田中 太郎
グランドセイコー44GSに結実した「グラマー・オブ・デザイン」を起草した、セイコー初の専門教育を受けたデザイナー
- BRANDS
- セイコー / グランドセイコー
- MODELS
- 21 本
概要
生涯
01セイコー初のデザイナー
Worn & Woundによれば、セイコーのデザイン部門は当初、文字盤の印刷原版の制作を担う部署で、最初の3年間は文字盤の意匠だけを受け持ち、ケースはまったく別の人々が扱っていた。Monochromeも、1950年代半ばまで同社にはデザイン部門すらなく、1956年に作られた後も主に文字盤を担当していたと書いている。
状況が変わったのは1959年である。この年、セイコーはデザインを学んだばかりの田中太郎を迎えた。同社が雇った初めての専門教育を受けたデザイナーであった。田中の視点は時計全体に及び、以後、セイコーのデザイン部門は文字盤を超えて、時計づくりの工程全体に関わるようになった。
02銀座での観察
グランドセイコーの公式の記事によれば、1962年、田中は東京・銀座の和光の店頭で長い時間を過ごし、世界中の時計に人々がどう反応するかを観察した。そこから彼は、グランドセイコーの時計が個々には魅力的でも、ひと目でそれとわかる共通の顔を持っていないことを見いだしたという。Monochromeも、田中が加わる以前のグランドセイコーには明確な共通の個性がなかったと書いている。
業績・代表作
01グラマー・オブ・デザイン
田中の名を最もよく知らしめた仕事が、1962年にまとめた「グラマー・オブ・デザイン」である。グランドセイコーの公式の記事は、これを時字からケースまで、目に見えるすべての部品について厳密な基準を定めた、密度の高い設計指針と説明している。
Worn & Woundによれば、宝石のカットの技法にも着想を得たこの指針は、4つの基本の考え方に要約できる。ケース、文字盤、針、時字のあらゆる面と角を、光をよく反射するよう平らで幾何学的に正確なものにすること、ベゼルを簡潔な二次元の意匠にすることなどである。Monochromeは、田中によるこの様式の定義から9つの具体的な規則が生まれたと書いている。
0244GS
この指針を初めから全面的に体現した最初の時計が、1967年のグランドセイコー44GSである。グランドセイコーの公式の記事は、44GSを田中の考え方のすべてを形にした画期的な意匠であり、いまも彼の代表作と位置づけている。44GSは作るのが非常に難しく、高い技量を求めたが、完成したことで新しい製造の基準を打ち立て、グランドセイコーにひと目でそれとわかる個性を与えた。
Worn & Woundによれば、田中の設計の考え方はセイコー側の製造管理をいっそう厳しくすることにもつながった。指針はグランドセイコーとキングセイコーから適用され始め、やがてセイコー5を含むブランド全体へ広がった。同誌は、1962年から1970年代の終わりまでこの考え方がセイコーの設計の実務を導いたと書いている。
評価・後世への影響
田中のまとめた指針は、のちに「グランドセイコースタイル」として知られるようになった。グランドセイコーの公式の記事で、現在のデザインの責任者である小杉修弘は、自身がセイコーに入ったころ、44GSの意匠は時間と技量を要するため非常に難しいものとされていたと振り返っている。44GSは職人たちの技を磨き、優れた時計とは何かという全員の期待を引き上げたという。
44GSは現在もグランドセイコーの意匠の重要な源泉であり、Monochromeは、ブランドの歴史のなかで重要な時計の一つであり、グランドセイコーの生産の転換点だったと位置づけている。2022年には、44GSの55周年を記念した限定モデルも作られた。Worn & Woundは、セイコーの1960年代初めから1970年代終わりの躍進が技術革新の面から語られがちななかで、その芸術の側面を支えたのが田中であり、多くの点で時計界の陰の功労者だと評している。
この人物が関わったモデル
出典
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