系譜と歴史
1. ジョージ・ダニエルズの構想
コーアクシャル脱進機の発想は、1970年代の英国に遡る。マスターウォッチメーカー、ジョージ・ダニエルズは、長年機械式時計を悩ませてきた「脱進機の油切れ」問題に着目した。レバー脱進機は構造上、ガンギ車の歯がアンクルの爪石を滑らせる「滑り摩擦」によってエネルギーを伝達するため、潤滑油が必須となる。しかし油は時間とともに劣化し、定期的なオーバーホールでの交換が避けられない。
ダニエルズが構想したのは、摩擦そのものを根本的に減らす脱進機であった。1974年から1975年にかけて、彼は自身のオメガ・スピードマスター Mark 4.5(Cal. 1045)を改造し、世界初のコーアクシャル腕時計プロトタイプを製作する。この時計は現在、ビールのオメガ博物館に収蔵されている。
ダニエルズは当初、ロレックスやパテック フィリップなど複数のスイスブランドに本機構を売り込んだとされるが、量産化に踏み切るブランドは現れなかった。コーアクシャル脱進機は構造が複雑で、従来比で高精度の製造設備を要求する。レバー脱進機で十分という保守的な空気のなか、1980年に特許を取得した後も実用化の機会は長く訪れなかった。
2. オメガとの協業
転機は1990年代に訪れる。1993年、スウォッチ・グループ会長ニコラ・G・ハイエックの後押しのもと、オメガはダニエルズからコーアクシャル脱進機の特許権を取得した。同じグループ傘下のETAとニヴァロックスFARが製造面で協力する体制が整い、量産化への道筋がついた。
オメガは、当時の基幹自動巻Cal. 1120(装飾版ETA 2892-A2)をベースに開発を進める。既存ムーブメントの狭いスペースに新脱進機を収めるには、テンプとアンクル周辺の輪列を再設計する必要があった。開発は6年に及び、1999年のバーゼルワールドで満を持して発表される。
3. デ・ヴィルでのデビュー
初搭載モデルは、新生「デ・ヴィル コーアクシャル」(Ref. 5931.81.00とされる)となった。イエローゴールド999本、ローズゴールド999本、プラチナ99本という限定シリーズで、ダニエルズ自身の監修のもとリリースされたと伝わる。「実用的な新脱進機としては約250年ぶり」というメッセージは、業界に大きな衝撃を与えた。
4. 4世代の改良とCal. 8500への継承
Cal. 2500は、A・B・C・Dの4世代にわたって段階的に改良される。初代2500Aは衝撃保護機構の不足から信頼性に課題を抱え、生産期間は比較的短期に留まった。2002〜2003年の初代アクアテラに搭載された2500Bでは部品素材の見直しが施され、続く2500Cでプラネット・オーシャンに採用される段階で、振動数が28,800vphから25,200vphへ引き下げられた。これは部品摩耗を抑え、サービス周期を延ばすためのオメガの判断と伝わる。最終世代の2500Dは3層構造のガンギ車を採用し、後のCal. 8500の設計思想に最も近づいた世代となる。
2007年、オメガは「コーアクシャル脱進機を中心に最初から設計された自社開発キャリバー」Cal. 8500を発表する。Cal. 2500は基幹ムーブメントの座をこれに譲ったが、ボリュームゾーンのラインには2010年代前半まで搭載され続けた。外部ベースからフル自社開発へと至る過渡期を象徴する存在として、コーアクシャル革命の起点として、Cal. 2500は時計史に刻まれている。