設計思想
1. 2022年、予想を外した一本
2022年を前に、GMT-Master IIの新作として取り沙汰されていたのは、オールブラックベゼルの復活や赤黒の「Coke」配色だった。126710系の刷新は、2018年の126710BLRO、2019年の126710BLNRで一巡していた。次は色の追加だろうという見方が大勢だったとされる。
ロレックスが示したのは、そのどちらでもなかった。リューズと日付を9時側に移した126720VTNRである。現代のロレックスが左リューズを量産モデルに採用したのはこれが初めてで、緑黒のベゼルもブランド初の配色だった。細部の改良を積み重ねる作法で知られるブランドだけに、その意外性は際立ち、評価は大きく割れた。
2. 前任を持たないRef
126720VTNRには直接の前任Refが存在しない。技術的な土台は126710系にあり、40mmのケース、Cal.3285、24時間針と独立調整式の時針という中核は共有される。変わったのは配置であり、Ref番号も126710ではなく126720と改められ、独立したRefとして扱われている。
左リューズという発想自体は、グループ内で前例がないわけではない。姉妹ブランドのTudorは2016年、ダイバーズのPelagosに左リューズ仕様のPelagos LHD(Ref. 25610TNL)を加えている。ロレックス本体にも、過去にごく少数の左リューズ個体が作られたと伝わる。ただしカタログに常設される量産品として、看板シリーズに投入された例はなかった。
3. 緑が担う意味
緑はGMT-Master IIの歴史に、断続的に現れてきた色である。2005年のシリーズ50周年記念機116718LNは緑の文字盤を持ち、2007年の116710LNは緑のGMT針を備えた。126720VTNRは116710LN以来となる緑のGMT針を復活させ、さらにその色をベゼルにまで広げて配色の主役に据えた。ブランドを象徴する色が、シリーズの定型を崩したRefに与えられた点は示唆的である。
緑黒の組み合わせが炭酸飲料の缶を連想させることから、愛好家の間では「Sprite」の愛称が定着した。右腕用を意味するイタリア語から「Destro」とも呼ばれるが、いずれもロレックス自身が用いる名称ではない。
4. 変わり種から系譜へ
発表当初、本機を一度きりの実験と受け止める声は少なくなかった。しかし2025年、この構成が貴金属ケースにも展開されたことで、左リューズのGMTはひとつの系統として扱われ始める。2026年にはステンレスのPepsiがカタログを外れた。本機はいま、Batman系やBruce Wayneと並ぶステンレスGMTの主要な一角を占めている。
意匠分析
本機の設計上の選択は、126710系の構成要素をほぼそのまま使いながら、配置だけを鏡像的に組み替えた点に集約される。リューズとリューズガードはケースの9時側へ移り、日付窓とCyclopsレンズ(日付を拡大するレンズ)も9時位置に置かれた。ケースやムーブメントを新造したのではない。両者の向きを反転させ、文字盤と日付ディスク、ブレスの取り付けを組み替える手法がとられたとされる。三重の防水構造を持つねじ込み式のTriplockリューズも、右リューズの兄弟機と共通である。
この配置は、二通りの着け方に応える。右腕に着ければ、一般的な時計を左腕に着けたときと同じ位置関係でリューズを扱える。左腕に着ければ、リューズが手の甲に当たらない。左利きのための時計と一括りにされがちだが、実際の効用はもう少し広い。
文字盤は光沢のある黒ラッカー仕上げで、Chromalight夜光を充填したホワイトゴールド製アプライドインデックスを配する。暗所では青く長く発光する。9時のインデックスが日付窓に置き換わったことで、盤面の左右の重心は通常のGMT-Master IIと逆になる。
ベゼルは緑と黒の二色Cerachrom(ロレックス独自の高硬度セラミック)で、24時間目盛の数字は型押しで成形される。緑のセラミックインサートを作った後、半周分を黒へ変色させる二段階の工程で仕上げるとされる。ロレックスはこの緑を、本機のために用意した専用色と説明している。24時間で文字盤を一周する矢印型の針も同じ緑に塗られ、ベゼルと呼応する。
ブレスレットは3連のOysterで、外側のリンクをサテン、中央のリンクをポリッシュで仕上げる。中央に光を通すことで、道具としての硬さをやわらげ、旅の時計らしい表情をつくっている。クラスプはOysterlock折りたたみ式で、約5mm延長できるEasylinkを備える。
ムーブメントは自社製のCal.3285。脱進機にはエネルギー効率を高めた特許機構、Chronergyエスケープメントを用いる。ヒゲゼンマイは磁気の影響を受けにくい青いParachrom製で、約70時間の持続時間を確保する。時針を1時間刻みで単独に進退させる機構は、リューズが左へ移っても手順は変わらない。
系譜と歴史
126720VTNRは2022年3月、ジュネーブで開催されたWatches and Wonders Geneva 2022で発表された。ブレスレットは当初から2種が用意された。3連のOysterを備える本機126720VTNR-0001と、5連のJubileeを備える126720VTNR-0002である。新色を1種のブレスで出すことの多いロレックスとしては、珍しい出し方とされた。もっとも前年の2021年には、126710BLROと126710BLNRにもOysterブレス仕様が加わっている。ステンレスのGMT-Master IIでは、両ブレスを揃える体制がすでに整っていた。
生産開始後、文字盤の刷りやブレスの仕様について、公式に告知された変更は確認されていない。発表から4年余り、本機は初出時の仕様を保っている。
2025年のWatches and Wonders Geneva 2025では、同じ左リューズ構成を18Kホワイトゴールドに移した126729VTNRが加わった。緑黒のベゼルを受け継ぎつつ、文字盤にはロレックス初のセラミック製ダイヤルとなる緑のCerachromを採用し、ブレスはOysterのみの設定とされた。
2026年4月のWatches and Wonders Geneva 2026では、ステンレスのPepsi(126710BLRO)がカタログから外れた。これによりステンレスのバイカラーベゼルは、126710BLNR、2024年に加わった126710GRNR、そして本機の三系統となった。126720VTNR自体に変更は加えられず、2026年9月時点でも現行モデルとして公式カタログに掲載されている。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Watches - Rolex
- 02 専門メディア Rolex Movements Explained