヴィリーは4時位置の独立リセットプッシャーを加え、現在も標準とされる二プッシャー式クロノグラフを完成させた。

1938年には航空計器部門「Huit Aviation Department」を設立し、英国空軍向けのコックピット時計を供給。1940年8月に円形計算尺ベゼルの特許(CH 217012)を出願し、1942年に「クロノマット」として発売する。1952年には米国航空機オーナー・パイロット協会(AOPA)の依頼でナビタイマーを開発し、1954年から量産化された。1957年に初のダイバーズウォッチ「スーパーオーシャン」(Ref. 1004およびRef. 807)を発表。1962年、宇宙飛行士スコット・カーペンターが24時間表示のナビタイマー・コスモノートを着けてマーキュリー・アトラス7号で地球を周回した。

1969年3月、ホイヤー、ハミルトン=ビューレン、デュボワ・デプラとの共同開発「プロジェクト99」が自動巻きクロノグラフ・キャリバー11を発表する。しかし1970年代のクォーツショックが同社を直撃し、1979年4月、ヴィリーはシクラ社経営者エルネスト・シュナイダーへ商標と権利を譲渡。ヴィリーは同年5月に逝去した。

シュナイダー体制下の1984年、創業100周年に合わせて新生クロノマットがイタリア空軍曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリとの協力下で発表され、機械式クロノグラフ復権の象徴となる。1985年に多機能クォーツ「エアロスペース」、1995年に遭難信号発信機を内蔵する「エマージェンシー」を発表。1999年にはブライトリング・オービター3号気球が世界初の無着陸地球一周飛行に成功した。

2009年、創業125周年に自社製クロノグラフ「キャリバーB01」を発表。2017年にシュナイダー家がCVCキャピタル・パートナーズへ株式の8割を売却し、ジョルジュ・ケルンがCEOに就任した。2022年にパートナーズ・グループが過半数株式を取得し筆頭株主となる。2023年末にユニバーサル・ジュネーブを、2025年にガレを買収し、「ハウス・オブ・ブランズ」体制へ移行した。2026年5月、ジャン=マルク・ポントルエがCEOに就任し、ケルンはハウス・オブ・ブランズ全体のCEOへ移っている。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

ブライトリングの現行コレクションは、空・陸・海という三領域とブランドの歴史的節目に紐づいて整理されている。

最も知名度が高いのがナビタイマーである。1952年にAOPAの依頼で開発された円形計算尺ベゼル付きクロノグラフであり、現在も自社製キャリバーB01を搭載するモデルを核に、サイズ違いやコスモノート派生が展開されている。

クロノマットは1942年に誕生した数学者のための計算尺クロノグラフを起源としつつ、現在のラインは1984年にイタリア空軍曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリとの協力下で発表された再定義版を直接の祖とする。「ルロー」と呼ばれる球状リンクのブレスレットと四つのライダータブベゼルが識別子であり、現代のブランド顔として位置付けられる。

スーパーオーシャンおよびスーパーオーシャン・ヘリテージは1957年の二つのダイバーズ原型(Ref. 1004とRef. 807)に連なる海洋シリーズである。前者がモダンな実用ダイバー、後者がヴィンテージの意匠を継承する系統として並走している。

アヴェンジャーは2001年に登場した実用志向のタフネス系で、軍用・航空業務を想定した堅牢設計を特徴とする。

プルミエは1943年にヴィリー・ブライトリングが発表したエレガンス路線を、2018年にジョルジュ・ケルン体制下で復活させたシリーズである。ドレッシーなクロノグラフが希少であった同社のラインに、紳士向けの選択肢を補完する役割を果たす。

プロフェッショナルシリーズは多機能ツール領域を担う。1985年のアナログ/デジタル併用クォーツ「エアロスペース」、1995年に登場した遭難信号発信機内蔵「エマージェンシー」、近年加わった「エンデュランス・プロ」がここに含まれる。

トップタイムは1960年代の同名カジュアル・クロノグラフを2020年代にリイシューした系統で、クラシックAVIは1953年のパイロットクロノグラフ「コ・パイロット」(Ref. 765)を起源とする復刻系である。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

ブライトリングの文化的接点は航空と海洋という二つの極から派生してきた。

航空の側では、1952年にナビタイマーが米国航空機オーナー・パイロット協会(AOPA)の公式時計に選ばれたことが端緒となる。1962年、宇宙飛行士スコット・カーペンターはマーキュリー・アトラス7号での周回飛行に24時間表示のナビタイマー・コスモノートを着用し、スイス製クロノグラフとして史上初めて地球軌道を経験した時計の一例となった。1980年代以降はイタリア空軍曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリやフランスのパトルイユ・ド・フランスとの協力モデルが繰り返し発表されている。

海洋の側では、1999年のブライトリング・オービター3号気球が象徴的である。ベルトラン・ピカールとブライアン・ジョーンズを乗せた同機は世界初の無着陸地球一周飛行に成功し、ピカールの腕にはエマージェンシーが装着されていた。

近年は俳優ブラッド・ピットやエクストリーム・スキーヤー、サッカー選手などを起用したアンバサダー戦略により、計器ブランドの枠を越えた現代的な存在感が構築されている。