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BRAND · CH · EST. 1892

Hamilton

ハミルトン

米国に生まれスイスへ製造を移し、鉄道精度と軍用堅牢を引き継ぎながら銀幕にも選ばれ続ける実用主義の時計ブランド

COUNTRY
CH
FOUNDED
1892
HEADQUARTERS
スイス ビール/ビエンヌ
GROUP
スウォッチ・グループ
FOUNDERS
ランカスターの地元実業家による共同設立(初代会長 John W. B. Bausman)
01 — OVERVIEW

概要

ハミルトン(Hamilton)は1892年に米国ペンシルベニア州ランカスターで創業し、現在はスイスのビール/ビエンヌに本社を置くスウォッチ・グループ傘下のブランドである。19世紀末の米国鉄道に高精度の懐中時計を供給した実績から「The Railroad Timekeeper of America」と呼ばれ、第二次世界大戦中には民生品の生産を停止して米軍に100万個を超える時計を納入した。1957年には世界初の電池駆動腕時計ベンチュラを、1972年にはLED表示のパルサーを世に問うている。米国の時代精神とスイス製造の精度が交わる位置に立つ、独特の系譜を抱えたブランドである。

02 — PHILOSOPHY

設計思想

What this house values

ハミルトンが一貫して立ち続けてきた場所は、「装飾の時計」ではなく「使われる時計」の側である。鉄道職員の懐中時計、米軍兵士の腕時計、航空便を結ぶパイロットの計器、海軍艦艇のマリンクロノメーター。19世紀末から20世紀半ばまでの代表作はいずれも、過酷な業務のなかで正確に時を刻むことを求められた道具であった。複雑機構やケースの装飾仕上げを競うジュネーブ系の伝統とは、出発点から思想が異なる。

機構面では、「絶対精度」より「実用精度と量産可能性の両立」を選んできた歩みが見える。第二次世界大戦中のマリンクロノメーターModel 21では、伝統的なディテント脱進機を改良し、量産下でも納入基準を満たす設計を新たに起こした。戦後の電池駆動ベンチュラやLED式パルサーも、機構美ではなく日常を変える新しい計時手段を志向した試みであった。

意匠面では、リチャード・アービブによるベンチュラの非対称ケースが象徴するように、機能を損なわない範囲で造形的冒険を許容してきた。一方でカーキ・フィールドのようにMIL-W-46374の系譜を忠実に受け継ぐ実直な姿も併せ持ち、両極の幅広さがブランドの輪郭を作っている。

商業面では、スウォッチ・グループ傘下に入ってからも、ティソやロンジンとは異なる立ち位置を保ってきた。複雑機構や貴金属で価格帯を引き上げる方向に進まなかった選択の結果として、機械式とクォーツの双方を抱えながら、米国的物語と日常使用に堪える実用性を中核に据える現在の姿がある。

03 — STORY

物語

A narrative of the house

01ランカスター、再起の街にて

1892年12月14日、ペンシルベニア州ランカスター。アンドリュー・ハミルトンに由来する社名で正式に発足したこの時計会社は、すでに数度の経営破綻を経験した工場と機械を引き継ぐところから始まった。前身となるアダムス&ペリー時計製造会社(1874年設立)、ランカスター時計会社、キーストン・スタンダード時計会社は、いずれも安定した経営に至らないまま消えていった。地元の実業家たちが集まり、破綻した工場に再び火を入れる選択をしたのがハミルトン・ウォッチ・カンパニーである。最初の懐中時計が市場に出たのは翌1893年。設計を担当したH.J.ケインは創業メンバーの一人であった。

02鉄道の時計職人

ハミルトンの最初の主戦場は、急速に網目を広げる米国の鉄道であった。1891年4月、オハイオ州キプトンで起きた列車正面衝突事故は、機関士の懐中時計が4分間停止していたことが原因の一つと伝わる。これを契機に宝石商ウェッブ・C・ボールが時計検査制度を整え、1893年には開放面・17石以上・5姿勢調整といった鉄道時計基準が定められた。新興のハミルトンは、この基準を満たす量産機を立て続けに送り出した。1898年に登場したグレード940を皮切りに、グレード992、後年の992Bが鉄道職員の制服ポケットに収まっていく。20世紀初頭にはハミルトンが米国鉄道用懐中時計市場の過半を占めるに至り、「The Railroad Timekeeper of America」の呼称が定着している。

03戦場と空の世紀

第一次世界大戦に米国が参戦した1917年、ハミルトンはジョン・パーシング率いる米国遠征軍に時計を供給した。塹壕戦の現実は腕に巻ける時計への需要を不可逆に押し上げ、ハミルトンも腕時計製造に大きく舵を切る。1918年には米国郵政の航空郵便事業が始まり、操縦士たちはハミルトンの航空時計を携えて大陸を結ぶ郵便を運んだ。1930年代にはTWA、イースタン、ユナイテッド、ノースウエストの4大航空会社が公式採用に動いている。

