伊部 菊雄
「落としても壊れない丈夫な時計」という1行の提案から、1983年のG-SHOCKを生んだカシオの技術者
- BORN
- 1952年
- DIED
- 存命
- BRAND
- カシオ — 1946年創業
- MODELS
- 11 本
概要
伊部菊雄(いべ きくお、Kikuo Ibe)は、カシオ計算機の技術者で、腕時計「G-SHOCK」の生みの親として知られる。時計の外装設計を担当していたとき、社内の会議に「落としても壊れない丈夫な時計」という1行だけの提案書を出し、それが承認された。5段階の衝撃吸収構造と、心臓部のモジュールをケースの中で浮かせる中空構造にたどり着き、1983年に初代DW-5000Cとして商品化した。G-SHOCKは、10気圧防水、電池寿命10年、10mの落下に耐える「トリプル10」を目標に作られた。
生涯
01壊れた時計と1行の提案
カシオの公式の記事によれば、伊部菊雄は時計の外装設計を担当していたころ、社内の会議に「落としても壊れない丈夫な時計」という1行だけの提案書を出した。それでも提案は承認された。SJXのインタビューで伊部は、自分の時計を落として壊したことが、衝撃に強い時計を作りたいと思うきっかけだったと語っている。
同じころ、カシオの開発センターに勤めていた伊部は、事務所の周りで多くの建設作業員を見かけていた。彼らは削岩機を使っており、振動のせいで腕時計を着けられずにいた。伊部は、1983年の最初のG-SHOCKを、こうした建設作業員を思い描いて構想したと振り返っている。
02プロジェクトチーム「タフ」
公式の記事によれば、開発は当初、伊部ひとりの仕事として始まった。やがて「タフ」と名づけられたプロジェクトチームが正式に組まれ、市場に出せる時計の開発が任され、G-SHOCKという名と発売の予定が決まった。SJXのインタビューで伊部は、1983年当時は試作品を3階のトイレの窓から落として試していたと語っている。
03その後
SJXは2016年の記事で、伊部をカシオで40年を過ごした古参で、研究開発の主席技師と紹介している。同年、伊部はシンガポールでMR-Gの20周年記念モデルの発表に立ち会った。
業績・代表作
01中空構造という解答
公式の記事によれば、伊部はまず、5つの緩衝材で時計の心臓部を守る5段階の衝撃吸収構造を考え、大きさの問題を解いた。しかし決め手はなお得られず、追い詰められた伊部は、ある日曜日に事務所の隣の公園で、子どもたちがゴムボールで遊んでいるのを見た。ゴムボールの中に時計が浮かんでいれば、どんな強い衝撃にも耐えられるはずだという着想が、ここで生まれた。
この発想が、G-SHOCKの独自の構造の鍵となった。5段階の衝撃吸収と、その内側でモジュールを中空のケースの中に浮かせる構造である。1983年、最初のG-SHOCKであるDW-5000Cが登場した。
02トリプル10
SJXによれば、「グラビテーショナル・ショック」を略したG-SHOCKは、10気圧(100m)の防水、10年の電池寿命、10mの落下に耐えることという「トリプル10」の条件を満たすよう構想された。伊部は、新しい技術を加えてもこの頑丈さは最初から変わらず、どの機能を加えても頑丈さを保たねばならないと語っている。センサーは弱くなりがちで、それを守りつつ時計全体を頑丈にすることが最も難しいという。
2番目のG-SHOCKは泥に強い仕様だった。伊部は、建設作業員の多くが泥の中で働いているだろうと考えたと語る。その後G-SHOCKは、ダイバー向けのフロッグマンなど、特殊な環境で働く人々に向けて進化した。
評価・後世への影響
SJXによれば、G-SHOCKは2017年8月末に累計1億本に達した。建設作業員のために構想され、試作品を3階の窓から落として開発された時計としては、驚くべき到達である。1983年以来、2000を超えるモデルが作られ、宇宙飛行士や特殊部隊の兵士の手首にも見られる。
伊部自身のお気に入りは、最初のDW-5000である。ただし会社の博物館に収めるべきものなので着けられず、同じ意匠のDW-5600を身に着けているとSJXに語っている。カシオの公式の記事は、G-SHOCKの原点を、揺るぎない信念が飽くなき探究を生み、決してあきらめない姿勢が形になった物語と位置づけている。
この人物が関わったモデル
出典
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