本文へ
BRAND · DE · EST. 2008

Moritz Grossmannモリッツ・グロスマン

Country
DE
Founded
2008
Headquarters
ドイツ ザクセン州グラスヒュッテ
Group
独立資本(Grossmann Uhren GmbH)
Founders
クリスティーネ・フッター(19世紀の時計師カール・モリッツ・グロスマンの商号を継承)
Web
www.grossmann-uhren.com ↗

「単純でありながら機械的に完璧」を遺訓に、123年の沈黙を経てグラスヒュッテに蘇った独立系マニュファクチュール

01 — 概要 / OVERVIEW

モリッツ・グロスマンは、ドイツ・ザクセン州グラスヒュッテに本拠を置く独立系時計マニュファクチュールである。19世紀の時計師カール・モリッツ・グロスマン(1826-1885)が遺した商標を、時計師クリスティーネ・フッターが2008年に取得し、123年ぶりに再興した。年産は500本以下に留まる。褐紫色に焼戻したねじ、ジャーマンシルバーの2/3プレート、手作業で仕上げる針。創業者の信条「単純でありながら機械的に完璧」を21世紀に翻訳し続けるブランドである。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

グロスマンの哲学は、創業者カール・モリッツ・グロスマンが著書『単純でありながら機械的に完璧な時計の構築』に記した信条に源を持つ。複雑機構を競うのではなく、ありふれた三針時計の精度と仕上げを限界まで高めることに価値を置く立場である。フッター体制下の現代グロスマンも、この遺訓を出発点として再構築された。

機構面では、グラスヒュッテ伝統の2/3プレート、未処理ジャーマンシルバー、柱構造、ねじ留めゴールドシャトン、手彫りのバランスコックといった要素を踏襲しつつ、独自の革新を重ねる。クラウンを引くと針合わせモードに入り、プッシャーで起動する「グロスマン・ワインダー・ウィズ・プッシャー」は、針合わせ後にクラウンを押し戻す際の偶発操作を防ぐ独自機構として知られる。バランスの調整には片持ち式バランスコック上のマイクロメーターネジが用いられる。

意匠面では、ねじを青焼きではなく独自の褐紫色(約270℃で焼戻し)に発色させる選択が象徴的である。同じグラスヒュッテにあって、青焼きを当然とする慣習からあえて外れる。針もまた、削り出しから艶出しまで自社内で手作業により仕上げられ、自社公式の言として「グラスヒュッテで針を自製する唯一のマニュファクチュール」と位置付けられている。

商業哲学としては、年産500本以下を維持しながら緩やかな拡大を志向し、グループ資本の傘下に入らず独立を保つ。ムーブメントは組み立て・調整・分解・再仕上げ・再組立という二度組工程を踏み、効率より工程の純度を優先する。結果として、複雑機構やトゥールビヨンよりも、定番モデルの完成度を磨き続けることがブランドの中心軸となった。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. 二人のドレスデン人

1826年、カール・モリッツ・グロスマンは郵便仕分け人の息子としてドレスデンに生まれた。家計に余裕はなかったが、教師たちは少年の才能を見抜き、ドレスデン技術教育施設の奨学生に推薦した。時計師として徒弟期間を終えると、20歳の彼は修業の旅に出る。ロンドン、ハンブルク、パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、ラ・ショー・ド・フォン。当時の欧州時計産業の主要拠点を歩き、見聞を蓄えた。

1854年、フェルディナント・アドルフ・ランゲから一通の招きが届く。9年前にエルツ山地の寂れた鉱山町グラスヒュッテに移り、新しい時計産業を興そうとしていた友人からの誘いであった。グロスマンはこれに応じ、同地に自身の工房を構える。

2. 教育者としての顔

グロスマンは時計師としてだけでなく、地域社会の中心人物としても歩んだ。市議会議員、ザクセン王国議会代議士、消防団・体操協会の創設、ミューグリッツ谷鉄道建設委員会の長。多忙な公職の合間に彼は学術書を著した。1878年、フランスのソーニエ著『時計学教本』をドイツ語に翻訳し、同年、自らの構想によりドイツ時計学校をグラスヒュッテに設立する。技術を秘匿せず後進に開く姿勢は、当時の時計師としては例外的であった。

自著『単純でありながら機械的に完璧な時計の構築』には、彼の信条が凝縮されている。複雑機構を競うのではなく、基本構造の純度を高めることこそ時計師の本懐であるという立場である。

3. 中断と忘却

1885年1月23日、グロスマンはライプツィヒで世界時刻に関する講演を行った直後、脳卒中により急逝した。享年60。後継者は現れず、工房は速やかに解体された。ロンドンのドイツ時計師協会が記念のプレートを寄贈したと伝わるが、現存していない。

その後120年以上、グロスマンの名は文献の中でのみ生き、製品として復活することはなかった。隣接するA.ランゲ&ゾーネが第二次大戦と戦後分断を経て1990年に再生したのとは対照的に、グロスマンは商標も含めて静かに眠り続けた。

4. キッチンテーブルから始まる再興

1996年、時計師として訓練を受けた後にマーケティング職に転じていたクリスティーネ・フッターは、グラスヒュッテ・オリジナル、続いてA.ランゲ&ゾーネに移籍する。職務の中でグロスマンの遺産に触れた彼女は、その商標が誰にも保有されていない事実に気づく。家族と相談のうえ、彼女は商標を取得した。

2008年、世界金融危機の年。フッターはドレスデンの自宅キッチンから新生グロスマン社を立ち上げる。数か月後にはグラスヒュッテの旧金物店に拠点を移し、2010年にはローズゴールドの初代Benuを100本限定で発表。同年16名となった社員数は、2013年にウファーシュトラーセ1番地の新マニュファクチュールが完成する頃にはさらに増えていた。

