ユリス・ナルダン
1846年、23歳でル・ロックルに工房を開き、懐中クロノメーターで国際的な評価を得た時計師。同名メゾンの創業者
- BORN
- 1823年
- DIED
- 1876年
- BRAND
- ユリス・ナルダン — 1846年創業
- MODELS
- 5 本
概要
ユリス・ナルダン(Ulysse Nardin、1823-1876)は、スイスのル・ロックル生まれの時計師である。時計メゾンユリス・ナルダンの創業者として知られる。父に時計づくりを学んだのち、地元の名工のもとで精密時計の技術を磨き、1846年に23歳で独立した。懐中クロノメーターと複雑時計で名を上げ、1862年のロンドン国際博覧会ではプライズメダルを受けている。1876年に53歳で没し、工房は息子ポール=ダヴィッドが継いだ。のちに同社が航海用クロノメーターの製造者として知られる素地は、この創業者の代に築かれた。
生涯
01ル・ロックルの時計師一家
ユリス・ナルダン(Ulysse Nardin)は1823年1月22日に生まれた。生地はスイス・ヌーシャテル州の時計の町ル・ロックルである。隣町ラ・ショー=ド=フォンとともに、ジュラ山地の時計づくりを担ってきた町である。ナルダン家はフランシュ=コンテから移ってきた家系とされる。父の世代には、兄弟がそろって時計やケースの製作に携わっていたという。父レオナール=フレデリック・ナルダンも時計師であり、ユリスは最初の手ほどきをこの父から受けた。
家での修業を終えると、ユリスは地元の2人の時計師に師事した。フレデリック=ウィリアム・デュボワと、ルイ・ジャンリシャール=ディ=ブレッセルである。2人はいずれも精密時計を得意とした職人である。父から受け継いだ基礎の上に、精度を詰める技を重ねていく。のちの工房の性格は、この修業期の延長線上にある。
02家族で始めた工房
1846年、ナルダンは23歳でル・ロックルに自らの工房を開いた。工房には父と妹イザリーヌも加わり、家族ぐるみの仕事として出発したとされる。同社の展示室には、創業にあたって父から資金を受けたことを記す古い帳簿が伝わっているという。
最初の顧客はスイスの外にいた。初期の時計はパリの商人を介して、中南米へ送られていたとされる。1850年からは、ボリビアのラパスに住んだ弟ジュールが販売を受け持ったという。山あいの町の小さな工房が、家族のつながりを販路にして大西洋の向こうへ時計を送り出していたのである。
03ジャルダン通りへ
工房を共に支えた父レオナール=フレデリックは、1859年に世を去ったとされる。1863年には、ナルダン自身がル・ロックルの市民権を得たという。1865年には、町のジャルダン通り(Rue du Jardin)へ拠点を移した。この建物は、150年以上を経た現在も同社の本拠として使われている。創業者が選んだ場所が、そのまま会社の住所であり続けている点は、この家の歩みを象徴する。
0453歳での死と継承
1876年2月20日、ナルダンはル・ロックルで没した。53歳であった。工房を引き継いだのは、1855年生まれの息子ポール=ダヴィッド・ナルダンである。創業から30年、精度を売り物にしてきた工房は、20代に入ったばかりの後継者の手に渡った。早すぎる死ではあったが、事業が途切れることはなかった。父が残した工房と顧客、そして精度を測る仕組みが、次の世代の出発点となった。
業績・代表作
01懐中クロノメーターと複雑時計
ナルダンの仕事の中心は、高い精度を持つ携帯用の時計にあった。厳しい調整を経た精密時計をクロノメーターと呼ぶ。彼の工房はこの懐中クロノメーターで評価を得た。あわせてミニッツリピーターなどの複雑時計も手がけ、その品質は国外でも知られたとされる。
装飾よりも、狂わずに時を刻むことに価値を置く。その姿勢は、創業期の製品構成からすでに読み取れる。音で時刻を知らせる複雑機構も、暗がりで時を確かめるための実用の仕掛けであった。
02基準となる時計を手元に置く
1860年、ナルダンは天文用の高精度レギュレーターを手に入れた。製作者は、ル・ロックルの時計師ジャック=フレデリック・ウリエである。レギュレーターとは、他の時計を合わせるための基準時計である。これにより工房は、懐中クロノメーターの精度を自らの手で細かく詰められるようになった。
腕のよい職人がいても、狂いを測る物差しがなければ精度は上がらない。基準器を備えるという判断は、個人の勘に頼る調整から、測定にもとづく調整への移行を意味していた。その成果は、2年後の国際博覧会で表れる。
031862年、ロンドンでの評価
1862年、ロンドン国際博覧会で、ナルダンはプライズメダルを受けた。同社はこれを、懐中クロノメーターに与えられた最高位の賞と位置づけている。英国は、ジョン・ハリソンのH4以来、航海用の精密時計を先導してきた国である。その舞台での受賞は、ジュラの小さな工房の名を国際的に知らしめた。スイスの歴史事典も、この受賞を彼の経歴の要点として挙げている。
04航海計器への道筋
ナルダンの名は今日、航海用のマリンクロノメーターと強く結びついている。ただし、創業者自身がどこまでそれを手がけたかについては、資料の記述が分かれる。1867年にヌーシャテル天文台からマリンクロノメーターの証明書を初めて得たとする資料がある。一方で同社の遺産部門は、最初のマリンクロノメーターの発表を創業者の没年の1876年としている。スイスの歴史事典は、事業がマリンクロノメーターに絞られたのは息子の代だと記す。
確かなのは、精度を外部の尺度で示す仕組みが創業者の代に整ったことである。基準時計による調整、博覧会での比較、天文台での検定がそれにあたる。精度は主張するものではなく、測って示すものだという考え方が、彼の仕事を一貫して貫いている。航海計器への転換は、その仕組みの上に成り立った。
評価・後世への影響
01息子の代に開いた航海計器の時代
ナルダンの没後、息子ポール=ダヴィッドは事業をマリンクロノメーターへと絞り込んだ。1886年には社名を「Paul-D. Nardin」に改めたとされる。20世紀初頭に創業者の名がブランドとして復活し、1922年の株式会社化でも原名が採られたという。同社によれば、1903年にはポール=ダヴィッドの新しいマリンクロノメーターが、ヌーシャテルの競技で上位7位を占めた。同社の計器は、やがて50を超える国の海軍に供給された。
02名前が残したもの
創業家は1975年まで株式の過半を保っていたとされる。クォーツ時計の台頭で経営が傾いた後、1983年にロルフ・W・シュナイダーが会社を引き継いだ。新体制は創業者の時代を参照点に据えた。1996年の創業150周年に発表されたMarineの初作は、文字盤に創業年「1846」を記している。2021年の創業175周年には、ル・ロックルの本社に展示室が開かれ、創業期の懐中時計も並べられたと報じられた。
社名は一度息子の名に替わり、のちに創業者の名へ戻された。経営者が替わり、製品の中身が大きく変わっても、看板には1846年に工房を開いた時計師の名が掲げられ続けている。ナルダンの遺産は、個々の作品以上に、この名前が担ってきた精度の記憶にある。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 A Legacy of Precision: The Manufacture of Ulysse Nardin
- 02 公式 Ulysse Nardin Heritage: A Legacy of Excellence and Innovation
- 03 報道 La historia del futuro de Ulysse Nardin
- 04 専門メディア Nardin, Ulysse
- 05 専門メディア Nardin (Familie)
- 06 専門メディア Ulysse Nardin
- 07 専門メディア Celebrating Success: Ulysse Nardin Marine Collection