しかし最大の試練は1942年に訪れた。ハミルトンは民生品の生産を完全に停止し、工場のすべてを米軍向けに振り向けた。1942年から1945年までの3年余りの間に100万個を超える腕時計を出荷し、Army-Navy「E」アワードを5度受賞している。中でも特筆されるのが、1942年2月27日に米海軍天文台へ初の試作機が納入されたマリンクロノメーターModel 21である。それまで米海軍の艦艇用クロノメーターはほぼ欧州からの輸入に頼っていたが、戦時下の供給途絶により、米国内で量産可能な機種を新たに立ち上げる必要があった。ハミルトンは伝統的なディテント脱進機を改良し、海軍が要求する日差1.55秒以内の精度を量産品で満たす設計を確立。戦時中に海軍向けで約8,902個、商船向けで約1,500個、陸軍向けで約500個を納入したと伝わる。

04電気と数字の挑戦

戦後、ハミルトンは10年に及ぶ研究の末、1957年1月3日にニューヨークのサヴォイ・プラザ・ホテルで世界初の電池駆動腕時計ベンチュラを発表した。インダストリアル・デザイナーのリチャード・アービブが手がけた左右非対称のシールド型ケースは、それまでの時計の常識から大きく逸脱した造形であった。動力源はゼンマイではなくボタン電池で、心臓部はキャリバー500。初期型には信頼性の課題があり、1961年投入の改良型キャリバー505で解消されたと伝わる。同年公開の『ブルー・ハワイ』でエルヴィス・プレスリーが着用したことは、その後のモデルの位置づけを決定づけた。

技術的探究はさらに続く。1968年にスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』のために未来的なデジタル時計をハミルトンに依頼し、これが社内のデジタル開発の引き金となる。テキサスのエレクトロ/データ社と組み、技術者ジョン・バーギーらがLED表示の腕時計開発を進め、1970年5月にジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』で試作機が披露された。製品版のパルサーP1が市場に出たのは1972年で、18金ケース・米ドル2,100の価格は当時の小型車1台に相当した。

05米国製造の終わり、スイスへの移住

1960年代に入ると、米国時計産業は構造的な転換点を迎えていた。賃金水準や為替条件は欧州の同業に対する競争力を削り、量産能力だけでは戦えない時代になっていた。ハミルトンは1966年にスイスのビューレン社(Büren an der Aare)を買収し、薄型自動巻ムーブメントの製造技術を取り込む。1969年にはランカスター工場での腕時計製造を終了し、生産拠点を完全にスイスへ移した。鉄道用懐中時計992Bは同年に最後のロットが出荷され、米国における懐中時計製造の系譜は一旦幕を閉じている。

その後の経営的混乱のなか、1974年5月16日、オメガとティソを擁する持株会社SSIHがハミルトンを取得する。1983年のSSIHとASUAGの合併で生まれたASUAG-SSIHは1985年にSMHへ改称し、1998年にスウォッチ・グループとなり、ハミルトンは現在に至るまで同グループに属する。2003年には本社機能をスイスのビール/ビエンヌに移転している。

06物語を着る時計として

スイスでの再出発以降のハミルトンは、軍用・航空・鉄道の歴史を持つ実用時計と、ハリウッドが選ぶ「物語を持つ時計」という二つの軸を同時に走らせてきた。ベンチュラは1997年公開の『メン・イン・ブラック』で再び脚光を浴び、2014年のクリストファー・ノーラン監督作『インターステラー』では、新たに製作されたカーキ・フィールド・マーフが物語の鍵となる時計として登場した。製造面でも、スウォッチ・グループ傘下でETAとの共同開発が深化し、80時間パワーリザーブのH-10をはじめとするムーブメント群を各シリーズに展開している。米国時代の精神とスイスの量産精度を、現代の価格帯で両立させる試みが続いている。

04 — HISTORY

歴史

A factual chronology

ハミルトン・ウォッチ・カンパニーは1892年11月18日にペンシルベニア州において設立認可を取得し、同年12月14日に正式発足した。前身となるアダムス&ペリー時計製造会社(1874年設立)、ランカスター時計会社、キーストン・スタンダード時計会社の資産と工場を承継する形での出発であった。社名はランカスターの開祖の一人と伝わるアンドリュー・ハミルトンに由来する。

1893年に最初の懐中時計を発売。同年に米国で鉄道時計基準が制定されると、1898年のグレード940を皮切りに鉄道用懐中時計で評価を確立し、20世紀初頭には「The Railroad Timekeeper of America」と呼ばれるようになった。1917年に米国が第一次世界大戦に参戦するとともに軍への時計供給を開始し、これを契機として腕時計製造へと舵を切る。1918年には米国郵政の航空郵便事業に時計を供給した。

