物語
01計測器の街から
1869年4月、28歳の Robert Mühle はグラスヒュッテの中心部に小さな工房を開いた。フェルディナント・アドルフ・ランゲが町に時計産業を興してから24年が経ち、すでに十数軒の時計工房が立ち並んでいた。それぞれが部品の寸法を測る工具を必要としていたが、グラスヒュッテはスイス時計業界が用いていたパリ・リーニュではなくメートル法を採用しており、独自規格の計測器が必要だった。Mühle が出発点に選んだのは、時計そのものではなく、その時計を作るための道具だった。
Mühle は名門 Moritz Grossmann のもとで工具職人として修業を積んでおり、独立後は工作機械、テンプの真円を測る計測器、ヒゲゼンマイの寸法器具などを供給した。A. Lange & Söhne を含むグラスヒュッテの主要工房がその顧客となる。1905年7月、Robert は息子 Max と Alfred、後に Paul を経営に迎え、社名を「R. Mühle & Sohn」と改めた。
02速度と時刻の二刀流
第一次大戦後の不況とインフレを乗り切ったあと、Mühle は新たな市場を見いだす。1918年から19年にかけて、ザクセンで興りつつあった自動車産業向けに速度計や回転計の供給を始めたのである。ツヴィッカウのメーカー — のちにアウト・ウニオンとして統合されるホルヒ、アウディ、DKW、ヴァンダラー — が顧客となり、1925年頃には車載時計も加わった。Mühle は時計工業と自動車工業の二領域にまたがる計測器メーカーへと変貌する。
この多角化は1930年代の世界恐慌期に意味を持った。時計産業に依存する競合が苦境に陥る中、自動車・軍需向けの売上が経営の重心を保ったのである。
03国有化の四十年
第二次大戦末期、グラスヒュッテは連合軍の爆撃と進駐ソ連軍による工作機械の接収を被り、町の時計産業は壊滅的な打撃を受けた。1945年12月、3代目 Hans Mühle は「Ing. Hans Mühle」を新設し、家業を継続させる。しかし1972年、東独政府は同社を国有化、VEB Feinmechanik Glashütte に統合した。1980年にはさらに VEB Glashütter Uhrenbetriebe の一部門に組み入れられる。
この間も Mühle 家は時計の世界から完全に退いたわけではなかった。4代目 Hans-Jürgen Mühle は VEB に勤め続け、後に販売責任者の地位にまで進んだ。私的所有権は失われていたが、家族の名前と職能はグラスヒュッテに残った。
04再興、そして海へ
1989年11月のベルリンの壁崩壊が状況を一変させる。Hans-Jürgen Mühle は1994年4月、家業を「Mühle-Glashütte GmbH nautische Instrumente und Feinmechanik」として再興した。社名から明らかなように、出発点は腕時計ではなくマリンクロノメーターと船舶時計システムである。AIDA クルーズ船団や高級ヨットに納める時刻配信システム、そして気圧計や湿度計といった航海計器の製造から、新生 Mühle は再出発した。
1995年に造船所から「乗組員用の堅牢な腕時計を作れないか」と打診を受けたのをきっかけに、翌1996年から腕時計事業が始まる。航海計器の設計思想 — 視認性、堅牢性、信頼性 — がそのまま腕時計に移植され、これがブランドの個性を決定づけた。
05救助艇とともに、訴訟とともに
2001年、Hans-Jürgen Mühle はドイツ海難救助協会 DGzRS (Deutsche Gesellschaft zur Rettung Schiffbrüchiger) に、艇長たちが実務で使える腕時計の共同開発を提案した。北海・バルト海の荒天下で多くの艇長の私用時計が破損していた状況が背景にある。2002年2月、最初の S.A.R. Rescue-Timer が艇長 Erwin Borchardt らに引き渡される。Borchardt は「これはなかなか良いものになるかもしれない」と北ドイツ流の控えめな調子で語ったと伝わる。
翌2003年6月、Mühle は「啄木鳥首微調整」の特許を出願した。激しい衝撃でも調整針が浮き上がらない構造で、救助現場で得た知見を機構として結晶化したものである。
しかし好調は続かなかった。2005年、同じグラスヒュッテに本拠を置く Nomos が、Mühle の一部ムーブメントが「グラスヒュッテルール」 — 工程の50%以上を町内で行うことを求める規定 — に違反していると訴えを起こす。2007年、ミュンヘン地方裁判所は Nomos の主張を認め、Mühle は約6,300万ユーロの違反金引当を迫られて倒産手続に入った。
同年10月、5代目 Thilo Mühle が父から経営を引き継ぐ。再建計画は迅速に承認され、翌2008年3月に倒産手続は終結した。
06マニュファクチュールへの歩み
訴訟が突きつけたのは皮肉にも、内製化への道筋でもあった。2008年、Mühle はグラスヒュッテ伝統の3/4プレートを独自に設計し、これを核に大幅改修した自社初の独自呼称キャリバー MU 9408 (クロノグラフ) を発表する。2011年には完全に一から設計した手巻ムーブメント MU 9411 を Teutonia III Handaufzug に搭載した。2014年の創業145周年と再興20周年には、金シャトン留めの古典的意匠を取り入れた「Robert Mühle Manufactory Line」を発表、2019年には Robert Mühle Kaliber 04 を加える。
2024年2月、6代目 Fanny Mühle と Dustin Mühle が経営陣に正式に加わった。Fanny は販売・顧客対応を、エンジニアの Dustin は製造とマニュファクチュール部門を担う。創業155周年と再興30周年を迎えた同年、従業員は約65名に達した。グラスヒュッテで唯一、地元家族が継続して所有・経営する時計メーカーとして、Mühle はその歩みを続けている。