系譜と歴史
1. 開発の背景
Cal. 9908の直接の祖先は、2011年に登場した自社製自動巻きクロノグラフ Cal. 9300である。コラムホイール、垂直クラッチ、2つの香箱、コーアクシャル脱進機を一体で設計したこのキャリバーは、2016年のバーゼルワールドでMETAS認定を受けたCal. 9900へと発展した。Cal. 9900はオメガのクロノグラフとして初めてマスター クロノメーター認定を得たムーブメントとされる。
一方、スピードマスターの歴史は手巻きクロノグラフとともにあった。Cal. 321に始まり、Cal. 861、Cal. 1861、そして2021年のCal. 3861へと続く系譜である。ヴィンテージの意匠を現代に置き直すモデルでは、薄い手巻きムーブメントが求められていたとみられる。厚さ7.6mmの自動巻きCal. 9900は、その用途には向かなかった。
2. 手巻き化という再構成
2021年、オメガはスピードマスター・クロノスコープとともにCal. 9908を発表した。Cal. 9900からローターを含む自動巻機構を外し、直径32.5mmを保ったまま厚さを6.4mmへ、石数を54石から44石へと減らしている。
単なる部品の省略ではなく、裏蓋側の構成も改められた。新設計の受けが輪列を覆い、その表面にはテンプを起点に放射するアラベスク状のジュネーブウェーブが施された。オメガはこの装飾を自社初の試みと説明している。一方で、コラムホイール、垂直クラッチ、直列2香箱という基本設計はCal. 9900から継承された。
3. 派生と展開
翌2022年には、日付表示を加えた手巻き版Cal. 9906が、刷新されたスピードマスター '57に搭載された。Cal. 9908はこの系統における日付なし仕様と位置づけられる。
Cal. 9908の搭載先は、その後も広がった。2024年にはパリ五輪を記念したクロノスコープが登場した。2025年には、ブラックセラミックのダークサイド・オブ・ザ・ムーンに手巻き仕様 Ref. 310.92.44.51.01.001が加わった。地板と受けを艶消しの黒で仕上げた「ブラックエディション」仕様が採用され、ケース厚は13.02mmに収められている。
4. 業界での位置
現在のオメガには、性格の異なる2系統の手巻きクロノグラフが並ぶ。Cal. 861の流れをくむCal. 3861は、カムによる切り替えと水平クラッチという伝統的な構成を守る。対してCal. 9908は、自動巻き世代で確立した統合型クロノグラフの設計を手巻きに移し替えたものである。
前者はムーンウォッチの歴史的連続性を、後者は現代的な操作感と薄さを軸に据える。どちらが上位という関係ではなく、同じブランドが異なる設計思想を並立させている点に、このキャリバーの位置がある。