物語
01ラ・ペ通りへの道のり
1847年、洗濯婦と金属職人の息子として育ったルイ=フランソワ・カルティエが、修業先であった師アドルフ・ピカールの工房を引き継いだとき、彼が手にしていたのはモントルグイユ通りの小さな店ひとつであった。当時のパリは二月革命前夜の不穏な空気に包まれていたが、若き創業者は早くから個別注文と顧客との対話を重視する姿勢を選び、1856年には皇帝ナポレオン3世の従妹マチルド王女を顧客に迎えるに至る。宮廷出入りの宝飾商という地位を確立すると、店舗は段階的に格上の通りへ移転を重ね、1899年、創業者の孫ルイ・カルティエが選んだラ・ペ通り13番地に本店を据えた。以後この住所は、メゾンの精神的中心であり続けている。
02三兄弟、世界へ
ラ・ペ通り移転とほぼ同時期に、ルイの父アルフレッドは三人の息子それぞれに異なる役割を与えた。長男ルイがパリで創作と経営を統括し、次男ピエールは1902年にロンドンの店を開き、1909年にはニューヨーク五番街へ進出した。ロンドンの店は1906年から三男ジャックが率い、1909年にニューボンドストリートへ移った。三都市三兄弟の体制は、欧州王室、米国の新興富裕層、英領インドのマハラジャたちを同時に顧客とすることを可能にした。英国王エドワード7世が1904年に与えた「王の宝石商、宝石商の王」の言葉は、この時期のカルティエの位置を端的に表している。
同じ1904年、ルイは飛行家アルベルト・サントス=デュモンの「飛行中も時刻を確認したい」という要望に応え、矩形ケースに革ベルトを組み合わせた腕時計を製作した。これがサントスである。1911年の一般販売開始により、装飾品ではない実用品としての男性用腕時計という概念が世に広がっていく。1906年にはトノー、1912年にはトーチュとベニュワールが続き、円形以外のケース形状を意匠言語として確立していった。
03タンクとアール・デコ
1917年、第一次世界大戦下のパリで、ルイ・カルティエは西部戦線で活躍するルノーFT-17戦車の上面形状から着想を得た腕時計を構想した。試作は1918年に米国遠征軍司令官ジョン・パーシング将軍に贈られたと伝わる。「タンク」と名付けられたこの矩形時計は、1919年に最初の6本が市場に出され、すべて1920年初頭までに完売した。直線と比率で構成されたこの形は、アール・デコ運動の流れと共鳴し、20世紀の腕時計意匠における基準点のひとつとなる。続く1921年にはタンク サントレ、1922年にはタンク ルイ カルティエ、1928年にはトーチュ モノプッシャーと、ケース形状とコンプリケーションの実験が並行して進んだ。
04ジャンヌ・トゥーサンと戦中戦後
1933年、ジャンヌ・トゥーサンが宝飾部門ディレクターに就任した。ルイ・カルティエに「ラ・パンテール」と呼ばれた彼女は、それまで装飾的モチーフの一つに過ぎなかった黒豹を、メゾン全体の象徴に昇華させた。1948年にウィンザー公爵夫人ウォリス・シンプソンのために制作された立体のパンテール・ブローチは、その後の宝飾と時計の双方に影響を及ぼす出発点となる。第二次世界大戦中もパリ本店は営業を続けた。占領期にトゥーサンが一時的に当局の警戒下に置かれた時期を経て、戦後のオートクチュール文化と並走する形でメゾンは再び勢いを取り戻していった。
05分離、マスト、そして再統合
1964年のピエール没後、創業家は次第に経営から離れていく。ニューヨーク支店は1962年に売却され、パリ、ロンドンも順次他社の手に渡った。1972年にパリ、1974年にロンドン、1976年にニューヨークと、ロベール・オックとジョセフ・カヌイ率いる投資家グループが三都市を順に買い戻し、1979年に「カルティエ モンド」として一つの傘下へ統合された。1973年に投入された「レ マスト ドゥ カルティエ」は、ヴェルメイユ(銀製金張り)素材によって価格帯を下げ、若い世代へリーチを広げた。クォーツショックの最中、機械式の保守的選択ではなく、意匠と素材で攻勢に出た判断であった。1978年に再導入されたサントス、1985年にジェラルド・ジェンタが手掛けたパシャは、この戦略の延長線上にある。
06リシュモンと自社製造の時代
1988年、カルティエはリシュモン・グループ傘下に入り、長期投資の体制が整う。2008年に発表されたバロン ブルー フライング トゥールビヨン(9452 MC、ジュネーブ・シール認定)を皮切りに、自社製ムーブメントの開発が本格化した。2005年から2020年まで開発部門を率いたキャロル・フォレスティエ=カサピは、複雑機構と意匠の整合を主導し、メゾンを実質的なマニュファクチュールへ転換させた。2010年の1904 MC、2015年に始まる限定復刻シリーズ「カルティエ プリヴェ」、2024年のトーチュ モノプッシャー復刻と、過去の意匠遺産を現在の機構で蘇らせる試みが続いている。2024年9月、ヴァシュロン・コンスタンタンからルイ・フェルラがCEOに就任し、メゾンは次の章を迎えている。