ソティリオ・ブルガリ
エピロスの銀細工の家に生まれ、1884年にローマでブルガリを創業したギリシャ出身の銀細工師
- BORN
- 1857年
- DIED
- 1932年
- BRAND
- ブルガリ — 1884年創業
- MODELS
- 15 本
概要
ソティリオ・ブルガリ(Sotirio Bulgari、1857-1932)は、宝飾と時計のメゾンブルガリの創業者である。ギリシャ名をソティリオス・ヴルガリス(Sotirios Voulgaris)という、ギリシャ出身の銀細工師であった。オスマン帝国領だったエピロス地方の銀細工の家に生まれ、ナポリを経てローマへ移った。1884年にヴィア・システィーナで最初の店を開き、1905年にはヴィア・デイ・コンドッティへ拠点を移している。銀の装身具と骨董を商った店は、晩年には息子たちの主導で宝飾と時計へ領域を広げた。自ら時計を手がけた人物ではないが、ブルガリの時計の歴史はこの店から始まっている。
生涯
01エピロスの銀細工の家
ソティリオ・ブルガリ、ギリシャ名ソティリオス・ヴルガリスは1857年、ギリシャ北西部のエピロス地方に生まれた。当時のエピロスはオスマン帝国の支配下にあり、山あいの村々では銀細工が受け継がれていた。生家も代々の銀細工の家で、ソティリオは家業を継いで職人となった。
生地については、パラミシアとする資料と、銀細工の村として知られたカラリテスとする資料があり、定まっていない。ブルガリの公式の沿革は、彼の歩みの出発点をパラミシアの工房に置いている。
一家は故郷を離れてイタリアへ渡った。オスマン当局との軋轢が移住のきっかけだったと伝わる。最初に店を開いたのはナポリだったが、盗難に遭って閉店に追い込まれている。ローマに移ったのは1880年代の初めで、その年を1881年とする資料が多い。
02ローマに根を下ろす
1884年、27歳のソティリオはヴィア・システィーナに自分の店を開いた。ブルガリが創業の年とするのはこの年である。1871年にイタリア王国の首都となって間もないローマで、ギリシャ出身の職人は自分の看板を掲げた。公式アーカイブには、1898年にローマの案内書『グイダ・モナーチ』へ出した店の広告も残っている。
10年後の1894年には、ヴィア・デイ・コンドッティ28番地にも店を構えた。姓をイタリア語の発音に沿った「ブルガリ」に改めたのも、この頃である。ギリシャから来た職人は、ここでローマの商人として名を名乗り直したことになる。
1905年、ソティリオは同じ通りの10番地に、より大きな店を開いた。のちに改装と増築を重ねながら、この店は現在もブルガリの旗艦店として営業を続けている。ギリシャを出てから20年余りで、一家の商いはローマの目抜き通りに定まった。
03息子たちへの継承
20世紀に入ると、ソティリオの2人の息子、コスタンティーノとジョルジオが店の仕事に加わった。兄弟は宝石に強い関心を持ち、父の店を高級宝飾の店へ育てる道を探った。1920年代の初めには、店の運営は息子たちの主導に移っていく。ブルガリの公式アーカイブは、1921年に父と息子ジョルジオが並ぶ写真を公開している。
ソティリオは1932年に世を去った。事業はジョルジオとコスタンティーノの兄弟に引き継がれ、ブルガリは2代目の時代に入る。銀細工師として出発した創業者は、晩年には宝飾店の主として、時計を並べる店の姿を見届けていた。
業績・代表作
01銀細工師の仕事
ソティリオの仕事の土台は、故郷で身につけた銀細工にある。ヴィア・システィーナの店に並んだのは、自ら鍛えた銀の装身具と、目利きで選んだ品々であった。公式の沿革は、その装身具が地中海的な様式を帯びていたと記している。
作例として知られるのは、バックルや鋳造のメダイヨン、帯飾りなどである。エピロスの民族衣装の装身具を下敷きに、ギリシャ、ビザンティン、イスラムの意匠を組み合わせたとされる。専門メディアはその作風を「ネオ・ヘレニック」と呼んでいる。透かし彫りには神話や寓意の人物、草花の唐草が表された。
ローマで売られた銀細工は、ギリシャの山村の技と古典古代への関心を、異国の客が持ち帰れる形にしたものであった。後年のブルガリがギリシャとローマの古典を造形の源泉に掲げる、その原型がここにある。
02旅行者のための店
ソティリオは職人であると同時に、客を読む商人でもあった。1894年に構えたヴィア・デイ・コンドッティ28番地の店には、4つの品目を並べた看板が掲げられた。銀細工、骨董、珍品、宝飾を、イタリア語とフランス語を交えて記したものである。地元の客だけでなく、ローマを訪れる外国人を意識した表記と読める。
