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BRAND · FR · EST. 1837

Hermès

エルメス

パリの馬具職人に始まる工芸の家が、機械の優劣を競わず時を遊ぶ姿勢を貫いて築いた、現代スイス時計界の稀有な異端

COUNTRY
FR
FOUNDED
1837
HEADQUARTERS
フランス パリ
GROUP
エルメス・インターナショナル(Hermès International S.C.A.)
FOUNDERS
ティエリー・エルメス
01 — OVERVIEW

概要

1837年パリ創業のエルメスは、馬具職人から出発した工芸の家である。革製品を起点に絹、宝飾、そして時計へと領域を広げ、1978年にスイス・ビエンヌ近郊で La Montre Hermès を設立した。当初は女性向けクオーツが中心であったが、2006年のヴォーシェ・マニュファクチュールへの資本参加を契機に機械式への垂直統合を進め、2012年に自社キャリバー H1837 を発表。2017年にはル・ノワルモンに自社時計工房群を結集している。技術的優位を主張するのではなく、時間そのものを遊戯的に扱う独自の姿勢で、近年は GPHG 受賞作を重ねる。

02 — PHILOSOPHY

設計思想

What this house values
「エルメスの製品は受け継がれることを前提とする。時間はその創造に寄与するもので、敵ではない」

エルメスの時計づくりを貫く姿勢は、機構による優劣競争の外側に立つことにある。クリエイティブ・ディレクターのフィリップ・デロタルは「エルメスの製品は受け継がれることを前提とする。時間はその創造に寄与するもので、敵ではない」と語ったと伝わる。この言葉が示すのは、時計を「正確に時を刻む機械」としてではなく、「時とともに在る道具」として位置づける思想である。

意匠面では、創業以来の馬具・革製品の遺伝子が一貫して通底する。Arceau の鐙(あぶみ)を思わせるラグ、Cape Cod の錨の鎖(シェーヌ・ダンクル)を写したケース、Heure H の頭文字を象った正方形ケース。記号的なモチーフを直接転用するのではなく、構造として馬具の文法を時計に翻訳する手つきが特徴である。文字盤の数字書体すら、グラフィックデザイナーのフィリップ・アペロワに専用にデザインさせる徹底ぶりを見せる。

機構面では、長らく外部ムーブメントに依存しながら、2006年のヴォーシェ・マニュファクチュール出資以降、自社キャリバー化を慎重に進めてきた。基幹キャリバー H1837 の開発について当時のCEOリュック・ペラモンは「予定より3年余計にかかった。性能だけでなく完全な信頼性を求めたからだ」と述べたと伝わる。後発である自覚とともに、急がない姿勢を選んだ。

商業哲学において最も興味深いのは、何を作らないかという選択である。同社は機械式の超複雑機構競争に正面から参戦するのではなく、時針と分針を12時付近に退避させる Le Temps Suspendu や、月相を二つの大きな固定円盤として描く L'Heure de la Lune のように、機構の精巧さを実用ではない方向に振り向ける道を選んだ。現CEOローラン・ドルデは、パテック フィリップを超えることを目指さないという趣旨を語ったと伝わる。その立ち位置こそがエルメスの時計を独自たらしめている。

03 — STORY

物語

A narrative of the house

01革と時の出会い(1837〜1928)

1837年、ティエリー・エルメスがパリのマドレーヌ広場近くに開いた工房は、貴族や軍向けの馬具を製作する事業であった。時計は事業領域に含まれていない。

転機は1912年、創業者の孫エミール=モーリス・エルメスが当時9歳の娘ジャクリーヌのために、懐中時計を腕に固定する革製のポルト・ニョン(porte-oignon)を製作したことに始まる。馬上で時計を確認しやすくするための実用的工夫であったが、結果として腕に時計を着ける文化を、革と馬具の家が独自に発見した瞬間でもあった。

メゾンの名を最初に冠した時計は1928年、フォーブール・サントノレ24番地の本店で発売された「Ermeto(エルメト)」である。スイスのムバードと共同開発した懐中時計で、革製の外装を引き開けるとリュウズが連動して自動巻きされる機構を持つ。同型は翌1929年のバルセロナ万国博覧会でグランプリを獲得したと伝わる。

02スイスの名門との協業時代(1930s〜1970s)

20世紀半ばのエルメスは、自前のムーブメント製造を持たず、スイス名門との協業によって時計を供給した。ジャガー・ルクルト、ユニバーサル・ジュネーヴ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲ、ユリス・ナルダンらのキャリバーが、エルメス銘の文字盤の裏で時を刻んだ、いわゆるダブルサインの時代である。

当時の主力は革ベルトと一体化した装身具的な腕時計であった。実用時計のメーカーというよりは、革製品の延長線上に時計を提供する家、というのが当時の立ち位置であった。

03La Montre Hermès の設立とアルソー(1978〜1990s)

