ニコラス・G・ハイエック
クォーツ危機のスイス時計産業を再編し、スウォッチ・グループを築いた経営者(1928-2010)
- BORN
- 1928年
- DIED
- 2010年
- BRANDS
- ブランパン / ロンジン / オメガ
- MODELS
- 10 本
概要
ニコラス・G・ハイエック(Nicolas G. Hayek、1928-2010)は、レバノン生まれのスイスの経営者である。経営コンサルティング会社ハイエック・エンジニアリングを率いていた1980年代初め、日本の競合に押されて破綻の瀬戸際にあったスイスの2大時計グループ、ASUAGとSSIHの清算を任されたが、清算ではなく合併による再建を提言した。1983年の合併で生まれた会社は1986年にSMHと名を改め、1998年にスウォッチ・グループとなる。同じ1983年に登場したスウォッチの成功を足がかりに、1992年にブランパン、1999年にブレゲを傘下に収めた。2010年6月28日、執務中に亡くなった。
生涯
01コンサルタントとして
WIPO(世界知的所有権機関)の機関誌は、ハイエックが1928年2月19日にレバノンで生まれ、スイスに移り住んでスイス国籍を得たと伝えている。Worn & Woundによれば、ハイエックは一代で財を成した実業家で、技術と経営の助言を行うハイエック・エンジニアリングの創業者であった。同社は1970年代を通じて、スイスのいくつもの企業の再編に関わった。
02ASUAGとSSIHの再建
1970年代、スイスの時計産業はクォーツ時計の台頭と日本の競合に押されていた。Worn & Woundによれば、ASUAGとSSIHはいずれもクォーツへの取り組みが遅れ、やがて破綻と清算の危機に直面した。1979年、銀行家の友人がハイエックに、ASUAGとSSIHを日本に売却する計画を立ててほしいと依頼したが、ハイエックはこれに憤ったという。WIPOの記事も、1980年代初めにスイスの銀行団からASUAGとSSIHの清算を監督するよう求められたハイエックが、スイスの時計産業には未来があり、世界の首位に戻れると確信していたと書いている。
ハイエックの提言の筆頭は、両社の合併であった。銀行団はこれを受け入れ、ハイエックは合併を監督する委員会を率いた。1983年に両社はSSIH/ASUAGホールディングとして統合され、ハイエックは取締役会長に就いた。Worn & Woundによれば、初代の最高経営責任者には1984年から1991年までエルンスト・トムケが就いた。銀行団はハイエックに、会社の51%の株式を1億5100万スイスフランで取得するよう持ちかけ、ハイエックは投資家の連合をまとめて1985年にこれを実現した。1986年、会社はSMHと名を改めた。
03スウォッチ・グループと最期
SMHは1998年にスウォッチ・グループへと改称された。1999年、ハイエックはブレゲを取得する決断を下した。2010年6月、ハイエックはスウォッチ・グループの事務所で執務中に急逝した。82歳であった。息子のニック・ハイエックは、のちにスウォッチ・グループの最高経営責任者を務めている。
業績・代表作
01スウォッチ
Worn & Woundによれば、ハイエックの提言の2番目は、のちにスウォッチとなる時計を開発することであった。同誌は、この名を「ハイエックのセカンド・ウォッチ」を縮めたものと書いている。WIPOの記事は、「S」がスイスと「セカンド」を表し、作られた場所と、手頃な価格のために一人が複数を持てることを示すと説明する。ハイエックは、この新しい時計が会社に余力と資金をもたらし、スイスの時計づくりを栄光へ戻す助けになると期待した。WIPOの記事は、1983年のスウォッチの発売にハイエックが決定的な役割を果たし、それが大衆文化の象徴になったと書いている。
02再建の考え方
Worn & Woundによれば、ハイエックはASUAGとSSIHを救うことを、ムーブメントを作るETAを救う道と考えていた。WIPOの記事は、ハイエックを、グループの多数のブランドの評判と格を生かす単純な考え方を持ち込んだマーケティングの名手と評している。同誌によれば、ハイエックが率いたSMHは5年のうちに世界で最も価値の高い時計会社になった。
03高級ブランドの取得
ハイエックの時代に、グループは機械式の名門を取り込んでいった。1992年にはブランパンとフレデリック・ピゲを取得し、1999年にはブレゲを取得した。Worn & Woundは、ブレゲの取得をハイエックの情熱的な決断と書いている。
評価・後世への影響
WIPOの記事は、ハイエックを、1980年代に大量生産の安価な電子式時計の脅威にさらされたスイスの時計産業を再生させた人物として広く評価されていると書いている。清算を任された2つの会社を、合併によって立て直す道を選んだことが、その出発点であった。
ハイエックが亡くなった後も、スウォッチ・グループは一族による経営が続いている。Worn & Woundは、ハイエックがスウォッチ・グループの事務所で執務中に亡くなったことを、悲劇的でありながら、どこかふさわしいものだったと書いている。
この人物が関わったモデル
出典
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