ルイ・カルティエ
パリの店を率いたカルティエ三兄弟の長兄。飛行家のためのサントスと、戦車に想を得たタンクを生んだ(1875-1942)
- BORN
- 1875年
- DIED
- 1942年
- BRAND
- カルティエ — 1847年創業
- MODELS
- 10 本
概要
生涯
01家業と三兄弟
Horlogerie-Suisseのアーカイブによれば、カルティエの家業は1847年、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)が師アドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地の宝飾の工房を引き継いだことに始まる。1899年、店はラ・ペ通り13番地へ移った。
同じアーカイブによれば、ルイ=ジョゼフ(1875-1942)はパリの店の責任者となり、ピエール=カミーユ(1878-1964)はニューヨークへ、ジャック=テオデュール(1884-1941)はロンドンへ拠点を移した。三兄弟がそれぞれの都市を受け持つ形で、家業は国際的に広がった。
02晩年
アーカイブによれば、ジャック・カルティエは1941年にフランスのダックスで、ルイ・カルティエは1942年にニューヨークで亡くなった。
業績・代表作
01サントス
Monochromeによれば、1904年、ブラジルの飛行家アルベルト・サントス=デュモンが、操縦では両手を使わねばならず飛行中に懐中時計は使いにくいと、ルイ・カルティエに相談した。ルイの答えは一つの象徴の誕生となり、同誌はこれを、男性のために作られた最初の腕時計と広く見なされていると書いている。飛行家のために作られた平らな角形のケースの時計は、パイロットウォッチの祖とも見なされる。Horlogerie-Suisseのアーカイブも、革のベルトを持つ男性用の最初の腕時計の原型が、1904年にサントス=デュモンへの贈り物として作られたと伝えている。
Monochromeは、ルイ・カルティエの生来の意匠の感覚が、アール・デコの時代の、すっきりとして流れるような考え方を先取りしていたと評している。
02タンク
Horlogerie-Suisseのアーカイブによれば、タンクの最初の図面は1917年にさかのぼり、第一次世界大戦の連合国の戦車の乗員への敬意を込めたものとされる。Monochromeによれば、タンクは1917年にさかのぼり、最初のモデルはのちにタンク・ノルマルと呼ばれるようになった。その2番目の版はタンク・ルイ・カルティエと名づけられ、細い縦の枠となめらかな角で、元の矩形の考え方をより繊細にまとめ直したものである。
評価・後世への影響
ルイ・カルティエが生んだサントスとタンクは、いまもカルティエの時計の中心にある。Horlogerie-Suisseのアーカイブによれば、1978年に金と鋼のサントス・ドゥ・カルティエが登場し、1998年には1904年の原型に着想を得たサントスに敬意が払われた。2026年には、Monochromeが伝えるように、サントス=デュモンの名を冠したモデルに貴金属のブレスレットの版が加わっている。
宝飾店を率いた人物が、飛行家の求めや戦車の形から時計の形を考えたことは、カルティエの時計づくりの出発点として語り継がれている。タンク・ルイ・カルティエという名も、彼の名を今日に伝えている。
この人物が関わったモデル
出典
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