Bulgariブルガリ
ローマの大胆な意匠と地中海の華やぎを宿し、機械式時計の極薄領域で世界記録を更新し続けるイタリアン・マニュファクチュール
ブルガリは1884年、ギリシャ人銀細工師ソティリオ・ブルガリがローマで創業した宝飾メゾンであり、現在はLVMHグループに属する。1920年代から時計を手がけ、1948年のセルペンティ、1977年のブルガリ・ブルガリといった象徴的なリファレンスを世に送り出した。2000年代のジェラルド・ジェンタおよびダニエル・ロートの取得を経て、スイス・ヌーシャテルおよびル・サンティエに開発・製造拠点を構える時計マニュファクチュールへ発展。2014年以降は「オクト・フィニッシモ」が薄型機械式時計の世界記録を相次いで樹立し、宝飾メゾン発の時計ブランドという定型を更新し続けている。
設計思想
ブルガリの設計思想は、宝飾メゾンの大胆な造形感覚とスイス時計製造の精度を一本のラインの上に置くという、容易ではない両立の上に成り立っている。19世紀末のローマで銀細工から出発したブランドにとって、装飾性は省くべき贅沢ではなく表現の根幹である。1948年のセルペンティが示したように、宝飾と機械を分かたず、腕時計を「身に纏う彫刻」として捉える姿勢は今も変わらない。
一方で、2000年のジェラルド・ジェンタおよびダニエル・ロート取得以降、ブルガリは自社製ムーブメントの開発・製造能力を着実に積み上げてきた。ヌーシャテルに開発拠点を、ル・サンティエにムーブメント製造を、ソワニュレジエにケースと文字盤製造を擁する垂直統合は、もはや「宝飾店が時計を作る」段階にはない。2014年に発表された「オクト・フィニッシモ」シリーズは、薄型化という機械工学上の極限領域で世界記録を重ね、宝飾ブランドという出自が時計マニュファクチュールとしての到達を妨げない事実を提示している。
意匠の参照源は明確である。古代ローマの硬貨、マクセンティウスのバジリカの八角の天井、ヴィア・デイ・コンドッティの石畳。これらが「BVLGARI」のロゴ表記におけるラテン字母のVと並んで、ブランドの視覚言語を構成している。装飾の過剰を恐れず、しかし機械を装飾の従属物としない。宝飾と時計の両極を行き来しながら、その振幅そのものをブランドの輪郭として描いてきた点に、ブルガリの哲学はある。
物語
1. 銀細工師、ローマへ
1857年、当時のオスマン帝国領、現在のギリシャ北部・エピロス地方のパラミシアに、後にブルガリの礎を築くソティリオス・ヴルガリスが生まれている。一家のルーツは、ビザンチン時代から銀細工の中心地として知られたカラリテスの村にあり、父からこの仕事を学んだ彼は1877年に故郷を離れた。コルフ、ナポリを経て1881年にローマへ辿り着いた当時、所持金はわずかであったと伝わる。
最初の数年は、知人のギリシャ人が営む海綿の店の窓際に、自作の銀細工を並べさせてもらう日々であったという。1884年、ヴィア・システィーナに自身の店を構える時に、彼は姓を発音通りのイタリア語表記「ブルガリ」へと改めた。やがてヴィア・デイ・コンドッティへと店を移し、1905年には現在も旗艦店が立つ10番地の物件を取得している。ローマを訪れる富裕な旅行者の目に留まる立地で、銀器、宝飾、骨董を扱う商いは堅実に成長していった。
2. 蛇とチューボガス
20世紀初頭、ブルガリの宝飾は次第に独自の語法を獲得していく。創業者の没後、コスタンティーノとジョルジオの兄弟が事業を継承した1930年代以降、メゾンは大胆な色彩感と幾何学的構成を特徴とする独自のスタイルを形作っていった。時計の製作は1920年代に始まっているが、当初は外部キャリバーを用いた装飾時計が中心であり、宝飾の延長線上に位置づけられていた。
1948年に発表された最初のセルペンティは、ブランドの方向性を象徴する作例である。チューボガスと呼ばれる、芯材に金の帯を巻きつけて中の芯を抜くことでしなやかな管状のバンドを生み出す技法を用い、それを蛇のように腕に巻きつけ、頭部に四角い文字盤を備えた。1950年代以降は造形がより写実的な蛇に近づき、リューズや宝石で蛇の眼を表現し、開閉式の頭部の中に文字盤を隠した「シークレットウォッチ」も生まれている。
3. ブルガリ・ローマからブルガリ・ブルガリへ
1975年、当時ブランドを率いていたジャンニ・ブルガリは、得意客への贈答用に100本限定のデジタル時計「ブルガリ・ローマ」を制作する。販売を意図しなかったこの試みが予想外の反響を得たことが、ブランドの時計史を大きく動かすことになる。
