H. Moser & CieH. モーザー
ロゴなき文字盤と自社製ひげゼンマイ、挑発的な広報で知られるシャフハウゼンの独立マニュファクチュール。「Very Rare」を標榜する家族経営の小規模メゾン
1828年、ハインリヒ・モーザーがロシア・サンクトペテルブルクで設立した時計商に源を持つ独立マニュファクチュール。本拠地はスイス・ノイハウゼン・アム・ラインフォール、現在は元オーデマ・ピゲCEOのジョージ・アンリ・メイランが率いるMELBホールディング傘下にある。年産は約3,000本にとどまり、自社製ひげゼンマイと脱進機を擁する垂直統合型のメーカーとして業界でも稀少な存在である。ロゴもインデックスも省いたコンセプトダイヤル、グラデーションのフュメダイヤル、そして業界の慣例を意図的に揺さぶる広報姿勢で、伝統と挑発を同居させる独立ブランドの象徴となっている。
設計思想
H. モーザーが何より大切にするのは、「過剰なもの」を取り去る編集力である。シグネチャーとなったフュメダイヤルは、中央が明るく外周へ向けて陰影を深める一枚絵の文字盤で、2015年のエンデバー・センターセコンド・コンセプトで現代的な形を獲得した。コンセプトモデルではロゴもインデックスも置かれない。装飾を削るほど機械式時計の本質が浮かび上がるという思想を、デザインで体現したものである。
機構面では、独立マニュファクチュールとしての垂直統合が骨格をなす。姉妹会社プレシジョン・エンジニアリングAGがニヴァロックスの直系にあたるひげゼンマイ合金PE 4000を製造し、自社で脱進機まで組み立てる。同種のひげゼンマイを内製できる企業は業界で数社しかない。エスケープメントをモジュール単位で交換できる「インターチェンジャブル・モーザー脱進機」、ふたつのひげゼンマイで姿勢差を相殺する「シュトラウマン・ダブル・ヘアスプリング」も、この設備があってこそ成立する。
商業哲学は、規模を追わない選択に表れている。年産は約3,000本、従業員は100名規模であり、これを意図的に維持している。エドゥアール・メイランCEOはコミュニケーションでもしばしば既存業界に物議を醸す手法を用いる。スイス・メイド認証基準の緩和に抗議して2017年に文字盤から「Swiss Made」表記を外し、本物のスイスチーズを混ぜたケースの「スイス・マッド・ウォッチ」を発表した一件は、その象徴的な事例である。
捨てたものも明確である。大量生産、メガコンプリケーション、外部マーケティングへの依存。代わりに残したのは、自社で機構を作る能力、誰のものでもないデザイン言語、独立資本のままでの意思決定の速さ。「Very Rare」というキャッチコピーは、希少さの誇示というより、選び取った領域の小ささへの肯定として読むのが近い。
物語
1. シャフハウゼンの時計師、サンクトペテルブルクへ
ハインリヒ・モーザーは1805年、シャフハウゼンの時計師の家に生まれた。一族は街の公共時計の保守を代々任されてきたが、年若いハインリヒには順番が回ってこなかった。家業を継ぐ道が断たれた青年は、父エアハルトのもとで基礎を学び、ル・ロックルで腕を磨くと、1826年にロシアへ旅立つ。1828年、サンクトペテルブルクで「H. Moser & Cie」の看板を掲げた。ロマノフ朝の宮廷や貴族が顧客となり、彼の懐中時計はロシア帝国における時計の代名詞となっていった。
2. シャフハウゼンへの帰還と工業化の時代
1848年、ハインリヒは故郷に戻る。当時のシャフハウゼンはまだ農業色の濃い地方都市であったが、ライン滝の水力に着目した彼は、1864年に完成するモーザー・ダムの建設を主導し、スイス初の機械式水力発電インフラを整えた。同じ動力源は近隣の工場を稼働させ、街そのものを工業都市へと変えていく。1853年には自身の時計ケース工場をシャフハウゼンに開設。1868年、米国人実業家フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがシャフハウゼンでIWCを創業した際、ハインリヒは工場と電力を提供してこれを後押ししている。生涯に約50万本の時計を製作したと伝わる。
3. 革命、戦間期、そしてクォーツの嵐