1978年、当主ジャン=ルイ・デュマがメゾンを率いる時代に、エルメスはスイス・ビエンヌ近郊ブリュッグに専門子会社 La Montre Hermès を設立した。同年発表された「Arceau(アルソー)」は、メゾンのデザイナーであるアンリ・ドリニーが手がけた最初の腕時計である。鐙(あぶみ)に着想した非対称のラグが特徴で、文字盤には傾いたアラビア数字が並ぶ。

続く1991年、同じくアンリ・ドリニーが「Cape Cod(ケープコッド)」を発表する。長方形ケースの内部に正方形を抱く反転的構造で、錨の鎖を写したメゾンの図案「シェーヌ・ダンクル」を時計に翻訳した造形である。1998年にはマルタン・マルジェラがダブルトゥール・ストラップをデザインし、革の工芸性と時計の機能美が結びついた。1996年には頭文字Hを正方形ケースとして立体化した「Heure H」も加わる。

04工芸の家から時計のメゾンへ(2000s〜2010s前半)

21世紀に入ると、エルメスは時計事業を「装身具のひとつ」から「独立した工芸領域」へと位置づけ直す。鍵となったのは2006年のヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエへの25パーセント出資であった。ヴォーシェはパルミジャーニ・フルリエ系列の高級ムーブメント製造者であり、サンド・ファミリー財団が大株主である。エルメスはこの出資で2,500万スイスフランを投じたと伝わる。

同年、ブリュッグの本拠にレザーストラップ製造部門を統合し、革と機構を同じ屋根の下に置く体制を整えた。さらに2012年に文字盤製造のナテベール、2013年にケース製造のジョセフ・エラールを傘下に収め、垂直統合の主要部品メーカーを揃えていく。

05自社キャリバーと垂直統合の完成(2010s)

2012年、エルメスはヴォーシェとの共同開発により、創業年にちなんだ自社キャリバー H1837 と、女性向けの小型版 H1912 を発表する。直径26.2ミリ、厚さ3.7ミリ、毎時28,800振動(4Hz)、ダブルバレルで50時間のパワーリザーブを備えた基幹自動巻きである。

2011年に発表された「Arceau Le Temps Suspendu」は、ケース側面のプッシャーを押すことで時針と分針を12時付近に退避させ、時刻表示そのものを中断する独自の複雑機構を備えていた。アジュノール社が機構を設計した。同作はGPHG メンズウォッチ部門を獲得し、メゾンに時計界での真の認知をもたらした。

2015年には Slim d'Hermès が登場する。ヴォーシェとの共同開発による超薄型マイクロローター式 H1950 を搭載し、文字盤の数字は元ルーヴル美術館アート・ディレクターのフィリップ・アペロワが専用にデザインした。同じ2015年、エルメスはアップルとの初の協業として Apple Watch Hermès を発表する。フランスの自社工房で手作業によるレザーストラップを供給し、Cape Cod や Espace の文字盤デザインを電子時計に翻案した。

2017年、取得した2社の工房をル・ノワルモンに集め、Les Ateliers d'Hermès Horloger とした。文字盤とケースの製造が、ひとつの拠点に集約された。

06時を遊ぶ姿勢の現在(2020s)

2021年、エルメスは男性向けカジュアル時計の不在を埋める H08 を発表する。クッション型39ミリケースにチタンやグラフェンを含む複合素材を用い、自社の H1837 を搭載した。

続く2024年には女性向けの新コレクション Hermès Cut を投入。36ミリの円形ケースに H1912 を搭載し、女性向けの新しい柱に自社ムーブメントを据えた。2025年には Arceau Le Temps Suspendu がオープンワーク文字盤と42ミリへのサイズダウンとともに再登場し、14年前に提示した「時を止める」という発想を現代の文体で語り直している。

創業から2世紀近く、La Montre Hermès 設立から半世紀近くを経て、エルメスの時計は革製品の延長から完全に独立した工芸領域へと至っている。

04 — HISTORY

歴史

A factual chronology

1837年、ティエリー・エルメスがパリ8区マドレーヌ広場近くで馬具工房を開いたことを起点とする。エルメスと時計の接点は1912年、創業者の孫エミール=モーリス・エルメスが娘ジャクリーヌのために、懐中時計を腕に固定する革製のポルト・ニョンを製作したことに始まる。

1928年、フォーブール・サントノレ24番地の本店で、初めて「Hermès」を名乗る時計が発売される。スイスのムバードと共同開発した「Ermeto」と呼ばれる懐中時計で、革製の蓋の開閉によってムーブメントが自動巻きされる機構を備えていた。続く戦間期から戦後にかけては、ジャガー・ルクルト、ユニバーサル・ジュネーヴ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲなど、スイス名門ムーブメント製造者との協業によって時計を供給する時代が続く。

