物語
01銀細工師、ローマへ
1857年、当時のオスマン帝国領、現在のギリシャ北部・エピロス地方に、後にブルガリの礎を築くソティリオス・ヴルガリスが生まれている。一家のルーツは銀細工の村として知られたカラリテスにあるとされ、彼も家業の銀細工を受け継いだ。故郷を離れて最初に店を開いたナポリでは、盗難に遭って店を閉じている。1880年代の初めにローマへ辿り着いた当時、所持金はわずかであったと伝わる。
最初の数年は、知人のギリシャ人が営む海綿の店の窓際に、自作の銀細工を並べさせてもらう日々であったという。1884年、彼はヴィア・システィーナに自身の店を構えた。10年後にはヴィア・デイ・コンドッティにも店を出し、この頃に姓を発音通りのイタリア語表記「ブルガリ」へと改めている。1905年には、現在も旗艦店が立つ同じ通りの10番地の物件を取得した。ローマを訪れる富裕な旅行者の目に留まる立地で、銀器、宝飾、骨董を扱う商いは堅実に成長していった。
02蛇とトゥボガス
20世紀初頭、ブルガリの宝飾は次第に独自の語法を獲得していく。創業者の没後、コスタンティーノとジョルジオの兄弟が事業を継承した1930年代以降、メゾンは大胆な色彩感と幾何学的構成を特徴とする独自のスタイルを形作っていった。時計の製作は1920年代に始まっているが、当初は外部キャリバーを用いた装飾時計が中心であり、宝飾の延長線上に位置づけられていた。
1948年に発表された最初のセルペンティは、ブランドの方向性を象徴する作例である。トゥボガスと呼ばれる、芯材に金の帯を巻きつけてしなやかな管状のバンドを生み出す技法を用い、それを蛇のように腕に巻きつけ、その先に文字盤を据えた。1950年代以降は造形がより写実的な蛇に近づき、リューズや宝石で蛇の眼を表現し、開閉式の頭部の中に文字盤を隠した「シークレットウォッチ」も生まれている。
03ブルガリ・ローマからブルガリ・ブルガリへ
1975年、当時ブランドを率いていたジャンニ・ブルガリは、得意客への贈答用に100本限定のデジタル時計「ブルガリ・ローマ」を制作する。販売を意図しなかったこの試みが予想外の反響を得たことが、ブランドの時計史を大きく動かすことになる。
1977年、ジェラルド・ジェンタが手がけた円柱形ケースの「ブルガリ・ブルガリ」が発表された。ジェンタはすでにオーデマ ピゲのロイヤルオーク(1972年)、パテック フィリップのノーチラス(1976年)で名を馳せていた人物である。ベゼル上に「BVLGARI」の文字を二度刻むという案は当初社内でも疑問視されたと伝わるが、古代ローマの硬貨に皇帝名が円周に沿って刻まれていた意匠を踏まえたこの大胆な決断が、結果的にブランドの記号として定着していく。1980年に時計事業部が独立し、1982年にはスイス・ヌーシャテルに「ブルガリ・タイム S.A.」が設立された。同社の設立は、宝飾メゾンが本格的な時計事業へと舵を切ったことを意味する。
04スポーツウォッチへの進出と機械への深化
1988年に発表された「ディアゴノ」は、ブランド初の本格的スポーツウォッチであり、デザインはジェンタによるとされる。1998年には素材構成において前例の少ないアルミニウムとラバーの組み合わせを採用した「ブルガリ・アルミニウム」が登場し、アリタリア航空のボーイング747の機体側面を広告に用いる宣伝とともに、90年代後半のジェットセット文化の象徴となった。
2000年、ブルガリはシンガポールのザ・アワー・グラスからジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートの両ブランドを取得する。これにより、ヴァレ・ド・ジューのル・サンティエにあるムーブメント製造拠点を傘下に収め、自社製キャリバーの開発体制を整える契機を得た。続く数年で文字盤、ブレスレット、部品、ケースの各メーカーを順次取得し、垂直統合を進めている。
05LVMH傘下と「オクト」の挑戦
2011年、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンがブルガリの株式を約37億ユーロで取得した。ブルガリ家はLVMH株を受け取り、グループ内で第二位の家族株主となる。同年、ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ率いる時計デザイン部門がローマからスイス・ヌーシャテルへ移転された。
2012年に発表された「オクト」のケースは、ローマのフォロ・ロマーノに残るマクセンティウスのバジリカの八角形の格天井に着想を得たと公表されている。110のファセットを持つこのケース構造が、続く「オクト・フィニッシモ」シリーズの土台となった。2014年の「オクト・フィニッシモ・トゥールビヨン」(手巻、ムーブメント厚1.95mm)を起点に、自動巻、クロノグラフ、ミニッツリピーター、永久カレンダーと薄型化の世界記録を順次更新し、2022年には総厚1.80mmの「オクト・フィニッシモ・ウルトラ」が発表された。同年のうちにリシャール・ミルのRM UP-01(1.75mm)へ最薄の座を譲ったが、2024年には1.70mmの「オクト・フィニッシモ・ウルトラ COSC」で取り戻している。2025年のウォッチズ・アンド・ワンダーズで披露された「オクト・フィニッシモ・ウルトラ・トゥールビヨン」は厚さ1.85mmで世界最薄トゥールビヨンの座を奪還し、ブランドが薄型化の領域で打ち立てた世界記録は10件に達したと公表されている。
2025年12月、LVMHはブルガリのCEOを2026年7月1日付でジャン=クリストフ・ババンからローラ・ブルデーゼに交代させる人事を発表した。ババンはCEOを12年務めたのち、取締役会長としてブルガリにとどまる。宝飾と時計、ローマとスイス、装飾と工学。複数の振り子の間を行き来しながら、ブルガリはイタリア発の独自の時計マニュファクチュールとしての位置を確立しつつある。