1874年にハインリヒが亡くなると、会社はスイスとロシアの支配人に分割された。ロシア側の事業は規模を伸ばしたが、1917年の革命で資産は没収される。スイス側はル・ロックル拠点で懐中時計、のちに腕時計の生産を続けたものの、20世紀後半のクォーツショックを正面から受け、ディキシ・メカニーク傘下に入って「Hy Moser & Cie」と名を変えた。1988年にゼニス・グループへ吸収統合され、翌1989年に「H. Moser & Cie」の名は事実上歴史から退いた。創業からおよそ160年、ブランドはいったん市場の表面から姿を消す。
4. 2002年、ノイハウゼンでの再出発
転機は新世紀に訪れた。2002年、IWCで技術部長を務めたユルゲン・ランゲ博士が、ハインリヒの曾孫ロジャー・ニコラス・バルジガーと組み、「モーザー・シャフハウゼンAG」をノイハウゼン・アム・ラインフォールに設立する。ランゲはひげゼンマイの専門家トーマス・シュトラウマンとも連携し、別途プレシジョン・エンジニアリングAG(PEAG)を立ち上げ、ひげゼンマイから脱進機までを内製できる体制を整えた。2005年、創業者ハインリヒの生誕200年に合わせてブランドは正式に再出発する。まもなく発表された「パーペチュアル1」(現エンデバー・パーペチュアルカレンダー)は、独立時計師アンドレアス・ストレーラとの協働で開発された永久カレンダー機構を搭載し、2006年にジュネーブ・ウォッチ・グランプリ複雑機構部門を受賞した。
5. メイラン家の買収と「物議のディスラプター」への転換
2012年夏、経営難に陥っていた同社を、元オーデマ・ピゲCEOのジョージ・アンリ・メイランが率いる家族投資会社MELBホールディングが買収した。MELBはメイランと三人の子供たち(Edouard, Léonore, Bertrand)の頭文字に由来する。翌2013年4月、息子のエドゥアール・メイランがCEOに就任すると、ブランドは大きく方向を変える。2013年に採用された「Very Rare」のキャッチコピー、2015年のフュメ・コンセプトダイヤル、2017年のスイス・マッド・ウォッチに象徴される挑発的な広報。慎重さが取り柄とされたスイス時計業界において、モーザーは意図的に「物議を醸す側」の役割を引き受けることになる。
6. 21世紀のラインアップと現在地
2020年1月、ブランドは新コレクション「ストリームライナー」を発表する。クッション型ケースとブレスレットを一体造形したラグジュアリースポーツであり、アジュノル社と共同開発したフライバック・クロノグラフ・キャリバーHMC 902を搭載した初代モデル「ストリームライナー・フライバック・クロノグラフ・オートマティック」は限定100本で完売した。以後、ストリームライナー、エンデバー、パイオニア、ヘリテージ、エクセプショナルズの5つの柱で現行ラインアップが構成されている。2024年にはアルピーヌ・モータースポーツとF1パートナーシップを開始し、2026年1月にはH.モーザージャパン株式会社が東京に設立された。創業から約200年、独立資本の家族経営という形式は今も維持されている。
歴史
19世紀前半、ハインリヒ・モーザーは時計師の家系に生まれたスイス人として、独自の進路を切り開いた。1805年シャフハウゼン生まれ。ル・ロックルで研鑽を積んだ後、1826年にロシアへ渡り、1828年にサンクトペテルブルクで自身の時計商「H. Moser & Cie」を設立する。これがブランドの起点となった。1829年にはスイス・ル・ロックルにも工房を構え、両国を結ぶ製造販売の基盤を整えていく。
1848年、ハインリヒは故郷シャフハウゼンに戻る。1853年に同地で時計ケース製造工場を立ち上げ、ライン川の水力を利用した発電設備の建設にも携わった。1864年に完成したモーザー・ダムは、シャフハウゼンの工業化を支えた礎である。1868年には米国人実業家フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズによるIWCの創業を、工場と電力の提供で支援している。
1874年にハインリヒが亡くなった後、会社の経営は両国の支配人に分割された。ロシア事業は順調に拡大し皇室や貴族の御用達となるが、1917年のロシア革命を経て1918年に資産が没収される。スイス側のル・ロックル拠点では懐中時計から腕時計へと製品が移行していった。
