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BRAND · FR · EST. 1847

Cartierカルティエ

Country
FR
Founded
1847
Headquarters
フランス パリ
Group
リシュモン・グループ(Compagnie Financière Richemont SA)
Founders
ルイ=フランソワ・カルティエ
Web
www.cartier.com ↗

『王の宝石商、宝石商の王』と称され、サントスとタンクで腕時計の意匠を定義したパリ生まれのメゾン。形そのものを意匠言語として貫いている

01 — 概要 / OVERVIEW

1847年、ルイ=フランソワ・カルティエがパリで創業した宝飾と時計のメゾン。1899年からラ・ペ通り13番地を本拠に、英国王エドワード7世から「王の宝石商、宝石商の王」と称された欧州宮廷御用達の地位を築いた。20世紀初頭、ルイ・カルティエがサントス(1904年)やタンク(1917年)など矩形・樽形・浴槽型の腕時計を相次いで発表し、円形が主流だった時計意匠の語彙を一変させた。1988年以降はリシュモン・グループに属し、近年は自社製ムーブメントの開発も本格化している。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

カルティエが自らに課してきた最も古い掟は、「決して模倣せず、常に創造する」という創業家伝来の標語である。これは単なる宣伝句ではない。20世紀初頭、ルイ・カルティエがエドモン・ジャガーらと組んで矩形・樽形・浴槽型といった非円形ケースを次々と発表したのは、円形が主流だった当時の時計界にあって、形状自体を意匠言語として確立するためであった。

この姿勢は機構面の選択にも反映されている。長らく自社製ムーブメントを持たず、ジャガー・ルクルトやピアジェなど熟練マニュファクチュールから外装に最適な機械を調達してきたメゾンは、2008年以降に自社製造体制を本格的に整備した。ただし、それでも複雑機構を中心軸には据えていない。トゥールビヨンや永久カレンダーも作るが、最優先される価値はあくまでケースとダイヤルが描く比率の正しさである。

意匠面では、ローマ数字、レイルウェイ・ミニッツトラック、ブルースチール製剣型針、リューズに収められたサファイア・カボションといった構成要素を、110年以上にわたり大きく変えていない。流行のサイズ拡大やトレンド色への追随も最小限にとどめる。「現在もまだ価値を持つか」という基準を新作にも繰り返し問うため、メゾンは原則としてスマートウォッチを作らず、機械式とクォーツの双方を、一貫した外装言語のなかで使い分けている。

競合との対比でいえば、パテック フィリップが複雑機構の歴史的継承を、ロレックスが堅牢性の汎用化を追求するのに対し、カルティエが守ってきたのは「形そのものを意匠として永続させる」という、宝飾の側から来た時計の作法である。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. ラ・ペ通りへの道のり

1847年、洗濯婦と金属職人の息子として育ったルイ=フランソワ・カルティエが、修業先であった師アドルフ・ピカールの工房を引き継いだとき、彼が手にしていたのはモントルグイユ通りの小さな店ひとつであった。当時のパリは二月革命前夜の不穏な空気に包まれていたが、若き創業者は早くから個別注文と顧客との対話を重視する姿勢を選び、1856年には皇帝ナポレオン3世の従妹マチルド王女を顧客に迎えるに至る。宮廷出入りの宝飾商という地位を確立すると、店舗は段階的に格上の通りへ移転を重ね、1899年、創業者の孫ルイ・カルティエが選んだラ・ペ通り13番地に本店を据えた。以後この住所は、メゾンの精神的中心であり続けている。

2. 三兄弟、世界へ

ラ・ペ通り移転とほぼ同時期に、ルイの父アルフレッドは三人の息子それぞれに異なる役割を与えた。長男ルイがパリで創作と経営を統括し、次男ピエールは1909年にニューヨーク五番街へ、三男ジャックは1902年にロンドン・ニューボンドストリートへ進出した。三都市三兄弟の体制は、欧州王室、米国の新興富裕層、英領インドのマハラジャたちを同時に顧客とすることを可能にした。英国王エドワード7世が1904年に与えた「王の宝石商、宝石商の王」の言葉は、この時期のカルティエの位置を端的に表している。

