系譜と歴史
1. 開発の背景
エルメスの機械式時計づくりで転機となったのは2006年である。この年エルメスは、フルリエのヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエの株式25%を取得した。ヴォーシェはサンド・ファミリー財団傘下のムーブメント専業メーカーである。パルミジャーニ・フルリエなど、限られたブランドに機械を供給してきた。
この関係から生まれた機械の一つがCal. H1950である。新しいドレスウォッチの構想は、当初から極薄であることを前提にしていた。計画を率いたのはクリエイティブディレクターのフィリップ・デロタルで、薄いケースに収まる自動巻が求められた。
2. 2015年の登場と出自
H1950は、2015年のバーゼルワールドでSlim d'Hermèsとともに発表された。エルメスはこれを「マニュファクチュール・エルメス」の機械と呼ぶ。
ただし基になったのは、ヴォーシェが他社にも供給する極薄マイクロローター機VMF 5401である。ヴォーシェは一定数以上の注文に対し、受けの形と装飾を顧客ごとに変える仕立てを用意している。H1950では、直線的で幾何学的な受けの輪郭がエルメス向けに改められたとされる。同じヴォーシェのマイクロローター機は、パルミジャーニ・フルリエの薄型モデルにも使われてきた。
H1950は、設計の骨格を共有しながら仕上げと意匠で固有の顔を持つ機械である。エルメスの資本が入った専業メーカーが、エルメス専用に仕立てた形と言い換えられる。
3. モジュールの土台として
H1950は発表の年から、複雑機構を重ねる土台を兼ねた。2015年の永久カレンダーは、H1950にアジュノール(Agenhor)のモジュールを重ねた構成である。アジュノールは、ジャン=マルク・ヴィドゥレクが率いる工房である。永久カレンダーに加え、ムーンフェイズ、第二時間帯、昼夜表示を備える。このモデルは2015年のジュネーブ時計グランプリ(GPHG)でカレンダー部門賞を受けた。
2018年には、同じくアジュノール製のモジュールを重ねたGMTモデルが続いた。日付と第二時間帯、二つの時間帯それぞれの昼夜表示を持つ。現行のカタログでも、永久カレンダーはH1950にモジュールを重ねる構成のままである。
4. 業界での位置
ヴォーシェはH1950のほかにも、複数の高級ブランドへ機械を供給している。H1950は、専業メーカーの共通設計とブランド固有の仕立てを組み合わせる、スイス時計産業の分業の一例である。
2026年には、ヴォーシェがVMF 5400系の後継としてVMF 5500を発表したとされる。寸法と取り付け位置を保ち、従来機と入れ替えられる設計だという。H1950への影響は、本稿の時点では明らかでない。