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BRAND · JP · EST. 1946

Casioカシオ

Country
JP
Founded
1946
Headquarters
東京都渋谷区本町
Group
独立
Founders
樫尾忠雄、樫尾俊雄、樫尾和雄、樫尾幸雄
Web
www.casio.com/jp/watches ↗

電卓で培ったデジタル技術を腕時計に転用し、G-SHOCKで耐衝撃の常識を塗り替えた日本の電子時計ブランド

01 — 概要 / OVERVIEW

カシオは1946年、東京都三鷹市に樫尾忠雄が設立した樫尾製作所を起源とする日本の電子機器メーカーである。本体のカシオ計算機株式会社は1957年に設立。1974年、世界初のオートカレンダー機能を備えた電子腕時計「カシオトロン」で時計事業に参入し、1983年に発売した耐衝撃ウォッチG-SHOCKで世界的な存在となった。本社は東京都渋谷区本町、代表的なラインにはG-SHOCK、Baby-G、EDIFICE、OCEANUS、PRO TREK、MR-Gがある。計算機由来のデジタル技術を時計に応用し、廉価モデルからハイエンドまでを同一ブランドに併存させる構造を持つ。

02 — Philosophy

設計思想

What this house values

カシオの社是「創造 貢献」は、世の中になかったものを創造することで社会に貢献するという理念を端的に表す。1957年の小型純電気式計算機「14-A」、1974年のカシオトロン、1983年のG-SHOCKと、創業家の樫尾兄弟が一貫して掲げてきたのは「0から1を生む」発明的思考である。発明家として知られた樫尾俊雄は「時間は1秒1秒の足し算である」と語ったと伝わり、計算機で蓄積したデジタル技術をそのまま腕時計に応用することで、機械式時計とは異なる起点から時計事業を立ち上げた。

意匠面の姿勢も、伝統的な時計美学とは別の地平に立つ。スイスの高級ブランドが装飾性や仕上げの繊細さを追求してきたのに対し、カシオは表示の視認性、操作の確実性、衝撃や水への耐性といった「道具としての性能」をデザインの中核に据えてきた。G-SHOCKに象徴される樹脂とメタルの組み合わせ、デジタル液晶の遠慮なき露出、機能名の直接的なグラフィックは、装飾を削ぎ落とした結果として独自の様式に到達している。

商業哲学では、低価格帯と高価格帯の併存が特徴的である。20米ドル前後で世界中の小売店に並ぶF-91Wと、数十万円を超えるMR-Gのチタン削り出しモデルが同じブランドの内側に共存する構造は、他の時計メーカーには見られにくい。これは、計算機事業で培った「機能をすべての人に届ける」という発想と、機械式時計とは無関係な土俵で独自の高級表現を作ろうとする探究心が同時に保たれていることに由来する。

結果として、カシオが選ばなかったものも明確である。テンプとひげぜんまいによる機械式機構の自社開発、宝飾的装飾、伝統工芸の機構面への直結。これらに代えて、LSI、センサー、太陽電池、電波・GPS受信、Bluetoothといった電子技術の積層によって時計の機能を更新してきたところに、このブランドの輪郭がある。

03 — Story

物語

A narrative of the house

1. 四兄弟と発明家の家系

カシオの物語は、戦後間もない東京の小さな下請け工場から始まる。1946年4月、28歳の樫尾忠雄が三鷹市に設立した樫尾製作所は、顕微鏡の部品や歯車を作る町工場であった。忠雄は旋盤工として働きながら早稲田工手学校で技術を学んだ職人気質の長兄で、家計を支えるべく独立を選んだ。

ほどなく逓信省の技術者を辞して合流した二男の俊雄は、戦後の物資不足のなかで「指輪パイプ」を発明する。フィルターなしの紙巻きタバコを根元まで吸うための、指輪型に固定された金属の吸い口であった。粗末な発想にも見えるが、これが小さなヒットとなり、計算機開発の資金を生んだ。三男の和雄と四男の幸雄も加わり、四兄弟は「忠雄が財務、俊雄が開発、和雄が営業、幸雄が生産」という分業体制を組む。

2. 計算機メーカーとしての確立

俊雄が1949年に銀座のビジネスショウで電動計算機を目にしてから、ソロバンに代わる計算機の開発が一族の主題となった。歯車式やソレノイド式の試行錯誤を経て、1957年6月、リレー素子を使った小型純電気式計算機「14-A」が完成。これを契機にカシオ計算機株式会社が設立される。1960年代の電子式への移行期には経営危機にも見舞われたが、1972年の「カシオミニ」が状況を一変させた。「個人で持てる電卓」という構想は、それまでオフィス用設備だった電卓を家庭に持ち込み、業界の勢力図を書き換えた。