公式の沿革によれば、1895年から1897年にかけて、サンレモやナポリ、ベッラージョ、ソレントの観光地にも店を開いた。夏のローマは商いが細るため、スイスのサンモリッツやポントレジーナ、ルツェルンの避暑地にも出店したという。1906年にサンモリッツの店の前に立つソティリオの写真が、公式アーカイブに残る。
1905年に開いたヴィア・デイ・コンドッティ10番地の店は、「オールド・キュリオシティ・ショップ」と名付けられた。英語の店名は、ローマを訪れる裕福な英米の旅行者を呼び込むための選択であった。品揃えも宝飾を厚くし、店は高価格帯の客へと軸足を移していく。
03宝飾と時計への転換
1920年代の初め、ブルガリは息子たちの主導で高級宝飾と時計を扱うようになる。プラチナとダイヤモンドを用いたアール・デコの幾何学的な意匠が、この時代の作風であった。当時なお主流だったフランスの宝飾の様式に沿いながら、のちの独自の作風への足場が築かれた。
現存するブルガリの時計の作例は、この1920年代にさかのぼる。宝石をあしらった腕時計で、意匠はアール・デコに沿う。1922年頃の作とされるプラチナとダイヤモンドの1本は、ヴァシュロン・コンスタンタン銘のムーブメントを収めるという。創業当初から店で時計を商っていた可能性を指摘する専門メディアもある。
ブルガリの時計づくりは、こうして創業者の存命中に、その店の中から始まった。ソティリオ自身が時計を設計した記録はない。銀細工の技と、客に合わせて品揃えを組み替える商いの勘。その両方を備えた店があったからこそ、息子たちは宝飾と時計へ踏み出せた。
評価・後世への影響
ソティリオの没後、息子たちはヴィア・デイ・コンドッティの店を大きく改装した。1930年代のこの改装にあわせ、古代ローマの碑文に倣って「U」を「V」と綴る「BVLGARI」の表記が店に掲げられた。創業者が名乗り直したイタリア語の姓は、ローマの古典の字形をまとって、メゾンの名として定着した。
一族による経営はその後も続き、創業125周年の2009年には4代目の時代を迎えていた。同年5月22日から9月13日まで、ローマのパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニでブルガリ初の回顧展が開かれた。およそ500点を集めた展示は、ソティリオが手がけた19世紀末の銀細工から始まった。これらは創業初期の制作を伝える数少ない現存作例とされる。
同じ2009年、ブルガリは創業者の名を冠した時計のコレクション「ソティリオ・ブルガリ」を発表した。ベゼルにブランドのロゴを入れず、存在感のあるラグを特徴とする意匠とされる。ベゼルにブランド名を刻むブルガリ・ブルガリとは対照的な、名を控えた造形であった。2010年には、自社で設計し組み立てた自動巻きのキャリバーBVL 168を載せたモデルが、このコレクションに加わった。これをブルガリがマニュファクチュールを名乗った節目の1本と位置づける専門メディアもある。
ソティリオ自身は時計師でも時計の設計者でもない。それでも、ローマに銀細工の店を開いた創業者の名は、スイスで時計を作る現在のブルガリの製品にまで受け継がれている。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Bvlgari History 1884
- 02 公式 Bvlgari History 1920s
- 03 公式 Bvlgari History 1930s
- 04 公式 Bulgari. From History to Eternity. 125 Years of Italian Jewellery
- 05 報道 BVLGARI | BVLGARI
- 06 報道 On This Day in 1857: Bulgari founder, Sotirios Voulgaris, was born
- 07 専門メディア BULGARI “Between History and Eternity” 1884-2009, 125 Years of Italian Jewelry
- 08 専門メディア ブルガリ(BVLGARI)時計 ソティリオ・ブルガリBVL168
- 09 専門メディア Il Sotirio Bulgari Calibro 168
- 10 専門メディア Bulgari — The History of Bulgari
- 11 専門メディア The history of Bulgari watches
- 12 専門メディア The new Sotirio Bulgari watch
- 13 専門メディア Learn about Bvlgari watches