20世紀後半、クォーツショックの影響でディキシ・メカニーク傘下に入り「Hy Moser & Cie」へと改称。1988年にゼニス・グループへ統合され、翌1989年に旧ブランド名はいったん歴史から姿を消した。
復活は2002年。元IWC技術部長のユルゲン・ランゲ博士が、ハインリヒの曾孫ロジャー・ニコラス・バルジガーとともに「モーザー・シャフハウゼンAG」をノイハウゼン・アム・ラインフォールに設立。同時期にトーマス・シュトラウマンと組んだプレシジョン・エンジニアリングAG(PEAG)が傘下に加わり、垂直統合型マニュファクチュールとしての基盤を固めた。2005年に「H. Moser & Cie」として正式に再出発し、まもなく「パーペチュアル1」を発表する。
2012年、経営難に陥っていた同社を、元オーデマ・ピゲCEOのジョージ・アンリ・メイラン率いるMELBホールディングが買収。翌2013年にエドゥアール・メイランがCEOに就任した。2020年にストリームライナー・コレクションを発表し、年間生産数は約3,000本、従業員は100名規模を維持。2024年にはアルピーヌ・モータースポーツとの提携を開始し、2026年1月には日本法人H.モーザージャパン株式会社が東京で営業を開始している。
シリーズ概観
H. モーザーの現行コレクションは、性格の異なる5本柱で構成されている。
中心となるのが「エンデバー」(Endeavour)である。湾曲したケースサイドと丸いベゼル、樹葉(リーフ)形状の針を備えた円形ドレスウォッチで、シンプルな三針からパーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーター、トゥールビヨンまでをこのラインに収める。フュメダイヤルとロゴ・インデックスを排した「コンセプト」仕様は、エンデバーから始まった同社のミニマリズムを最も純粋に示すバリエーションである。
「パイオニア」(Pioneer)は、エンデバーをスポーツ寄りに展開した派生コレクション。120メートル防水のケース、Super-LumiNova®を施したリーフ針、ラバーストラップを備え、自社製HMC 200系オートマティックを中心に据える。3針モデルからシリンドリカル・トゥールビヨンまで幅広い構成を持ち、最初の現代スポーツモデルとして2014年に登場した。
「ストリームライナー」(Streamliner)は、2020年に始まったブランド最新の柱である。1920〜30年代の流線形列車に着想を得たクッション型ケースと、流れるように一体化したスチール製ブレスレットが特徴。アジュノル社と共同開発したフライバック・クロノグラフを起点に、センターセコンド、パーペチュアルカレンダー、トゥールビヨンへと派生し、現在のモーザーを象徴する顔となった。
「ヘリテージ」(Heritage)は、19世紀の懐中時計を直接複製するのではなく、その文法を現代の腕時計へと翻訳する位置づけ。立体的なGlobolight®インデックスとレイルウェイ・ミニッツトラックを備えたケースは、創業期の意匠への目配せを残している。
「エクセプショナルズ」(Exceptionals)は、コレクションを横断する希少作・限定作の受け皿である。アンドレアス・ストレーラやMB&Fとのコラボレーション、Vantablack®ダイヤル、宝石細工を伴うピースなど、定常生産から離れた実験的な作品群がここに集約される。
代表シリーズ
主要キャリバー
文化との接点
モーザーが文化と接点を持つやり方は、ややひねりが効いている。映画スターや宇宙開発と結びつくのではなく、業界そのものを語り直す装置として時計を用いる傾向が強い。
象徴的なのが2017年の「スイス・マッド・ウォッチ」である。スイス・メイド認証基準の緩和に抗議する意図で自社時計の文字盤から「Swiss Made」表記を外し、本物のヴァシュラン・モン・ドール・チーズを混ぜたケースの一本物を作って同名で発表した。広告キャンペーンには乳牛マルグリットが起用されている。先行する2016年の「スイス・アルプ・ウォッチ」は、Apple Watchを模した長方形ケースに機械式ムーブメントを収めた挑発として受け止められた。
スポーツとの関係では、2024年にF1のアルピーヌ・モータースポーツとパートナーシップを締結。2026年シーズン開幕時にはピンクのカラーリングを採用したストリームライナー・アルピーヌ・エディションを限定50本でリリースしている。