同じ1904年、ルイは飛行家アルベルト・サントス=デュモンの「飛行中も時刻を確認したい」という要望に応え、矩形ケースに革ベルトを組み合わせた腕時計を製作した。これがサントスである。1911年の一般販売開始により、装飾品ではない実用品としての男性用腕時計という概念が世に広がっていく。1906年にはトノー、1912年にはトルチュとベニュワールが続き、円形以外のケース形状を意匠言語として確立していった。

3. タンクとアール・デコ

1917年、第一次世界大戦下のパリで、ルイ・カルティエは西部戦線で活躍するルノーFT-17戦車の上面形状から着想を得た腕時計を構想した。試作は米国遠征軍司令官ジョン・パーシング将軍に贈られたと伝わる。「タンク」と名付けられたこの矩形時計は、1919年に最初の6本が市場に出され、すべて1920年初頭までに完売した。直線と比率で構成されたこの形は、アール・デコ運動の流れと共鳴し、20世紀の腕時計意匠における基準点のひとつとなる。続く1921年にはタンク サントレ、1922年にはタンク ルイ カルティエ、1928年にはトルチュ モノプッシャーと、ケース形状とコンプリケーションの実験が並行して進んだ。

4. ジャンヌ・トゥーサンと戦中戦後

1933年、ジャンヌ・トゥーサンが宝飾部門ディレクターに就任した。ルイ・カルティエに「ラ・パンテール」と呼ばれた彼女は、それまで装飾的モチーフの一つに過ぎなかった黒豹を、メゾン全体の象徴に昇華させた。1948年にウィンザー公爵夫人ウォリス・シンプソンのために制作された立体のパンテール・ブローチは、その後の宝飾と時計の双方に影響を及ぼす出発点となる。第二次世界大戦中もパリ本店は営業を続けた。占領期にトゥーサンが一時的に当局の警戒下に置かれた時期を経て、戦後のオートクチュール文化と並走する形でメゾンは再び勢いを取り戻していった。

5. 分離、マスト、そして再統合

1964年のピエール没後、創業家は次第に経営から離れていく。ニューヨーク支店は1962年に売却され、パリ、ロンドンも順次他社の手に渡った。1972年から1974年にかけて、ロベール・オックとジョセフ・カヌイ率いる投資家グループが三都市を再取得し、ブランドは一つの法人へ再統合される。1973年に投入された「レ・マスト・ド・カルティエ」は、ヴェルメイユ(銀製金張り)素材によって価格帯を下げ、若い世代へリーチを広げた。クォーツショックの最中、機械式の保守的選択ではなく、意匠と素材で攻勢に出た判断であった。1978年に再導入されたサントス、1985年にジェラルド・ジェンタが手掛けたパシャは、この戦略の延長線上にある。

6. リシュモンと自社製造の時代

1988年、カルティエはリシュモン・グループ傘下に入り、長期投資の体制が整う。2008年に発表されたバロン ブルー フライング トゥールビヨン(9452 MC、ジュネーブ・シール認定)を皮切りに、自社製ムーブメントの開発が本格化した。2005年から2020年まで開発部門を率いたキャロル・フォレスティエ=カサピは、複雑機構と意匠の整合を主導し、メゾンを実質的なマニュファクチュールへ転換させた。2010年の1904 MC、2015年に始まる限定復刻シリーズ「カルティエ プリヴェ」、2024年のトルチュ モノプッシャー復刻と、過去の意匠遺産を現在の機構で蘇らせる試みが続いている。2024年9月、ヴァシュロン・コンスタンタンからルイ・フェルラがCEOに就任し、メゾンは次の章を迎えている。

04 — History

歴史

A factual chronology

1847年、ルイ=フランソワ・カルティエがパリのモントルグイユ通りで師アドルフ・ピカールの工房を引き継ぎ、自身の名を冠した宝飾店を創業した。1856年にナポレオン3世の従妹マチルド王女を顧客に迎えたことで、宮廷との結びつきが生まれる。1899年、創業者の孫ルイがパリ随一のラ・ペ通り13番地に本店を移し、現在に至るまで同地がメゾンの中心であり続けている。