3. 時計事業への参入とカシオトロン

電卓事業で確立したLSIの量産技術は、新たな応用先を求めていた。「機械式からクオーツへ」の技術転換期にあった時計業界は、その応用先として最適と判断された。1974年11月、初の腕時計「カシオトロン QW02」が発売される。時・分・秒の表示にとどまらず、大の月と小の月を自動的に判別する世界初のオートカレンダー機能を搭載し、後にはうるう年まで処理するフルオートカレンダーへと発展した。「時間は1秒1秒の足し算」という俊雄の発想が、計算機と時計を一本の線で結んだ瞬間であった。

4. G-SHOCKの誕生

時計事業の中心に座る存在となるのが、1983年4月発売のG-SHOCK「DW-5000C」である。発端は1981年、当時若手の意匠設計者だった伊部菊雄が社内会議に提出した「落としても壊れない時計」という一行の企画書だった。父から贈られた腕時計を歩道で落として壊してしまった経験が、伊部の出発点だったと伝わる。

開発は容易ではなかった。試作機は200を超え、伊部はカシオの羽村研究センターの三階トイレの窓から地面へと投げ落とす実験を繰り返したとされる。突破口は、公園で見たゴムまりの跳ね方からきたとされる「中空浮遊構造」だった。モジュール本体を緩衝材で硬く固めるのではなく、樹脂ケース内部のわずかな点で支えるという発想転換である。1983年4月、五段階の緩衝構造を備えた初代G-SHOCK「DW-5000C」が世に出る。

5. ストリートとの邂逅、そして拡張

発売当初の評価は必ずしも芳しくなかった。「ごつい時計」は薄型化が主流だった当時の市場で異質な存在だったが、北米のスケーターや軍関係者、サーファーといった層に支持を広げ、1990年代には日本国内でもストリートファッションのアイコンとなる。1993年にはISO 6425準拠のダイバーズ仕様「フロッグマン DW-6300」が登場し、2005年にはヌーノ・ゴメスがスクーバ世界記録(水深318.25メートル)を樹立した際の腕にも巻かれていたと伝わる。

1994年の女性向け「Baby-G」、1996年の金属外装高級ライン「MR-G」、1998年のタフソーラー初搭載モデル「Raysman」と、ラインアップは耐久性を軸に多層化していく。1989年に発売され今日まで年300万本超の生産を続ける廉価モデル「F-91W」と並んで、カシオは「数十米ドルから数十万円超まで」という極端に広い価格帯を同一ブランドに同居させる稀有な企業となった。

6. 21世紀のカシオ

2000年にはアナログ機械式の意匠を採り入れた「EDIFICE」が登場、2004年にはハイエンド電波ソーラーアナログ「OCEANUS」が始動し、長らくデジタルの代名詞だったブランドはアナログ領域にも本格的に踏み込んでいく。2017年8月、G-SHOCKの累計出荷は1億本を超えた。2019年発売の薄型八角形ベゼル「GA-2100」は、その意匠から「カシオーク」の愛称で呼ばれ、世代を超えた支持を得ている。

経営体制では、2015年に創業家三男・和雄氏の長男である和宏氏が社長に就任、2023年には非創業家出身の増田裕一氏が社長兼CEOに、2025年6月には財務畑出身の高野晋氏が社長兼CEOに就いた。四兄弟の発明から始まったブランドは、世代を超えた新たな経営章へと進んでいる。

04 — History

歴史

A factual chronology

カシオ計算機の起点は1946年、樫尾忠雄が東京都三鷹市に設立した小規模な部品下請け工場「樫尾製作所」にある。同年、二男の俊雄が考案した「指輪パイプ」がヒットし、これが計算機開発の資金源となった。1957年6月、リレー式の小型純電気式計算機「14-A」の商品化を契機にカシオ計算機株式会社が設立され、忠雄が財務、俊雄が開発、和雄が営業、幸雄が生産という四兄弟による役割分担が確立される。

1972年に発売した個人向け電卓「カシオミニ」は、家庭用電卓の概念を切り拓いた。電卓で培ったLSI技術を腕時計に応用する構想から、1974年11月、時計事業の第一作「カシオトロン QW02」が発売される。大の月・小の月を自動判別するオートカレンダー機能を搭載した点で、デジタル腕時計の方向性を示すモデルとなった。

