ルートヴィヒ・エクスリン
ユリス・ナルダンの天文三部作とフリークを設計し、歯車による簡素化を追究してきた時計師・時計史家
- BORN
- 1952年
- DIED
- 存命
- BRAND
- ユリス・ナルダン — 1846年創業
概要
生涯
01古典学から時計の工房へ
エクスリンは1952年、イタリアのアドリア海沿いの町ガビッチェ・マーレに生まれ、スイスのルツェルンで育った。1972年にバーゼル大学へ進み、考古学、古代史、ギリシア語を学ぶ。研究者か教師になる道が見えていたが、学業は思うように進まなかったと本人は振り返っている。
生計の手段を探した彼は、金細工と時計のどちらに進むかを迷い、時計を選んだと語っている。24歳でルツェルンの時計師ヨルク・シュペーリングに弟子入りし、大学に籍を置いたまま週末ごとに工房へ通った。修業と並行させると、かえって学業がはかどるようになったという。
02ヴァチカンの天文時計
師のもとで、エクスリンはローマに赴く。ヴァチカン図書館が所蔵する1725年製の天文時計、ファルネーゼ時計の修復である。1978年から1982年にかけて、彼は時計を分解し、機構を図面に起こしてから組み直した。
この仕事は修理にとどまらなかった。製作者ベルナルド・ファチーニは歯車列を計算する数学を持たず、多くを試行で決めていたとエクスリンはみる。機構を理解するために組み立てた計算モデルが、後の設計の道具になったと彼は語っている。1980年代初めには、博士号も取得した。
03ユリス・ナルダンとの協働
1983年、ユリス・ナルダンを買収した実業家ロルフ・W・シュナイダーが、シュペーリングの工房を訪れる。そこにあったのは、エクスリンが手がけたアストロラーベ式の天文時計だった。シュナイダーはこれを腕時計に縮められないかと尋ねる。エクスリンは「可能だが、ばかげている」と答えたと振り返っている。それでもシュナイダーは譲らず、1985年にアストロラビウム・ガリレオ・ガリレイが完成した。
二人の協働は、その後およそ20年続く。エクスリンはユリス・ナルダンの設計を担いながら、研究と教育の仕事も手放さなかった。1993年には連邦認定のマイスター資格を取得した。チューリッヒのスイス連邦工科大学(ETH)では教授資格を得て、講義を受け持っている。1995年には、国際時計博物館が贈るガイア賞を歴史・研究部門で受けたとされる。
04博物館の館長として
2001年、エクスリンはラ・ショー=ド=フォンの国際時計博物館(MIH)の館長に就いた。在任中は利益相反を避けるため、ブランドへの新たな設計は認められていなかったとされる。古い展示を改め、来館者向けの解説を増やしたことを、彼は主な仕事に挙げている。
2005年には、博物館の資金を集める目的でMIHウォッチを考案した。販売を担った小売店との縁から、のちに仲間とオクス&ジュニア(ochs und junior)を興している。2014年2月、エクスリンは館長を退いた。
05現在の仕事
館を離れたあとも設計は続いている。2026年の取材では、週の大半を工房で過ごし、試作を重ねていると語った。ルツェルンの謝肉祭の始まりを告げる時計を構想し、復活祭の日付を機械で割り出すための計算をすでに終えているという。
業績・代表作
01天文三部作と暦の機構
アストロラビウム・ガリレオ・ガリレイは、地上から見た太陽、月、星の位置や、日食と月食を文字盤に示した。これを単独の作品にせず、三部作とする構想はエクスリンの発案だったと伝わる。1988年のプラネタリウム・コペルニクスは、太陽を巡る惑星の配置を示す。1992年のテルリウム・ヨハネス・ケプラーは、北極の上から見た地球の昼夜を表す。同じ太陽系を三つの視点から描き分けたのがトリロジー・オブ・タイムである。いずれも、ファルネーゼ時計の解析で身につけた遊星歯車の計算が土台にある。
暦の分野では、1996年の永久カレンダー「パーペチュアル・ルートヴィヒ」が要となる。従来の永久カレンダーはレバーとばねで表示を送るため、止まった時計の再設定が難しかった。エクスリンはこれを歯車で組み直し、日付を前後どちらにも合わせられるようにした。1999年のGMT±パーペチュアルでは、押しボタンで時差を前後に切り替える機構と一体にしている。
02フリークの再設計
フリークの出発点は、キャロル・フォレスティエ=カサピが賞を得た回転式ムーブメントの構想にある。シュナイダーがこの案を買い取ったが、そのままでは動力が足りず、時計として成り立たなかった。エクスリンは回転を1時間に1周とし、ムーブメントそのものを分の表示に使った。香箱はケース裏いっぱいに広げ、駆動時間を大きく延ばしている。
調速には、ブレゲの自然脱進機に着想を得たデュアル・ダイレクト脱進機を考案した。2枚の脱進車が中央の小さな部品へ対称に力を送り、摩擦を抑える方式である。金属では重すぎたこの部品のために、技術責任者ピエール・ギガックスがシリコンの研究を進めた。フリークは、市販時計の脱進機にシリコン部品を使った最初の例とされる。
03足し算ではなく合成で
エクスリンの設計を貫くのは、部品を減らして信頼性を得るという考え方である。問題ごとに解を並べる加算的な方法ではなく、一つの解で複数の問題を片づける総合的な解を探すと彼は説明する。考える過程は複雑でも、できあがる部品は少なくなる。
その手段が歯車である。レバーとばねで機能を切り替える代わりに、回転する車の組み合わせで表示を動かす。表示の読みやすさも重んじ、判読できない時計は道具としての意味を失うという立場をとる。
失われた技術の掘り起こしも、方法の一部である。彼は18世紀ドイツの牧師で発明家のフィリップ・マテウス・ハーンの研究に携わった。回転部品だけで動くハーンの永久カレンダーを、現代に作り直して超えることを課題に挙げている。
04博物館時代以降の作品
MIH在任中にも、彼が以前に納めた設計がユリス・ナルダンから製品化された。アラーム付きのソナタと、2009年のムーンストラックである。後者は太陽と月の位置を地球の周りに示し、潮の大小を読み取らせる。
自身の名で出した時計では、簡素化がさらに前面に出る。MIHウォッチは汎用ムーブメントに少数の部品でアニュアルカレンダーを加えたものである。オクス&ジュニアでは、文字盤の穴を表示に使う暦時計を展開した。フリークの系譜は25年を経て続き、2023年にはフリーク・ワンがGPHGのアイコニック部門賞を受けている。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 The Freak Revolution
- 02 公式 Ludwig Oechslin – Curriculum Vitae
- 03 報道 Bonjour, Ludwig Oechslin!
- 04 専門メディア Ludwig Oechslin – “Dr. Less”
- 05 専門メディア The MIH appoints a man of standing as Curator
- 06 専門メディア Ulysse Nardin
- 07 専門メディア Ludwig Oechslin Retires As MIH (International Museum Of Horology) Curator And Director
- 08 専門メディア Moonstruck Again: How Ulysse Nardin Never Ceases To Amaze
- 09 専門メディア Editorial: Winners at the 2023 Grand Prix d’Horlogerie de Genève
- 10 専門メディア Interview With Ludwig Oechslin, The Creator of Ulysse Nardin’s ‘Freak’
- 11 専門メディア Meeting Mr. Wizard (WatchTime, August 2011)
- 12 専門メディア Gaïa Prize 2010
- 13 専門メディア Moonstruck