1928年にイリノイ・ウォッチ・カンパニーを買収、1931年にE.ハワード・ウォッチ・カンパニーの商標と暖簾を取得している。1930年代にはTWA、イースタン航空、ユナイテッド航空、ノースウエスト航空の公式時計に採用された。

1942年から1945年にかけて民生品の生産を停止し、米軍への供給に専念。期間中に100万個を超える腕時計と1万個を超える海洋クロノメーターを納入し、Army-Navy「E」アワードを5回受賞した。1942年2月27日には米国製として初の量産マリンクロノメーターModel 21の試作機を米海軍天文台へ納入している。

1957年1月3日、ニューヨークのサヴォイ・プラザ・ホテルで世界初の電池駆動腕時計ベンチュラを発表。1966年にスイスのビューレン社を買収し、1969年にランカスター工場での時計製造を終了して生産拠点をスイスへ移した。1972年にはエレクトロ/データ社との共同開発によりLED表示のデジタル時計パルサーP1を市場に投入している。

1974年5月16日、オメガとティソを擁する持株会社SSIHがハミルトンを取得した。1983年のSSIHとASUAGの合併でASUAG-SSIHが生まれ、1985年にSMH、1998年にスウォッチ・グループへ改称、ハミルトンは現在まで同グループに属する。2003年には本社機能をスイスのビール/ビエンヌに移転。2020年7月よりヴィヴィアン・シュタウファーがCEOを務めている。

05 — SERIES OVERVIEW

シリーズ概観

How the series relate

ハミルトンの現行ラインナップは、軍用・航空・海洋・装飾の系譜を整理した複数のコレクションで構成される。中核を担うのが、ベトナム戦争期のMIL-W-46374の系譜を引くカーキ・フィールドである。1990年代にRef. 9415Aとして民生化されて以降、ビーズブラスト仕上げのケースと視認性を重視したダイヤルを基本に、ハンドワインドのカーキ・フィールド・メカニカル、80時間パワーリザーブのH-10を備えるカーキ・フィールド・オートマティック、『インターステラー』に由来するカーキ・フィールド・マーフなどへ展開している。

カーキ・アビエーションは、1918年の米国郵政航空便への時計供給に系譜を引く航空時計群である。複数タイムゾーンを扱うX-Wind、視認性重視のパイロット・デイ・デイトといった派生がある。

カーキ・ネイビーはダイバーズと海上用途を担う。セラミックベゼルを備えるスキューバ、深海仕様のフロッグマン、低温下での運用を意識したビロウゼロなど、用途別に細分化される。

ジャズマスターは、ハミルトンが装飾領域で示す現代的解釈の場である。文字盤の一部からムーブメントを覗かせるオープンハート、スケルトン仕立て、クロノグラフのパフォーマー・クロノなどを含む。

アメリカン・クラシックは、1940年代から1960年代の意匠を現代に翻案した系統で、長方形ケースのボウルトン、薄型ドレスのイントラマティック、レイルロード、パン・ヨーロップ、バリアントなどを擁する。映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』で着用されたボウルトンが象徴的存在となっている。

ベンチュラは1957年の世界初の電池駆動腕時計に始まる単独の系譜を持つ。シールド型のケースは現代でもクォーツとオートマティックの双方で生産され、ブランドの象徴として独立した立ち位置を保ち続けている。

06 — SERIES

代表シリーズ

Lineages of one house
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07 — CALIBERS キャリバー一覧 →

主要キャリバー

Movements of the house
08 — CULTURAL

文化との接点

Where this house meets the wider world

ハミルトンとハリウッドの関係は、1932年のマレーネ・ディートリヒ主演『上海特急』に遡る。1951年の戦争映画『フロッグマン』では米海軍水中破壊班(UDT)向けの「キャンティーン」型時計が、1961年の『ブルー・ハワイ』ではエルヴィス・プレスリーが着用したベンチュラが、銀幕での存在感を決定づけた。1968年の『2001年宇宙の旅』のためにスタンリー・キューブリックの依頼で製作された未来的なデジタル時計は、後年のパルサー開発の引き金にもなったと伝わる。

1997年の『メン・イン・ブラック』ではエージェントJのコスチュームの一部としてベンチュラが再評価され、2014年のクリストファー・ノーラン監督作『インターステラー』では、主人公クーパーのカーキ・パイロット・デイ・デイトと、娘マーフが受け取るカーキ・フィールド・マーフが物語装置として機能した。2023年の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』ではアメリカン・クラシックのボウルトンが着用されている。ハミルトン自身の公表によれば、これまでに500本を超える映画・テレビ作品に時計が登場しているとされる。

— SOURCES

出典

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