カルロ・クロッコ
金無垢ケースに天然ラバーを合わせた1980年の時計「ウブロ」で、高級時計の素材観を揺さぶったイタリア出身の創業者
- BORN
- 1944年
- DIED
- 存命
- BRAND
- ウブロ — 1980年創業
- MODELS
- 10 本
概要
生涯
01家業を離れるまで
カルロ・クロッコ(Carlo Crocco)は1944年生まれのイタリア人である。1970年代、彼はイタリアで家族が営む時計の流通事業に携わっていた。一族は、ブレイユで知られるビンダ・グループの経営者家系と紹介されることが多い。当時のイタリア市場は、スイス時計の流行を左右する存在だったとされる。
一方でスイスの時計産業は、日本製クォーツの台頭によるクォーツショックのさなかにあった。1976年、クロッコは家業を離れ、スイスに自らの時計会社を興す準備に入る。こうしてジュネーブを拠点にMDMジュネーブが生まれた。業界が縮んでいく時期に、新しい高級時計の会社を始めたことになる。
02バーゼルでの出発
1980年、MDMジュネーブはバーゼル時計見本市に最初の時計を出品した。フランス語で船窓を意味する「ウブロ(Hublot)」である。本人の回想では、会期の最初の2日間はほとんど誰も足を止めず、流れが変わったのは3日目だったという。
転機の一つは『タイム』誌に載せた広告だった。荒れた海を背景にした写真を見て、ギリシャの元国王コンスタンティノス2世が2本を買い求めた。これをきっかけに王族や著名人の間に愛用者が広がり、ジョルジオ・アルマーニもその一人に数えられる。
クロッコによれば、発表から5年ほどは急速に伸びた。しかしやがて似た時計や偽物が出回り、勢いを削がれたと語っている。
03ビバーへの継承と売却
2000年代に入ると、ウブロは目新しさが薄れ、停滞の気配を見せていた。クロッコは後年、会社を一人で背負う孤独を当時の悩みとして挙げている。2004年、彼はジャン=クロード・ビバーを経営者に迎えた。ビバーとはブランパン時代から取引を通じた知己だったと本人は語る。経営をビバーに委ねた決断は難しかったとも振り返っている。
翌2005年にビバーが発表したビッグ・バンが、ブランドを急成長させた。2008年4月、LVMHがウブロの買収を発表する。売り手はクロッコと、ビバーが支配する会社だった。クロッコは発表に寄せて、LVMHの創造への情熱は自分が常に共有してきた価値だと述べた。
04財団へ
売却後のクロッコは、1998年に設立した財団「Main dans la Main(手と手をつないで)」の活動に軸足を移した。恵まれない子どもたちへの人道・教育支援を行う組織で、最初の事業はインドで始まったという。財団の名は、慈善団体テール・デ・ゾムの創設者エドモン・カイザーがMDMの3文字に見いだした読みだと伝わる。
業績・代表作
011980年の「ウブロ」
クロッコの業績は、ほぼ1本の時計に集約される。1980年に発表した「ウブロ」である。直径36mmのイエローゴールドのケースに丸いベゼルを重ね、12本のビスで留めた。このビスが時刻の目盛りを兼ね、文字盤にはインデックスを置いていない。黒い文字盤にあるのは、3時位置の日付窓だけである。
ムーブメントはスイス製のクォーツだった。クォーツショックのさなかに、精度の高さと合理性から選んだと本人は語る。現在は機械式のほうが魂を持つと認めつつ、当時の顧客はそれを気にしなかったという。
02ラバーという選択
最大の挑戦はストラップだった。貴金属のケースに天然ラバーを合わせる発想は、当時の高級時計には無かった。ラバーを扱う業者は車輪やタイヤなど大物の製造が本業で、時計に要る細かな公差に慣れていなかった。
クロッコはイタリアの技術者グイド・ガンベリーニと組み、鋼の芯材を内蔵したストラップを仕上げた。ゴムの匂いを抑えるため、素材にバニラの香りを加えたことも知られる。ケースへの取り付け方法にも前例がなく、ケースメーカーからは無理だと言われ続けた。専用の留め金も起こしている。ストラップの長さは調整できなかったため、顧客は店頭で5種類の長さから選んだとされる。
03設計を貫く考え方
クロッコが繰り返し語るのは、スイスの時計づくりにイタリアのデザインを重ねるという構想である。意匠の検討には、イタリアのデザイナー、フランチェスコ・マリア・ヴィメルカーティが加わったとされる。
