物語
01ランカスター、再起の街にて
1892年12月14日、ペンシルベニア州ランカスター。アンドリュー・ハミルトンに由来する社名で正式に発足したこの時計会社は、すでに数度の経営破綻を経験した工場と機械を引き継ぐところから始まった。前身となるアダムス&ペリー時計製造会社(1874年設立)、ランカスター時計会社、キーストン・スタンダード時計会社は、いずれも安定した経営に至らないまま消えていった。地元の実業家たちが集まり、破綻した工場に再び火を入れる選択をしたのがハミルトン・ウォッチ・カンパニーである。最初の懐中時計が市場に出たのは翌1893年。設計を担当したH.J.ケインは創業メンバーの一人であった。
02鉄道の時計職人
ハミルトンの最初の主戦場は、急速に網目を広げる米国の鉄道であった。1891年4月、オハイオ州キプトンで起きた列車正面衝突事故は、機関士の懐中時計が4分間停止していたことが原因の一つと伝わる。これを契機に宝石商ウェッブ・C・ボールが時計検査制度を整え、1893年には開放面・17石以上・5姿勢調整といった鉄道時計基準が定められた。新興のハミルトンは、この基準を満たす量産機を立て続けに送り出した。1898年に登場したグレード940を皮切りに、グレード992、後年の992Bが鉄道職員の制服ポケットに収まっていく。20世紀初頭にはハミルトンが米国鉄道用懐中時計市場の過半を占めるに至り、「The Railroad Timekeeper of America」の呼称が定着している。
03戦場と空の世紀
第一次世界大戦に米国が参戦した1917年、ハミルトンはジョン・パーシング率いる米国遠征軍に時計を供給した。塹壕戦の現実は腕に巻ける時計への需要を不可逆に押し上げ、ハミルトンも腕時計製造に大きく舵を切る。1918年には米国郵政の航空郵便事業が始まり、操縦士たちはハミルトンの航空時計を携えて大陸を結ぶ郵便を運んだ。1930年代にはTWA、イースタン、ユナイテッド、ノースウエストの4大航空会社が公式採用に動いている。
しかし最大の試練は1942年に訪れた。ハミルトンは民生品の生産を完全に停止し、工場のすべてを米軍向けに振り向けた。1942年から1945年までの3年余りの間に100万個を超える腕時計を出荷し、Army-Navy「E」アワードを5度受賞している。中でも特筆されるのが、1942年2月27日に米海軍天文台へ初の試作機が納入されたマリンクロノメーターModel 21である。それまで米海軍の艦艇用クロノメーターはほぼ欧州からの輸入に頼っていたが、戦時下の供給途絶により、米国内で量産可能な機種を新たに立ち上げる必要があった。ハミルトンは伝統的なディテント脱進機を改良し、海軍が要求する日差1.55秒以内の精度を量産品で満たす設計を確立。戦時中に海軍向けで約8,902個、商船向けで約1,500個、陸軍向けで約500個を納入したと伝わる。
04電気と数字の挑戦
戦後、ハミルトンは10年に及ぶ研究の末、1957年1月3日にニューヨークのサヴォイ・プラザ・ホテルで世界初の電池駆動腕時計ベンチュラを発表した。インダストリアル・デザイナーのリチャード・アービブが手がけた左右非対称のシールド型ケースは、それまでの時計の常識から大きく逸脱した造形であった。動力源はゼンマイではなくボタン電池で、心臓部はキャリバー500。初期型には信頼性の課題があり、1961年投入の改良型キャリバー505で解消されたと伝わる。同年公開の『ブルー・ハワイ』でエルヴィス・プレスリーが着用したことは、その後のモデルの位置づけを決定づけた。
技術的探究はさらに続く。1968年にスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』のために未来的なデジタル時計をハミルトンに依頼し、これが社内のデジタル開発の引き金となる。テキサスのエレクトロ/データ社と組み、技術者ジョン・バーギーらがLED表示の腕時計開発を進め、1970年5月にジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』で試作機が披露された。製品版のパルサーP1が市場に出たのは1972年で、18金ケース・米ドル2,100の価格は当時の小型車1台に相当した。
05米国製造の終わり、スイスへの移住
1960年代に入ると、米国時計産業は構造的な転換点を迎えていた。賃金水準や為替条件は欧州の同業に対する競争力を削り、量産能力だけでは戦えない時代になっていた。ハミルトンは1966年にスイスのビューレン社(Büren an der Aare)を買収し、薄型自動巻ムーブメントの製造技術を取り込む。1969年にはランカスター工場での腕時計製造を終了し、生産拠点を完全にスイスへ移した。鉄道用懐中時計992Bは同年に最後のロットが出荷され、米国における懐中時計製造の系譜は一旦幕を閉じている。
その後の経営的混乱のなか、1974年5月16日、オメガとティソを擁する持株会社SSIHがハミルトンを取得する。1983年のSSIHとASUAGの合併で生まれたASUAG-SSIHは1985年にSMHへ改称し、1998年にスウォッチ・グループとなり、ハミルトンは現在に至るまで同グループに属する。2003年には本社機能をスイスのビール/ビエンヌに移転している。
06物語を着る時計として
スイスでの再出発以降のハミルトンは、軍用・航空・鉄道の歴史を持つ実用時計と、ハリウッドが選ぶ「物語を持つ時計」という二つの軸を同時に走らせてきた。ベンチュラは1997年公開の『メン・イン・ブラック』で再び脚光を浴び、2014年のクリストファー・ノーラン監督作『インターステラー』では、新たに製作されたカーキ・フィールド・マーフが物語の鍵となる時計として登場した。製造面でも、スウォッチ・グループ傘下でETAとの共同開発が深化し、80時間パワーリザーブのH-10をはじめとするムーブメント群を各シリーズに展開している。米国時代の精神とスイスの量産精度を、現代の価格帯で両立させる試みが続いている。