物語
01山村の工房から
1874年、19歳のジョルジュ=エドゥアール・ピアジェは、ジュラ山脈の標高千メートルを超える村ラ・コート=オー=フェで、家業の農場の一室に工房を構えた。長い冬、雪に閉ざされた村では、多くの農民が副業として時計部品を手がけていた。彼もその一人として、レバー脱進機(てこ式の脱進機構)の精度を磨くことから始めた。
当初のピアジェは、完成品を売る時計ブランドではなかった。ジュラの山村から、ジュネーブやパリの時計商へ高品質なムーブメントを供給する、いわば時計師のための時計師だった。名だたる時計商がピアジェ製のエボーシュ(半製品のムーブメント)を用いたと伝わる。創業者が掲げた「常に必要以上に良いものを」という言葉は、この時代の仕事の質から生まれている。1911年、息子ティモテが事業を継ぎ、懐中時計から腕時計へと比重を移していった。
02ピアジェという名の誕生
転機は1943年に訪れる。三代目にあたるジェラルドとヴァランタンの兄弟が「Piaget」を商標として登録し、自らの名を冠した時計を世に出す道を選んだ。1945年、ラ・コート=オー=フェに新しいマニュファクチュールを建設。供給者からブランドへの転身が、ここから始まった。
弟ヴァランタンは、薄さに取り憑かれた技術者だったとされる。「誰もやっていないことをやれ」と設計陣に求めたと伝わる。その執念が結実したのが1957年のキャリバー9Pである。厚さわずか2ミリの手巻きムーブメントは、バーゼルフェアで衝撃を与えた。あまりの薄さに、実在を疑う声さえあったという。
03薄さと色彩の時代
9Pは始まりにすぎなかった。1960年、ピアジェはマイクロローターを内蔵した自動巻きキャリバー12P(2.3ミリ)を発表し、当時最薄の自動巻きという記録を打ち立てた。回転錘を輪列と同じ平面に収めるこの構造は、以後の薄型自動巻きの原型となった。
薄型ムーブメントは、ピアジェにもう一つの可能性を開いた。極端に薄いケースは、ダイヤルやブレスレットを装飾の舞台へと変えた。1959年にジュネーブへ開いたサロンを足がかりに、メゾンは時計師から宝飾師へと領域を広げる。1960年代には、ラピスラズリ、トルコ石、オニクスといった硬石をダイヤルに用い、金無垢のケースと組み合わせた。エリザベス・テイラーやジャクリーン・ケネディらが、その装飾的な時計を身につけたと伝わる。
04ジェット・セットとポロ
1970年代、ピアジェは時代の空気と深く結びつく。四代目イヴ・ピアジェは、宝石学を学んだのち、華やかな社交を通じてブランドの存在感を高めていった。著名人を集めた「ピアジェ・ソサエティ」がその舞台である。
1979年、イヴはニューヨークの販売代理人との対話から、一本の時計を生んだ。ポロである。鋼の高級スポーツウォッチが台頭する時代に、ピアジェは金無垢でこれに応えた。ケースとブレスレットを継ぎ目なく一体化させ、ガドルーンと呼ばれる畝模様で覆ったその姿は、「時計を備えたブレスレット」とも評された。ブランドが初めて固有の名を与えた製品でもあった。クォーツショックの渦中にあって、ピアジェは1976年の最薄クォーツ7Pを擁し、むしろ繁栄した点も時代を映している。
05グループの時代と記録の更新
1988年、創業家はピアジェをヴァンドーム・ラグジュアリー・グループへ譲渡した。同グループは後にリシュモンへと統合される。経営の主体は移ったが、イヴ・ピアジェは社長、のちに大使として長く関わり続けた。2001年にはジュネーブ近郊プラン=レ=ウアットへ新たなマニュファクチュールを開き、金細工と宝飾の拠点とした。
薄型への探求は止まらなかった。2010年、自動巻き12Pの50周年を機に発表したアルティプラノは、ムーブメントと時計の双方で薄型記録を更新したと伝わる。2014年のアルティプラノ900Pは、裏蓋を地板として用いる一体構造により総厚3.65ミリを実現し、機械式時計の最薄記録を更新した。2018年にはこの構造をさらに推し進め、2ミリのアルティメット・コンセプトを発表している。近年はブルガリが薄型記録の多くを保持しており、最薄の称号は両社の間で移り変わっている。
2024年、ピアジェは創業150周年を迎えた。この年に復刻されたポロ79は、金無垢の原典へ立ち返る選択だった。山村の供給者として始まり、宝飾と薄型という二つの個性を磨いてきたメゾンは、その来歴を確かめ直しながら次の時代へ向かっている。