もう一つの軸は簡潔さだ。12本のビスがあれば文字盤に何も足す必要はない、というのが本人の説明である。近年の取材では、冷たくない「温かいミニマリズム」を守るべきものに挙げた。市場調査は行わず、自分たちの発想だけで勝負したとも振り返る。失敗する危険を引き受けたからこそ成功があった、という考え方である。
本人によれば、「アート・オブ・フュージョン」という言葉は2004年にビバーが与えたものだ。1980年の時点では、名前のない姿勢にすぎなかった。哲学が先にあったのではなく、作りたい時計が先にあったことになる。
04名前と、その後の時計
1980年の時点で、ウブロは時計の名であり、会社の名はMDMジュネーブだった。時計の名が先に広まり、やがてブランド名として採用された。MDMの3文字は、当初は夫人の名に由来する社名の頭文字だったと本人は語る。のちに「Montre des Montres(時計の中の時計)」と読み替えられた。
クロッコはウブロの後にも時計を手がけた。1988年のクロノグラフ「Thorr」がそれで、広く受け入れられなかったことを本人も認めている。それでも取材の時点で、普段身に着けているのはその時計だと明かした。
評価・後世への影響
01業界に残したもの
今日、貴金属のケースにラバーストラップを合わせる組み合わせは、多くのブランドで見られる。その先例として語られるのが、クロッコの1980年の時計である。安価なスポーツウォッチの素材だったラバーを、金と同じ時計に置いた点に新しさがあった。
ウブロ自身も、創業の発想を土台に成長した。ビバーのビッグ・バンは、異なる素材を組み合わせる原点の考え方を、大型のクロノグラフで推し進めたものである。原型の系譜はクラシック・フュージョンに受け継がれた。2020年の創業40周年、2023年の「オリジナル」と、原型を再解釈するモデルが続いている。
022026年の「トリビュート」
2026年10月、ウブロはミラノで「クラシック・フュージョン トリビュート」を発表した。ケースを38mmに広げ、自動巻きのムーブメントに置き換えながら、12本のビスと黒い文字盤は原型に倣った。イエローゴールドのモデルには、文字盤にMDMの3文字が戻されている。このモデルにはクロッコ本人が深く関わり、ウブロは彼の財団への寄付も表明した。
発表に際してクロッコは、原点の意匠と精神が保たれていることを喜んだ。同時に、控えめだったブランドが目立つ存在へ変わったことにも触れ、簡潔さと慎み深さを保ってほしいと語っている。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 COLLECTOR ALERT! HUBLOT CELEBRATES ITS 40TH ANNIVERSARY
- 02 報道 Lvmh rachète le prestigieux horloger suisse Hublot
- 03 報道 Hublot Revives Its Original 1980 Gold-and-Rubber Watch With the New Classic Fusion Tributo
- 04 専門メディア LVMH acquires the Swiss watchmaker Hublot
- 05 専門メディア The New Hublot Classic Fusion Tributo Takes Us Back To 1980
- 06 専門メディア LVMH Buys Swiss Watch Hublot
- 07 専門メディア First Look: Hublot Returns to Its Roots with the Classic Fusion Tributo (Incl. Video)
- 08 専門メディア Hublot Founder Carlo Crocco And The New Classic Fusion Tributo
- 09 専門メディア Hublot
- 10 専門メディア Hands-On: Hublot Classic Fusion Tributo Watches With Manufacture Movement