1977年、ジェラルド・ジェンタが手がけた円柱形ケースの「ブルガリ・ブルガリ」が発表された。ジェンタはすでにオーデマ ピゲのロイヤルオーク(1972年)、パテック フィリップのノーチラス(1976年)で名を馳せていた人物である。ベゼル上に「BVLGARI」の文字を二度刻むという案は当初社内でも疑問視されたと伝わるが、古代ローマの硬貨に皇帝名が円周に沿って刻まれていた意匠を踏まえたこの大胆な決断が、結果的にブランドの記号として定着していく。1980年に時計事業部が独立し、1982年にはスイス・ヌーシャテルに「ブルガリ・タイム S.A.」が設立された。同社の設立は、宝飾メゾンが本格的な時計事業へと舵を切ったことを意味する。
4. スポーツウォッチへの進出と機械への深化
1988年に発表された「ディアゴノ」は、ブランド初の本格的スポーツウォッチであり、ジェンタが再びデザインを手がけている。1998年には素材構成において前例の少ないアルミニウムとラバーの組み合わせを採用した「ブルガリ・アルミニウム」が登場し、アリタリア航空のボーイング747の機体側面を広告に用いる宣伝とともに、90年代後半のジェットセット文化の象徴となった。
2000年、ブルガリはシンガポールのザ・アワー・グラスからジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートの両ブランドを取得する。これにより、ヴァレ・ド・ジューのル・サンティエにあるムーブメント製造拠点を傘下に収め、自社製キャリバーの開発体制を整える契機を得た。続く数年で文字盤、ブレスレット、部品、ケースの各メーカーを順次取得し、垂直統合を進めている。
5. LVMH傘下と「オクト」の挑戦
2011年、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンがブルガリの株式を約37億ユーロで取得した。ブルガリ家はLVMH株を受け取り、グループ内で第二位の家族株主となる。同年、ファブリツィオ・ブオナマッサ・スティリアーニ率いる時計デザイン部門がローマからスイス・ヌーシャテルへ移転された。
2012年に発表された「オクト」のケースは、ローマのフォロ・ロマーノに残るマクセンティウスのバジリカの八角形の格天井に着想を得たと公表されている。110のファセットを持つこのケース構造が、続く「オクト・フィニッシモ」シリーズの土台となった。2014年の「オクト・フィニッシモ・トゥールビヨン」(手巻、厚さ1.95mm)を起点に、自動巻、クロノグラフ、ミニッツリピーター、永久カレンダーと薄型化の世界記録を順次更新し、2022年には総厚1.80mmの「オクト・フィニッシモ・ウルトラ」、2024年には1.70mmまで到達した「オクト・フィニッシモ・ウルトラ COSC」が発表されている。2025年のウォッチズ・アンド・ワンダーズで披露された「オクト・フィニッシモ・ウルトラ・トゥールビヨン」は厚さ1.85mmで世界最薄トゥールビヨンの座を奪還し、ブランドが薄型化の領域で打ち立てた世界記録は10件に達したと公表されている。
2025年にはCEOのジャン=クリストフ・ババンがLVMH時計事業部の責任者を兼任することが発表され、続いて2026年7月をもってブルガリのCEO職をローラ・ブルデーゼに引き継ぐ予定であることが公表されている。ババンは引き続きブルガリの取締役会長を務める。宝飾と時計、ローマとスイス、装飾と工学。複数の振り子の間を行き来しながら、ブルガリはイタリア発の独自の時計マニュファクチュールとしての位置を確立しつつある。
歴史
ブルガリの歴史は、1884年に北ギリシャ・エピロス地方出身の銀細工師ソティリオ・ブルガリ(Sotirios Voulgaris, 1857-1932)がローマのヴィア・システィーナに小さな店を構えたところから始まる。創業者は名をイタリア風にソティリオ・ブルガリと改め、銀細工と古美術を扱う商いから事業を広げていった。1894年にはヴィア・デイ・コンドッティ28番地に出店し、1905年には現在も旗艦店が立つヴィア・デイ・コンドッティ10番地へと拠点を移している。
時計の製作は1920年代に始まる。当初は外部からムーブメントを調達し、貴金属と宝石を多用した装飾性の高い時計が中心であった。1948年に発表された「セルペンティ」ブレスレットウォッチは、チューボガス(ガス管)技法によるしなやかな金のバンドに四角い文字盤を組み合わせ、ブランドの宝飾的アイデンティティを時計に結実させた作例である。