5. 現代における選択

現代のグロスマンは、年産500本以下という小規模を維持している。ねじは青焼きではなく褐紫色に発色させ、針は最後の艶出しまで自社内で手仕上げする。ムーブメントは一度組み立てて調整したのちに分解し、装飾を施してから再度組み立てるという二度組方式を採用する。Benuのほかに、Atum、Tefnut、Hamatic、Backpage、Tremblage、Corner Stone、Perpetual Calendarといった派生を慎重に発表してきたが、根本にあるのは創業者が遺した「単純でありながら機械的に完璧」という信条である。資本傘下に入らず独立を保つ姿勢は、フッター体制下のもう一つの選択といえる。再興から20年に満たないこの工房が、隣接する歴史ある同業者と並んで語られる位置に至ったのは、信条をぶれずに繰り返し製品へ翻訳してきた結果である。

04 — History

歴史

A factual chronology

カール・モリッツ・グロスマンは1826年3月27日、ドレスデンの郵便仕分け人の家に生まれた。地元の技術教育施設に学び、20歳で時計修業の旅に出る。行先はロンドン、ハンブルク、パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、ラ・ショー・ド・フォンと、当時の欧州時計産業の中心地に及んだ。1854年、フェルディナント・アドルフ・ランゲの招きでグラスヒュッテに移り、自身の工房を構える。懐中時計、振り子時計、クロノメーターを製作し、時計師向けの精密旋盤も開発した。

グロスマンの貢献は製品にとどまらない。1866年から1878年までグラスヒュッテ市議会議員を務め、1876年にはザクセン王国議会の代議士に選ばれた。1878年、彼の構想と尽力によりドイツ時計学校(Deutsche Uhrmacherschule)がグラスヒュッテに設立される。同年、フランス人ソーニエ著『時計学教本』をドイツ語に翻訳し、自著では「単純でありながら機械的に完璧な時計の構築」という信条を体系化した。1885年1月23日、ライプツィヒでの講演直後に脳卒中により急逝。享年60。後継者を持たなかった工房は解体され、ブランド名はその後120年以上にわたって眠ることとなる。

時計師として訓練を受け、ヴェンペ、モーリス・ラクロワ、グラスヒュッテ・オリジナル、A.ランゲ&ゾーネを経たクリスティーネ・フッターは、1996年からグラスヒュッテで働く中でグロスマンの遺産と未登録の商標に気づく。2008年、世界金融危機のさなか、彼女はドレスデンの自宅キッチンから新生グロスマン社を立ち上げた。

数か月後にはグラスヒュッテの旧金物店を拠点とし、2010年に16名体制で初の量産モデルBenuを発表。2013年、ウファーシュトラーセ1番地に新マニュファクチュールが完成する。2014年に女性向けTefnut、2018年の10周年を機にBackpageや記念モデル、2019年にはハンマー巻きの自動巻HamaticやGMTを展開。2024年は創業者カール・モリッツ・グロスマン生誕200年にあたり、ソリッドゴールド文字盤のTremblage Goldや人毛を用いたTourbillon Tremblageが発表された。2025年にはPerpetual Calendarが加わる。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

現代のグロスマンは、エジプト神話の神々の名を冠した三つの基幹コレクションを軸に展開してきた。いずれも創業者の信条「単純でありながら機械的に完璧」を出発点としつつ、ケース径、ムーブメントの仕様、対象層を変えることで多様な解釈を示す。

「Benu」は不死鳥ベンヌに由来する三針モデルで、2010年の創業初作にあたる。直径41mmのプラチナまたはローズゴールドケースに、手巻きキャリバー100.0系を収める。ブランドの言語を最も素直に表現するシリーズと位置付けられる。

「Atum」は古代エジプトの創造神に由来し、より薄型でクラシックな意匠の三針コレクション。スモールセコンドやセンターセコンド、デイト機能の派生が加わり、現行ラインの中核を担う。同シリーズの派生として、キャリバーを鏡像反転させ仕上げをダイヤル側で見せる意欲作「Backpage」が2018年の10周年に登場した。

「Tefnut」は雨と湿気の女神に由来し、女性向けの36mm径を中心に展開する。Tefnut Twistは竜頭ではなくストラップを捻ることで巻き上げる独創的な巻上機構を備える。

これら以外に、振り子式の自動巻Hamatic、長方形ケースのCorner Stone、トレンブラージュ彫りを纏うTremblage、3分回転トゥールビヨンを搭載するBenu Tourbillon、2025年発表のPerpetual Calendarなど、定番から実験的意欲作までを年に数本ずつ慎重に追加している。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Calibers

主要キャリバー

Movements of the house
キャリバー一覧 →
08 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

グロスマンは映画、宇宙、スポーツといった大衆文化との直接的な結び付きを意図的には築いてこなかった。ただし、独自の素材選択をめぐって象徴的な逸話がある。Benu Tourbillonに搭載されたストップセコンド機構には、テン輪のリムに触れる極細のブラシとして人毛が用いられる。当初の試作には創業者クリスティーネ・フッター自身の毛髪が使われたと伝わる。腕時計の機構に毛髪を機能部品として組み込んだ初の例とされ、独立系時計の収集家層に静かな共感を得てきた。

2024年には創業者カール・モリッツ・グロスマン生誕200年を機に、ソリッドゴールド文字盤を採用したTremblage Goldを発表。同年のインド初進出を含め、各地のウォッチサミットや収集家との直接対話を文化的接点の主軸に据える姿勢を保っている。