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PERSON · 1801–1878

ティエリー・エルメス

Thierry Hermès

ドイツのクレーフェルトに生まれ、1837年パリに馬具工房を開いたエルメスの創業者(1801-1878)

BORN
1801年
DIED
1878年
MODELS
5 本
人物一覧と共通の時間軸 1690–2026
01 — OVERVIEW

概要

ティエリー・エルメス(Thierry Hermès、1801-1878)は、エルメスの創業者である。ライン川下流の町クレーフェルト(現ドイツ)に生まれ、1821年にフランスへ移った。ノルマンディーの皮革の町ポン=トードメールで腕を磨いたのち、1837年にパリで馬車用の引き具を作る工房を開く。1867年のパリ万国博覧会で一等メダルを受け、1878年に没した。時計を作ったことはない。だがその工房は、子孫の代に腕時計とスイスの時計子会社へ至る家業の起点となった。

02 — LIFE

生涯

A life in time

01クレーフェルトの少年(1801〜1821)

ティエリー・エルメス(Thierry Hermès)は1801年、ライン川下流の町クレーフェルト(現在のドイツ)に生まれた。生まれたときの姓はアクセント記号のない「Hermes」で、「Hermès」の綴りはのちに定着したものである。

ポン=トードメール市の文化財課がまとめた資料によれば、父は宿屋を営んでいた。ティエリーは13〜14歳で学校を離れ、地元の馬具店で修業を始めたとされる。2022年に『クレーフェルト年報』に載ったピエール・ソメらの論考は、彼の少年期を描いている。背景に置かれたのは、ナポレオン期のフランス統治下にあったラインラントである。1821年、ティエリーは故郷を離れてフランスへ移った。

02ポン=トードメールでの修業(1821〜1836)

同じ資料によれば、ティエリーはまずパリで馬具職人として働き、1828年にパリで結婚した。1829年から1836年にかけては、ノルマンディーのポン=トードメールに滞在して技術を磨いたという。この町は中世からなめし革の産地として知られ、1835年には77軒のなめし工場があったと資料は記す。

職人として革の産地に身を置いた数年間は、のちに自分の工房を構えるための準備期間でもあった。息子のシャルル=エミール・エルメスは1831年、この町で生まれている。

03パリの工房(1837〜1878)

1837年、ティエリーはパリに戻った。グラン・ブールヴァール界隈のバス=デュ=ランパール通り(現存しない)に、自身の工房を開く。蹄の音が響く地区で、馬車用の引き具と鞍を手がける店だった。36歳での独立である。

工房を開いて30年後の1867年、エルメスの引き具はパリ万国博覧会で一等メダルを受ける。

1878年、ティエリーはパリ西郊のヌイイ=シュル=セーヌで没した。工房を開いてから41年後のことだった。

04継承

家業は息子のシャルル=エミール(1831-1916)が継いだ。シャルル=エミールは1880年、工房をエリゼ宮に近いフォーブール・サントノレ通り24番地へ移し、店舗を構えた。顧客はヨーロッパから北アフリカ、ロシア、南北アメリカへと広がった。

1902年からは、孫のアドルフとエミール=モーリスが「エルメス・フレール」の名で事業を担った。1914年には70〜80人の馬具職人を抱える規模になっていた。創業者が一人で始めた工房は、こうして馬具の家から革製品の家へと広がっていく。

03 — WORK

業績・代表作

What this person built

01引き具という仕事

ティエリー・エルメスの仕事は、馬車を引く馬に着ける引き具(ハーネス)と手綱を作ることだった。乗り手の装備というより、馬車という乗り物の一部を担う革製品である。都市の移動を支える実用品で、毎日の酷使に耐えることが前提になる。

エルメスの公式な社史は、ティエリーの引き具を二つの性質の両立として説明している。控えめな繊細さと、どのような条件でも持ちこたえる耐久性である。社史はさらに、近代化で人と馬車の往来が増えたパリで、彼が顧客の求める簡素さと軽さを先取りしていたと記す。

021867年の一等メダル

この仕事が公に評価されたのが、1867年のパリ万国博覧会である。エルメスの引き具は審査で一等メダルを受けた。社史はこれを、技術上の達成が認められた出来事として位置づけている。

万国博覧会は、各国の産業と技術を並べて比べる場だった。そこで一軒の馬具工房が評価されたことは、エルメスの名が職人仲間の外へ知られる契機になった。

03工房の作法を残したこと

ティエリーが後世に残した最大のものは、特定の製品ではなく仕事の進め方である。自分の名を掲げた工房で、革の馬具を仕立てる。この形は息子の代に、フォーブール・サントノレ通りの店で採寸して作る馬具と鞍へ受け継がれた。社史は、この店で作られた品の評判がヨーロッパ中に広まったと記している。

エルメスのロゴに描かれる、従者を待つ一頭立ての馬車も、引き具職人として始まった家の出自を示す図像である。ロゴは後年に定められたものだが、創業者の仕事はこうして家の象徴として残った。

04時計へつながる線

ティエリー自身は時計を作っていない。エルメスが時計を扱い始めるのは、孫のエミール・エルメスが家業を率いた時代である。社史によれば、1925年の紳士服、1927年の宝飾に続き、1928年に時計とサンダルが加わった。1978年には、一族の5代目にあたるジャン=ルイ・デュマが家業を率い始めた。同年、スイスのビエンヌに時計子会社ラ・モントル・エルメスが置かれている。

それでも、時計の中に創業者の仕事の名残は見える。2016年のSlim d'Hermèsの新作群は、自社の革工房で仕立てたストラップを備えた。Forbesは、これを馬具と革の技術への敬意を示す構成と報じている。革を扱う技術を時計の一部に生かす発想は、引き具の工房から始まった家の筋道の上にある。

04 — LEGACY

評価・後世への影響

What remains

エルメスは創業から190年近くを経た現在も、ティエリーの子孫が経営を担う家族経営の企業である。公式の社史は、2005年にアーティスティック・ディレクターとなったピエール=アレクシ・デュマを一族の6代目と位置づけている。2013年には、ジャン=ルイ・デュマの甥アクセル・デュマがエグゼクティブ・チェアマンに就いた。時計業界でブランドのグループ化が進んだ時代にも、家族の持ち株を軸に独立を保ってきた点は、創業者から続く家業の性格をよく表す。

時計の領域では、1978年に生まれたラ・モントル・エルメスが、クォーツショックでスイスの時計産業が揺らいだ時期に船出した。2015年には、アップルとの協業によるApple Watch Hermèsも始まっている。馬具の工房を起点にした家が、機械式とデジタルの双方で時計を扱うまでに広がった。

創業者その人への関心も、近年あらためて高まっている。生地クレーフェルトでは、2022年に『クレーフェルト年報』が、彼の家系と少年期を一次史料からたどる論考を載せた。修業の地ポン=トードメールは2025年、かつてなめし工場が集まった広場を「ティエリー・エルメス広場」と名づけた。ドイツに生まれ、ノルマンディーで技を磨き、パリで店を開いた。その経歴が、二つの国の町でそれぞれの歴史として語り直されている。

05 — WORKS

この人物が関わったモデル

— — SOURCES

出典

本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。

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