1975年、ジャンニ・ブルガリの構想により、得意客への贈答用として100本のデジタル腕時計「ブルガリ・ローマ」が制作される。販売目的でなかったこの試作的試みが予想外の反響を得たため、1977年、ジェラルド・ジェンタが手がけた円柱形ケースの「ブルガリ・ブルガリ」が発表された。ベゼルに二度刻まれた「BVLGARI」の文字は古代ローマの硬貨に着想を得たものと伝わり、ブランド名そのものをデザインの主役に据えた点で時計史上の転換点となる。1980年には時計事業部が独立し、1982年にはスイス・ヌーシャテルに「ブルガリ・タイム S.A.」が設立された。1988年には初の本格的スポーツウォッチ「ディアゴノ」、1998年にはアルミニウムとラバーを組み合わせた「ブルガリ・アルミニウム」が登場している。
2000年、ザ・アワー・グラスからジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートを取得し、ヴァレ・ド・ジューのル・サンティエにあるムーブメント製造拠点を手に入れた。続いて文字盤・ブレスレット・部品・ケースの各メーカーを順次傘下に加え、垂直統合を進めている。2011年にはLVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンが約37億ユーロでブルガリを買収し、ブルガリ家はLVMHの第二位の家族株主となった。同年、時計デザイン部門もローマからヌーシャテルへ移されている。
2012年に発表された八角形ケースの「オクト」、続く2014年の「オクト・フィニッシモ」シリーズは、薄型機械式時計の領域で世界記録を相次いで樹立した。2025年のウォッチズ・アンド・ワンダーズで発表された「オクト・フィニッシモ・ウルトラ・トゥールビヨン」は厚さ1.85mmで世界最薄トゥールビヨンの記録を更新し、ブランドの薄型化への取り組みは10件目の世界記録に達している。
シリーズ概観
ブルガリの時計コレクションは、宝飾の語法に根ざした女性向けラインと、機械工学の追求を担う男性向けラインの双方を、対立させずに並走させてきた点に特徴がある。
セルペンティ(Serpenti) は1948年に登場した、ブランドの宝飾的アイデンティティを象徴するライン。チューボガス技法によるしなやかな金のバンドに四角い文字盤を組み合わせた初代以降、写実的な蛇のフォルムや開閉式の「シークレットウォッチ」など、八十年近くにわたり多様な変奏が重ねられてきた。
ブルガリ・ブルガリ(BVLGARI BVLGARI) は1977年にジェラルド・ジェンタが手がけた、ブランドの主軸となる男性向けライン。古代ローマの硬貨に着想を得たベゼルへの二重ロゴ刻印という意匠は、ブランドのアイコンとして以後数十年にわたり踏襲されている。
ディアゴノ(Diagono) は1988年に登場した初の本格的スポーツウォッチで、1998年には素材構成の革新としてアルミニウムとラバーを組み合わせた アルミニウム(Aluminium) が派生する。アルミニウムは2020年に機械式ムーブメントを搭載してリバイバルされ、現行コレクションの一翼を担っている。
オクト(Octo) は2012年に始動したライン。ローマ・マクセンティウスのバジリカの八角格天井に着想を得たケース構造を持ち、2014年以降の オクト・フィニッシモ(Octo Finissimo) シリーズで薄型機械式時計の世界記録を相次いで更新した。2018年にはより円形に近い意匠の オクト・ローマ(Octo Roma) が加わっている。
このほか、女性向けには2014年発表の ルチェア(Lvcea) が、ローマの光を意味する名のもとに位置づけられている。
代表シリーズ
主要キャリバー
文化との接点
ブルガリと文化との接点は、ローマという都市そのものから始まる。ヴィア・デイ・コンドッティの旗艦店は、20世紀半ばの「ドルチェ・ヴィータ」期にフェデリコ・フェリーニやアンナ・マニャーニといったローマの映画人・知識人が集う場所のひとつであった。
なかでも象徴的な逸話として伝わるのが、エリザベス・テイラーとセルペンティの結びつきである。1962年から1963年にかけてローマで撮影された映画『クレオパトラ』の制作期間中、テイラーは自身が所有していたセルペンティのブレスレットウォッチを撮影現場で着用していた写真が残されている。「私たちのイタリア語の知識は、その美しい言葉『ブルガリ』に限られている」と彼女が語ったとされる逸話は、ブランドの公式コミュニケーションでも繰り返し言及されている。
近年は意図的な文化との連携も進めており、指揮者のロレンツォ・ヴィオッティやベアトリーチェ・ヴェネツィ、俳優のゼンデイヤやアン・ハサウェイなどとの協働を公表している。