設計思想
時計塔の下のディズニー100
1923年に創立されたウォルト・ディズニー・カンパニーは、2023年に100周年を迎え、世界規模の記念企画「Disney100」を展開した。セイコーグループもこれに加わった。「大人ディズニー」を合言葉に、銀座4丁目のセイコーハウス銀座では、同年8月から展示販売イベント「Moments of Magic at the Clock Tower」が開かれる。『ファンタジア』に着想を得たからくり置時計や、和光限定の品々がそこに集う。その一角でグランドセイコーが用意したのが、同年6月に発表された限定2本、SLGH023とSLGH025だった。
グランドセイコーが外部のキャラクターを製品に取り込んだ例は少ない。先例にあたるのは2019年、ゴジラ生誕65周年を記念したスポーツコレクションSBGA405(650本限定)である。あのときは放射熱線を思わせる赤い文字盤までキャラクターの世界観で染め上げた。ディズニー100の2本はその対極を行き、文字盤には一切手を加えず、ミッキーマウスの居場所を裏ぶたのサファイアガラスだけに定めた。
ベースに選ばれた「白樺グリーン」
SLGH025の土台は、2022年3月にグランドセイコーブティックオンライン専用機として加わったSLGH011である。2021年のジュネーブ時計グランプリでメンズウォッチ賞を受賞した「白樺」SLGH005のグリーン文字盤版にあたる。白樺の系譜は、2020年の新世代ムーブメントCal.9SA5に始まる。初のレギュラー搭載機SLGH005を起点に、スプリングドライブのSLGA009、グリーンのSLGH011、ブライトチタンのSLGH017へと枝を広げた。この一族は、当時のグランドセイコーの「現在の顔」といえる存在だった。100周年の祝賀にこの系譜を充てたことは、記念モデルを傍流ではなく主力で作るという意思表示でもある。
見逃せないのは販路の対応関係である。白文字盤のSLGH023はSLGH005をベースに、和光本店内のグランドセイコーフラッグシップブティック 銀座が扱った。グリーンのSLGH025はオンライン専用機SLGH011をベースに、ブティックオンラインだけが扱った。2本の限定機は文字盤の色だけでなく、それぞれのベースモデルが持つ流通の性格までそのまま受け継いでいる。
背を向けたミッキーという選択
ミッキーマウスは2本で描き分けられた。店頭のSLGH023では正面を向き、画面越しに買うSLGH025では背中を向けて横顔をのぞかせる。対面する1本が正対し、手の届かない1本が振り返る。この配置に意図を読み取りたくなるが、公式は多くを語っていない。確かなのは、所有者にしか見えない裏側で、さらに視線を外すという二重の奥ゆかしさが、このRefの性格を決めていることだ。
販売の建て付けも控えめだった。ふた月あまりの予約期間に申し込まれた数量だけを作り、上限を100本と定める方式で、あらかじめ固定数を用意する限定とは設計思想が異なる。文字盤に限定を示す表記はなく、裏返して初めて素性が知れる。キャラクターコラボレーションでありながら、ここまで静かな限定は類例が少ない。求めた人の分だけ存在する、グランドセイコー流の祝祭である。
意匠分析
表側に、ベースのSLGH011との違いはない。エボリューション9コレクションの文法に従う40mmのステンレスケースは厚さ11.7mmに収まる。Cal.9SA5は毎時36,000振動(10振動/秒)のハイビートと約80時間のパワーリザーブを両立しつつ、水平輪列で薄さを確保した機械である。このプロポーションは、その薄さあってのものだ。低めの重心と幅広のかん足がもたらす据わりの良さも、基幹モデルと共通する。
文字盤は、グランドセイコースタジオ 雫石の近郊に群生する白樺林をモチーフとした型打ち模様を、深いグリーンで仕上げたものだ。光の乏しい場所ではほとんど黒に沈む暗い緑で、発表時には黒文字盤と紹介した媒体もあったほどである。型打ちの深い起伏に光が走ると、緑の濃淡が幹の連なりのように立ち上がり、白樺のシルバーともSLGH017のブラックとも違う、湿度のある森の表情を見せる。
このRef固有の意匠は、すべて裏側にある。シースルーバックのサファイアガラスには、背中を向けて横顔をのぞかせるミッキーマウスが、黒目が印象的なクラシックスタイルで印刷される。図像にはディズニー100を示す「100」のレタリングが添えられ、裏ぶたのステンレス部分には「LIMITED EDITION」のマーキングが入る。ガラスの向こうには、雫石川の流れを写したストライプ仕上げのCal.9SA5が透けて見え、キャラクターの輪郭とムーブメント装飾が一枚の絵として重なる。なお公式は、製造上の理由により裏ぶたの向きが個体ごとに異なりうると注記しており、ミッキーの角度はわずかな個体差として残る。
針とインデックスもレギュラーモデルと同一で、文字盤側に限定を示す要素はない。腕にある限り通常のSLGH011と見分けられず、外して裏返したときだけ素性が現れる。限定の証しを表から完全に排したこと、それ自体が本作最大の設計判断である。
系譜と歴史
SLGH025の生涯は、発表から引き渡しまでが1年に満たない。2023年6月22日、セイコーグループはディズニー創立100周年を祝う限定2機種、SLGH023とSLGH025を告知した。希望小売価格はいずれも143万円である。翌23日に予約受付が始まり、SLGH025はグランドセイコーブティックオンラインのみで扱われた。受付は8月27日19時まで。期間中に予約された数量だけを生産し、上限を100本とする方式で、予約確定後の取り消しはできない条件が付された。
同年8月からは、銀座4丁目のセイコーハウス銀座で展示販売イベント「Moments of Magic at the Clock Tower」が開かれた。会場にはグループ各社のディズニー100関連企画が集められた。姉妹機SLGH023はフラッグシップブティック 銀座とこのイベント会場でも予約を受けたのに対し、SLGH025の窓口は最後までオンラインに限られた。
引き渡しは2023年12月下旬以降と告知され、実際の出荷も同年12月に始まったとみられる。生産は予約分のみの一度きりで、その後の追加生産は確認されていない。最終的な生産本数は公表されておらず、100本に達したかどうかも明らかではない。受付終了をもって正規の入手経路は閉じ、本作は現行ラインアップに含まれない。ベースのSLGH011は2022年3月の発売以来、通常販売のレギュラーモデルとして扱われてきた。対照的にSLGH025は、2023年のひと夏、約2か月の受付期間だけ開いた「窓」のような存在である。