物語
01海へ向かった山の時計師
ユリス・ナルダンは1823年、スイスの時計の町ル・ロックルに生まれた。父レオナール=フレデリックは地域の時計師であり、息子は幼少期から機構の知識を授けられた。やがて名工フレデリック=ウィリアム・デュボワらに学び、1846年、23歳で自らの工房を構える。
山あいに生まれた工房の歩みは、やがて海へ向かう。当時、外洋を航行する船にとって、正確な時刻を保つ航海計器(マリンクロノメーター)は、現在地を割り出すための生命線であった。ただし、創業者がまず評価を得たのは懐中クロノメーターで、航海計器への専業化は息子の代に進む。ナルダンは装飾品ではなく、道具としての正確さを追い求めた。初期の製品は南米市場へも渡り、工房は着実に評価を高めていく。
02観測所時代の栄光
1876年にユリスが世を去ると、息子ポール=ダヴィッドが事業を継いだ。父が築いた精度への執着は次代でさらに磨かれ、同社のクロノメーターは50を超える国の海軍に納められるまでになる。
この時代の評価を支えたのが、天文台の主催する精度競技であった。ヌーシャテル天文台や米国海軍天文台の試験で、同社は数多くの賞を重ねる。観測所試験は科学的で厳格な精度評価であり、そこでの成績は航海計器の信頼性を客観的に裏づけるものだった。皮肉なことに、日露戦争(1904–1905年)では交戦した双方の海軍が、ともに同社のクロノメーターを用いていたと伝わる。
03クォーツショックと一人の時計師
20世紀後半、電池で動くクォーツ時計が広まると、機械式時計の世界は地殻変動に見舞われた。電波時報や衛星航法の普及は、マリンクロノメーターという精密機械そのものの存在意義を揺るがす。創業家5代目が率いていた同社も例外ではなく、活動は大きく縮小した。1970年代には、常勤の時計師がわずか一名という状態にまで追い込まれていたと伝わる。長い歴史を持つ名門が、忘れられかけていた。
04エクスリンとの邂逅
1983年、実業家ロルフ・W・シュナイダーが同社を買収する。彼はブランド再興の道を探すなかで、ある天文時計に出会った。時計修復家ヨルク・シュペーリングの工房で見た、アストロラーベ(天体の位置を示す古来の装置)時計である。シュナイダーは、これを腕時計に縮小できないかと問うた。
その時計を作ったのが、古典学を修め、シュペーリングのもとで時計の修業を続けていたルートヴィヒ・エクスリンであった。古代の天文機構や失われた歯車理論に通じた彼は、難題に正面から取り組み、1985年にアストロラビウム・ガリレオ・ガリレイを完成させる。太陽や月、星々の位置、日食や月食までを腕の上に表示するこの時計は、発表後まもなくギネス世界記録に認定された。続くプラネタリウム・コペルニクス(1988年)、テルリウム・ヨハネス・ケプラー(1992年)とあわせ、三部作「トリロジー・オブ・タイム」は同社を再び業界の中心へ引き戻す。1996年の創業150周年には、海の系譜を受け継ぐ腕時計型マリン・クロノメーター1846を世に出した。
05フリークという問い
2001年、同社は時計の前提そのものへ問いを投げかける一作を発表する。フリークである。文字盤も針も竜頭もなく、ムーブメント自体が回転しながら時刻を示す。エクスリンらが実現したこの構造は、中心から伸びる機構が時を語るという斬新な発想に基づいていた。
最大の革新は素材にあった。脱進機の摩擦を抑えるため、同社は非磁性で軽量なシリコンを採用する。シリコンを用いた最初の時計とされ、当初は懐疑と論争を招いたが、やがてこの素材は業界全体へ広がった。今日ではロレックスやパテック フィリップも髭ぜんまい等に用いる、一般的な高性能素材である。
その後も同社は、自社製キャリバーUN-118(2011年)やエナメル工房ドンゼ・カドランの取得など、垂直統合と素材技術の両面を進めた。2014年にケリング傘下へ入り、2017年就任のパトリック・プルニエの主導で、2022年に経営陣買収によって独立を回復する。2026年には創業180周年とフリーク誕生25年を迎え、最も複雑な時刻表示のみの時計と称する[スーパー]フリークを発表した。