20世紀初頭、ルイの兄弟ピエールとジャックがそれぞれニューヨーク(1909年)とロンドン(1902年)に支店を構え、三都市三兄弟による国際展開が始まる。1904年、ルイは友人で飛行家のアルベルト・サントス=デュモンのために最初期の男性用腕時計を制作。この個別注文品は1911年に一般販売され、サントスと名付けられた。1906年にトノー、1912年にトルチュおよびベニュワールが続き、1917年にはルノーFT-17戦車の上面形状から着想を得たタンクが設計された。最初の6本は1919年に市販されている。

1933年、ジャンヌ・トゥーサンが宝飾部門ディレクターに就任。パンテール(黒豹)を意匠の核に据え、メゾンの装飾語彙を一変させた。1964年のピエール没後、三家分離経営を経て、1972年から1974年にかけてロベール・オックとジョセフ・カヌイ率いるグループが三都市を順次取得し、ブランドを再統合した。1973年には廉価帯の「レ・マスト・ド・カルティエ」が登場し、ヴェルメイユ素材の時計が広く支持された。1985年のパシャはジェラルド・ジェンタの手による設計である。

1988年、リシュモン・グループ傘下に入る。2008年以降は自社製キャリバーの開発に本腰を入れ、2010年に「カリブル ド カルティエ」とともに自社開発初の量産自動巻ムーブメント1904 MCを発表。2015年には限定復刻シリーズ「カルティエ プリヴェ」が始動し、2024年にはトルチュ モノプッシャーが第8作として再登場した。2024年9月、ルイ・フェルラがシリル・ヴィニュロンの後を継ぎCEOに就任している。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

カルティエのシリーズ群は、形を意匠言語として読み解くと理解しやすい。最古層に位置するのが、サントス(1904年)、トノー(1906年)、トルチュとベニュワール(共に1912年)、タンク(1917年)からなる、ベル・エポックからアール・デコ初期のケース形状群である。

サントスは矩形のベゼルに露出した8本のビスを残し、航空黎明期の機能美をそのまま現代へ伝える。タンクは長方形ケースに左右のブランカール(縦の側面柱)を備えた最も知名度の高いシリーズで、タンク ルイ カルティエ、タンク フランセーズ、タンク アメリカン、タンク アングレーズなど多数の派生を抱える。トルチュはその名のとおり亀の甲羅に似た曲線的なケース、ベニュワールは縦長の浴槽形オーバルケースを採る。トノーは樽型の湾曲ケースで、手首への馴染みの良さを意匠として追求した最初期の例である。

20世紀後半に加わったのが、1983年にジャンヌ・トゥーサンの愛称を冠したパンテール、1985年にジェラルド・ジェンタが手掛けたパシャ、2007年に発表されたバロン ブルーである。パンテールは小ぶりの角型ケースとフレキシブルなブレスレットの組み合わせ、パシャは円形ケースに角型のミニッツトラックを重ねる構成、バロン ブルーはリューズを保護するサファイア・カボションを丸みのあるケースに埋め込んだ立体造形が特徴である。

加えて、1967年にロンドンのジャン=ジャック・カルティエとルパート・エマーソンが生み出したクラッシュは、メゾンの正統意匠から逸脱した非対称ケースの実験として、現在も限定復刻のたびに高い関心を集める。これら多形のシリーズを横断するのが、ローマ数字、レイルウェイ・トラック、ブルースチール製剣型針、リューズのサファイア・カボションという、メゾン共通の意匠語彙である。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Calibers

主要キャリバー

Movements of the house
キャリバー一覧 →
08 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

カルティエは、20世紀を通じて王侯貴族、芸術家、映画スターと深く結びついてきた。英国王エドワード7世が1904年に与えた「王の宝石商、宝石商の王」の称号は、英王室をはじめとする多数の宮廷御用達指定の起点となった。

腕時計領域では、タンクが特に多くの著名人の手首に渡っている。ジャクリーン・ケネディは1963年に義兄スタニスワフ・ラジヴィウから贈られたタンク ルイ カルティエを長年愛用し、その個体は2017年のクリスティーズで37万9,500米ドルで落札された。アンディ・ウォーホルは「時計を見るためにタンクを巻いたことはない。これは身につけるべき時計だ」と語ったと伝わる。映画では1926年の『熱砂の舞』にルドルフ・ヴァレンティノが着用した記録が残る。ダイアナ妃、イヴ・サンローラン、モハメド・アリ、カトリーヌ・ドヌーヴらも、それぞれの時代にタンクを身につけた人物として知られる。