物語
01創業——ル・ロックルからジュネーブへ
1894年1月18日、スイスの時計の町ル・ロックルで、ヌマ=エミール・デコンブとユリス=ジョルジュ・ペレの二人が会社を興した。当初の商号はデコンブ&ペレ。ケースや文字盤、ムーブメントを手がける小さな工房であったが、創業の年には24時間表示の特許を取得している。
1897年、デコンブが34歳で急逝する。ペレは商才に長けた若い時計師ルイ・ベルトゥを共同経営者に迎え、複雑機構の開発に軸足を移した。翌1898年には30分計を備えたクロノグラフ「ユニバーサル・ウォッチ・エクストラ」を発表する。1919年、二人はジュネーブへ本拠を移し、ほどなく一等地のローヌ通りに居を構えた。時計の都の名声と、若いブランドの歩みがここで結びつく。
02クロノグラフの名門として
1933年、ユリス=ジョルジュの子ラオール・ペレが経営を継ぐ。芸術と建築を愛したこの人物の構想が、以後40年の方向を定めた。同年には、蝶番でケースを折り返して風防を守る反転式の「カブリオレ(イデオ)」が特許を得ている。
1934年、二つのボタンとコラムホイールを備えたクロノグラフ「コンプール」を発表する。独立した二プッシャーのクロノグラフは、同時期のブライトリングと並行して確立された機構であり、双方が先駆を主張する領域である。1936年、社名を正式にユニバーサル・ジュネーブとし、時計の柱となる「コンパックス」を世に問うた。医療用のメディコ、航空用のアエロ、そして1944年の三つ目とフルカレンダーを備えた「トリ・コンパックス」——後に「ル・グロリュー(栄光の一本)」と呼ばれる傑作が、この系譜から生まれる。第二次大戦下で需要が高まると、1941年にはレ・ポン=ド=マルテルに最新鋭の工場を稼働させた。戦中、同社のクロノグラフは欧州各国の軍に供給され、1939年にはオランダ王室の御用達となっている。
03ポールルーターとマイクロローター
1954年、23歳のジェラルド・ジェンタが手がけた「ポールルーター」が登場する。スカンジナビア航空(SAS)が北極上空を越えてコペンハーゲンとロサンゼルスを結んだ歴史的飛行を記念し、磁気に強い設計が与えられた。後に多くの名作を生むジェンタにとって、これが最初の大きな仕事であったと伝わる。
ポールルーターは、ほどなくマイクロローターを積んだ薄型機Cal.215へと進化する。もっとも、この機構の特許をめぐっては、独自に同様の構造へ到達していたビューレン社との係争が生じた。両社はそれぞれ独立に発明したと見られ、和解の末、1958年2月にジュネーブで共同発表に至っている。ユニバーサル・ジュネーブは特許係争の間、ムーブメントに「特許出願中」と刻む扱いを受けたが、「Microtor」の名は同社の象徴として残った。1956年には、ジュネーブ近郊カルージュにモダニズム建築の新工場を開いている。
04極薄の頂点、そして方針転換期へ
1960年代、同社はコンパックスをスポーティに作り替え、時代の気分に応えた。パンダ文字盤の「ニナ・リント」コンパックスや、「クラプトン」と呼ばれるトリ・コンパックスが、この時期の象徴となる。1966年には、厚さ2.5mmの極薄自動巻きCal.66を発表し、ホワイト・シャドウやゴールデン・シャドウに搭載した。同社はこれを世界最薄と謳っている。
1970年には「時計の仕立屋」を標語に掲げ、デザイナーのロベルタ・ディ・カメリーノと組んで婦人物を発表する。1975年には厚さ3.45mmのクォーツ機Cal.74を世に出した。だが、安価な電子式時計が市場を覆う中で、同社の業績は落ち込んでいく。
05休眠から復活へ
1989年、香港のステルックス・グループがユニバーサル・ジュネーブを取得する。創業100年を記念したプラチナの反転式「ヤヌス」などが作られたが、ブランドは長い停滞の時期に入り、生産はやがて細っていった。
転機は2023年に訪れる。ブライトリング——その背後にはパートナーズ・グループとCVCキャピタル・パートナーズがいる——がユニバーサル・ジュネーブを取得し、復活を宣言した。2024年にはSASの飛行70周年を祝う記念モデルが、往年のマイクロローターCal.1-69(毎時18,000振動・2.5Hz、約57時間のパワーリザーブ)を載せて披露された。2025年にはニナ・リントへのオマージュが続き、2026年、ジュネーブ拠点の同社はウォッチズ&ワンダーズで本格的な復活を果たす。ポールルーターやコンパックス、カブリオレが、新設計のマイクロローターCal.UG-110などとともに甦った。指揮を執るのは、CEOジョルジュ・ケルンと、ロジェ・デュブイから移ったマネージング・ディレクターのグレゴリー・ブリュタンである。