時計事業の決定的な転機は、1983年4月のG-SHOCK「DW-5000C」発売である。設計を主導した伊部菊雄が1981年に提出した「落としても壊れない時計を作りたい」という一行の企画書から始まったこのプロジェクトは、200を超える試作と中空浮遊構造の発見を経て製品化に至った。

1989年には超軽量・廉価デジタルウォッチ「F-91W」が登場し、年間生産300万本超を誇るロングセラーとなる。1993年、ISO 6425準拠の200m防水を実現したG-SHOCK「フロッグマン DW-6300」が登場。1994年に女性向けBaby-G、1995年に登山用途のプロトレック、1996年には金属外装の高級ラインMR-Gが発売され、ラインアップは多層化していく。

2000年代以降、アナログ機械式デザインを採り入れたエディフィス(2000年)、ハイエンド電波ソーラーアナログのオシアナス(2004年)を立ち上げ、アナログ領域にも本格的に参入。2017年にはG-SHOCKの累計出荷が1億本に達し、翌2019年に発売された薄型八角形ベゼルの「GA-2100」が「カシオーク」の通称とともに新たな看板モデルとなった。

経営面では2015年に創業家三男・和雄氏の長男和宏氏が社長に就任、2023年には非創業家出身の増田裕一氏が社長兼CEOに、2025年6月には財務畑出身の高野晋氏が社長兼CEOに就いた。

05 — Series overview

シリーズ概観

How the series relate

カシオの時計事業は、用途とデザイン言語の異なる複数のラインを並行して展開してきた。中核となるのは1983年に始まったG-SHOCKである。耐衝撃構造を出発点として40年以上にわたり進化を続け、累計出荷は1億本を超える。樹脂外装のDW-5600、DW-6900といった往年の角型・丸型に加え、2019年発売の薄型八角形「GA-2100」(通称カシオーク)、フルメタル化された「GMW-B5000」など、現代の主力モデルも幅広い。

G-SHOCKの内側には、用途別のサブラインが層をなしている。ダイバーズ仕様のフロッグマン、登山・トレッキング志向のレンジマン、空・陸・海それぞれに対応した「マスターオブG」系統である。最上位には1996年発足のMR-Gがあり、チタンやコバリオン、伝統的鎚目仕上げといった素材・工芸の追求によって、樹脂イメージとは異なる金属高級ラインを形成している。

女性向けには1994年発足のBaby-Gがあり、G-SHOCKの耐衝撃構造を継承しつつ小型かつカラフルな意匠で展開する。2000年に登場したEDIFICEはモータースポーツを意識したアナログクロノグラフが中心で、機械式時計に近い意匠を電子的に再構成したラインといえる。

ハイエンド・アナログのOCEANUS(2004年)は、チタン外装、電波・GPS同期、サファイアクリスタル、阿波藍など日本の伝統色を採り入れた限定モデル群によって、エディフィスより上位に位置付けられる。アウトドア用途では1995年発足のPRO TREK(プロトレック)があり、方位・高度・気圧・温度などのトリプルセンサー搭載モデルが主力である。

このほか、1989年発売の「F-91W」、計算機機能を備えた「CA-53W」、薄型メタルの「A158W」「A168W」といった数千円台の「Casio Vintage」系統が、ブランドのもう一つの顔を形成している。価格帯と用途を大きく跨ぐこのレンジ構造そのものが、カシオというブランドの輪郭でもある。

06 — Series

代表シリーズ

Lineages of one house
シリーズ一覧 →
07 — Calibers

主要キャリバー

Movements of the house
キャリバー一覧 →
08 — Cultural

文化との接点

Where this house meets the wider world

カシオの時計は、世界中の文化的な場面に思いがけない形で現れる存在となった。1989年発売の「F-91W」は世界で最も売れた腕時計の一つとされ、世界各国の指導者から街角の中高生まで、出自を問わず幅広い手首に巻かれてきた。1980年代の電卓内蔵モデル「CA-53W」は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART II』および『III』でマーティ・マクフライが装着したことで、ある世代以降のポップカルチャー記号となっている(オリジナル1作目では前身モデルのCA-50が着用されたと伝わる)。

G-SHOCKはストリートファッション、ヒップホップ、軍・法執行機関、極限スポーツといった複数の領域を横断するアイコンとなった。2005年にはダイバーのヌーノ・ゴメスが水深318.25メートルのスクーバ世界記録を樹立した際、フロッグマン「DW-6300」を装着していたと伝わる。BAPE、ジョン・メイヤー、各国軍隊の制式採用、ストリートウェアブランドとのコラボレーションなど、設計時には想定されていなかった文化的接続が、時計の側から自然発生的に積み上がってきた。