1978年、ジャン=ルイ・デュマ体制のもと、スイス・ビエンヌ近郊ブリュッグに専門子会社 La Montre Hermès が設立される。同年、デザイナーのアンリ・ドリニーが手がけた最初の時計「Arceau」が発表された。1991年には同じくドリニーによる「Cape Cod」が登場し、1996年には「Heure H」が加わる。

La Montre Hermès は2003年に独自ムーブメントの開発に着手したとされる。2006年にヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエの株式25パーセントを取得し、機械式への垂直統合を本格化させた。2009年から2015年まで、リュック・ペラモンがCEOを務めた。2012年に文字盤製造のナテベール、2013年にケース製造のジョセフ・エラールを傘下に収め、2017年には両社の工房をル・ノワルモンに集約した。2011年に発表された Arceau Le Temps Suspendu は同年の GPHG メンズウォッチ部門を受賞し、メゾンの時計界での評価を決定づけた。翌2012年には自社キャリバー H1837 および H1912 を発表している。

2015年3月、ローラン・ドルデが新CEOに就任。同年、超薄型キャリバー H1950 を搭載した Slim d'Hermès が登場し、Apple Watch Hermès の協業も始まる。2019年、Arceau L'Heure de la Lune が GPHG カレンダー&アストロノミー部門を受賞する。2021年に H08、2024年に Hermès Cut を発表し、男女両軸でマニュファクチュール体制の成果を世に問うている。

05 — SERIES OVERVIEW

シリーズ概観

How the series relate

エルメスの代表シリーズは、馬具の意匠から派生する造形と、メゾン独自の遊戯的な時計観によって性格づけられる。

「Arceau(アルソー)」は1978年、メゾン初の自社時計として誕生した。アンリ・ドリニーが手がけた円形ケースに、鐙を思わせる非対称のラグが付き、傾いたアラビア数字を載せた文字盤を持つ。現在は時刻中断機構を備えた Le Temps Suspendu、二つの月相ディスクで南北両半球の月を描く L'Heure de la Lune、世界時を再構成した Le Temps Voyageur など、メゾンの複雑機構作品の主要な舞台となっている。

「Cape Cod(ケープコッド)」は1991年に発表された、長方形と正方形の入れ子構造を持つ意匠である。鎖のモチーフ「シェーヌ・ダンクル」を時計に翻訳した造形で、ダブルトゥール・ストラップとともにメゾンの女性向けアイコンの地位を保つ。

「Heure H」(1996年)は、メゾンの頭文字Hを正方形ケースとして立体化したシリーズで、Cape Cod とともに装身具的な文体を担う。

「Slim d'Hermès」(2015年)は、超薄型自動巻きキャリバー H1950 と、グラフィックデザイナーのフィリップ・アペロワによる専用書体を備えるドレスウォッチ系列である。Squelette Lune など複雑機構派生形が展開されている。

「H08」(2021年)は、メゾンの長年の空白であった男性向けカジュアル時計を埋めるコレクション。クッション型39ミリケースにチタンやグラフェンを含む複合素材を用い、自社 H1837 を搭載する。

「Hermès Cut」(2024年)は、円の中に円を抱く36ミリの女性向けスポーツウォッチで、自社の H1912 を搭載する。

このほか、馬具のリベットを纏う「Médor」、ケリーバッグの錠前を時計に転用した「Kelly」、フランス建築家マルク・ベルティエがデザインした「Carré H」、ドレス系の「Faubourg」、女性向けの「Galop d'Hermès」、ライフスタイル領域への接続として位置づけられる Apple Watch Hermès などが派生線として共存している。

06 — SERIES

代表シリーズ

Lineages of one house
全1シリーズを見る →
07 — CALIBERS キャリバー一覧 →

主要キャリバー

Movements of the house
08 — CULTURAL

文化との接点

Where this house meets the wider world

エルメスの時計が文化と結びつく仕方は、メゾンの装身具やシルクスカーフの文脈と地続きである点に特徴がある。1920年代後半に登場した Ermeto は、ジャン・コクトーやチャーリー・チャップリン、後年にはアンディ・ウォーホルらに愛されたと伝わる。1945年には、のちのイタリア王ウンベルト2世がスキー用のベルトバックル型時計を特注したとも伝わる。

近年では2015年、アップルとの協業による Apple Watch Hermès が、フランス自社工房製のレザーストラップとメゾン専用の文字盤デザインを携えて登場した。スマートウォッチと工芸的時計の境界を曖昧にする企てとして話題を呼び、シリーズはアップル側の世代更新に伴って毎年新作が発表されている。

スポーツや宇宙、深海といった機能的アイコンを持つ時計ブランドとは対照的に、エルメスは絵画・舞踊・工芸との接続を時計の側からも引き受けている。メティエダールの作品群では、絵画や工芸の職人技を文字盤に持ち込む試みが続いている。

— SOURCES

出典

本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。

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