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PERSON · 1949–現在

ジャン=クロード・ビバー

Jean-Claude Biver
経営者

ブランパン、オメガ、ウブロを蘇らせ、LVMH時計部門を統率したスイス時計産業の経営者・起業家

01 — 概要 / OVERVIEW

ジャン=クロード・ビバー(Jean-Claude Biver、1949-)は、ルクセンブルク出身、スイスを拠点とする時計産業の経営者・起業家である。1981年にジャック・ピゲと共に休眠状態のブランパン(Blancpain)を買収し、機械式時計の復権を象徴するブランドとして再生させた。1990年代以降はオメガ(Omega)、ウブロ(Hublot)、タグ・ホイヤー(TAG Heuer)を順に率い、2014年からはLVMH時計部門のプレジデントを務めた。2022年には息子ピエール・ビバー(Pierre Biver)と共に独立ブランドJC Biverを設立し、現在に至る。

02 — Life

生涯

A life in time

ルクセンブルクからスイスへ

ジャン=クロード・ビバー(Jean-Claude Biver)は1949年9月20日、ルクセンブルクに生まれた。10歳の頃に家族でスイスへ移住し、後にローザンヌ大学経済経営学部(HEC Lausanne)で経営学の学位を取得する。学生時代のビバーを時計の世界へ引き寄せたのは、ヴァレ・ド・ジュー(Vallée de Joux)でのジョギング仲間ジャック・ピゲ(Jacques Piguet)の腕にあった一本のスケルトン時計だったと伝わる。ピゲは精密ムーブメントメーカーであるフレデリック・ピゲ社の経営者一族で、この出会いがビバーをジュー渓谷の工房文化と結びつけた。

業界入りとブランパン買収

1975年、ピゲの仲介でビバーはオーデマ・ピゲ(Audemars Piguet)に入社する。営業・マーケティングを担当し、1980年にはオメガ(Omega)に移籍して貴金属製品部門を任された。当時の業界はクォーツ・ショックの余波で、機械式時計の存続そのものが議論されていた時代である。1981年、ビバーはピゲと共に休眠状態のブランパン(Blancpain)の権利をSSIHから約22,000スイスフランで買い取った。1983年に新会社Blancpain SAを設立し、彼が再ローンチで掲げた標語は「1735年以来クォーツのブランパンは存在しない。これからも作らない」というものだった。クォーツ全盛の時代に機械式しか作らないと宣言する逆張りである。この戦略は奏功し、ブランパンは1992年に約6,000万スイスフランでSMHグループ(現Swatchグループ)へ売却された。

オメガ再生からウブロ躍進へ

ブランパン売却後もビバーはSMH内に残り、オメガの再生を担う。1995年の映画『ゴールデンアイ』を起点とする007シリーズへのプロダクト・プレースメントや、シンディ・クロフォードらを起用した広告で、オメガを現代性に開かれたブランドへと変えた。2003年末にSwatchグループを離れ、翌2004年、カルロ・クロッコ(Carlo Crocco)が1980年に創業した小規模ブランド、ウブロ(Hublot)の経営に参画する。2005年にBaselworldで発表したBig Bangが商業的・批評的に成功を収め、2008年にウブロはLVMHに買収された。

LVMH時計部門と独立ブランド

2014年、ビバーはLVMH時計部門のプレジデントに就任し、ウブロ、ゼニス、タグ・ホイヤー(TAG Heuer)を統率する立場となる。2018年9月、健康上の理由により運営的役割を退き、ノン・エグゼクティブ・チェアマンへ身を引いた。後継のCEOにはステファヌ・ビアンキ(Stéphane Bianchi)が就いた。2022年、ビバーは息子のピエール・ビバー(Pierre Biver)と共に自身の名を冠した独立ブランドJC Biver(jcbiver SA)をスイス・ジヴラン(Givrins)に設立し、2023年のWatches & WondersでデビューモデルCarillon Tourbillonを発表した。父子による少量生産ブランドとして、現在も新作を発表し続けている。

03 — Work

業績・代表作

What this person built

業績を貫く哲学:ストーリーテリング

ビバーの仕事を貫くのは、停滞または埋もれていたブランドに固有の物語を与え直す手法である。ブランパンでは「1735年以来クォーツは作らない」という宣言によって、機械式時計の正統性そのものをブランドのアイデンティティに据えた。オメガではアポロ月着陸を成し遂げたスピードマスターの歴史を再構築し、007シリーズへの起用で大衆文化と結びつけた。ウブロでは創業者カルロ・クロッコが1980年に提示した「異素材の融合」というコンセプトを再解釈し、Big Bang(2005年)で具現化した。いずれの仕事も、時計の技術と同等以上に、ブランドの語りを再設計する側面が大きい。

Art of Fusionと素材革命

ウブロ時代に体系化された「Art of Fusion(融合の芸術)」は、伝統的な貴金属と現代的な素材—ゴム、セラミック、カーボン、サファイア—を組み合わせる思想である。後にウブロは独自合金Magic Gold(セラミックを混ぜた18金合金で耐傷性を高めたもの)を開発するなど、素材技術そのものを競争領域に押し上げた。スポーツチームや音楽家との協業も積極的に進められ、サッカーのFIFAワールドカップやマンチェスター・ユナイテッドの公式時計、F1の公式パートナーとしての露出が、伝統的時計購買層の外へリーチを広げる役割を果たした。

マーケティング手法の革新

ビバーのマーケティングは、時計業界の慣習を意図的に外す方向で組み立てられた。本人が語る「顧客が居る場所へ行く」という方針は、専門誌やフォーラム以外—スポーツ中継、映画、SNS、セレブリティ—へブランドを露出させる戦略として実行された。オメガをジェームズ・ボンドに持たせる発想や、ウブロとデペッシュ・モード、ジェイ・Zらアーティストとの協業は、こうした方針の現れである。2010年にはPrix Gaïa(ガイア賞)の起業家部門を受賞しており、業界の枠を超えた経営者として複数の栄誉を受けている。

JC Biverと独立ブランドへの転回

2022年に息子ピエール・ビバーと設立したJC Biver(jcbiver SA)は、それまでの大量生産・大ブランド経営とは対照的に、少量生産・父子経営の体制をとる事業である。デビュー作Carillon Tourbillon(2023年、価格約52万スイスフラン)はトゥールビヨンとカリヨン式ミニッツリピーターを組み合わせた複雑時計だった。続くBiver Automatique(2024年)は三針時計ながら、独自設計の自動巻ムーブメントJCB-003と入念な装飾仕上げで構成されている。年間生産数は約150本程度とされ、これまでの量的拡大路線とは異なる出口を選んだ形である。

05 — Works

この人物が関わったモデル

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