フランソワ=ポール・ジュルヌ
1999年にF.P.ジュルヌを創業したフランス人独立時計師。レゾナンスとトゥールビヨンを腕時計に再構築した作家
フランソワ=ポール・ジュルヌ(François-Paul Journe、1957年生)は、フランス・マルセイユ出身の独立時計師である。叔父の工房で18世紀の懐中時計修復を学んだのち、1999年にジュネーブで自身の名を冠したブランドを創業した。トゥールビヨン・スヴラン、クロノメーター・ア・レゾナンス、ソヌリ・スヴランといった一連の代表作で、ジュネーブ・グランプリ最高賞アギーユ・ドールを史上最多の三度受賞している。文字盤に刻むラテン語「Invenit et Fecit(発明し、製作した)」を信条とし、機構の構想から自社製造までを一人の作家として束ねる、現代独立時計師の代表的存在である。
生涯
1. マルセイユの不良少年から、パリの時計師へ
フランソワ=ポール・ジュルヌは1957年、フランス南部の港湾都市マルセイユに生まれた。幼少期は機械への興味こそ強かったものの、地元の時計学校では落第と素行不良で除籍されたと伝わる。
転機となったのは、パリで古時計の修復工房を営んでいた叔父ミシェル・ジュルヌ(Michel Journe)の招きである。叔父はジュルヌをパリの時計学校に入れ直し、同時に自身の工房での修復実務に就かせた。1976年、ジュルヌはエコール・ドルロジュリ・ド・パリ(École d'Horlogerie de Paris)の修了証を取得する。卒業後の8年間は叔父の工房で、アブラアム=ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)、アンティード・ジャンヴィエ(Antide Janvier)らが手がけた18世紀の懐中時計や置時計の修復に従事した。この修復経験が、後年の作家性の土台となった。
2. 独立工房と最初の腕時計
20歳のときに最初のトゥールビヨン懐中時計を完成させ、22歳のときには英国アスプレイ社の依頼を受けてプラネタリウム機構を製作している。1985年、ジュルヌはパリ・サンジェルマン=デ=プレ地区に自身の工房を構え、富裕なコレクター向けの一点物を制作するようになる。1991年には初の腕時計トゥールビヨンを完成させたが、本格的な独立にはなお8年を要した。
1989年にはスイス・サンクロワへ拠点を移し、ヴィアネイ・アルテール(Vianney Halter)、ドゥニ・フラジョレ(Denis Flageollet)らと共にムーブメント製造会社THA(Techniques Horlogères Appliquées)を設立する。続いて高級ブランド向けに複雑機構ムーブメントを開発するTIM SAも立ち上げた。後にドゥ・ベチューンを率いるフラジョレ、独立ブランドを開くアルテールとの協業期は、ジュルヌに自社製造の重要性を確信させたといわれる。
3. 自ブランドの始動と国際展開
1999年、バーゼル・フェアのAHCI(独立時計師アカデミー)ブースで、ジュルヌはトゥールビヨン・スヴラン・スヴスクリプシオン20本を発表した。これがモントル・ジュルヌ(Montres Journe SA)の出発点である。翌2000年には自身のブースを構え、レゾナンス、トゥールビヨン、そしてグランド・エ・プチ・ソヌリ機構のプロトタイプを並べて公開した。ジュネーブを拠点に据えた小規模工房はその後20年で従業員150〜200名規模に成長し、ケース製造のレ・ボワティエ・ド・ジュネーブ、ダイヤル製造のレ・カドラニエ・ド・ジュネーブを傘下に置く垂直統合型の体制を築いた。
2018年には自社の20%株式をフランスのシャネル(Chanel)へ売却した。創業者個人の名を冠したブランドの永続性を確保するための判断であったと本人は語っている。
4. 70歳を前にして
2025年、ジュルヌはブレゲのサンパティック・クロック1号機を競売で取得した。手数料込みで5,510,000スイスフランに相当する金額であり、これを中核に据えた博物館の開設を計画していると伝わる。年産は900本前後を保ち、本人は生産拡大より複雑機構による「上方への成長」を選ぶと述べる。2027年3月に70歳を迎える。
業績・代表作
1. 1999年——主権者の時計師の誕生
ジュルヌの代表作を語る上で起点となるのは、1999年に発表されたトゥールビヨン・スヴラン(Tourbillon Souverain)である。発表当時、独立時計師という存在自体が業界の周縁にあり、ジュルヌは制作資金すら欠いていた。友人カミーユ・ベルテの助言で採用したのが、18世紀末にアブラアム=ルイ・ブレゲが用いた「予約購読(souscription)」方式である。20名の予約者から代金の半額を前金として受け取り、それを原資に20本の腕時計を製作した。これがブランド「F.P.ジュルヌ」の発端である。
このトゥールビヨンには、力学的に等時性を支えるルモントワール・デガリテ(等時定力装置)が組み込まれていた。19世紀の懐中時計で完成された機構を、現代の腕時計サイズで再構成したことに技術的な意義がある。
2. 共鳴と自動巻——機構の再構築
2000年、ジュルヌは世界初の腕時計版「クロノメーター・ア・レゾナンス(Chronomètre à Résonance)」を発表する。二つの独立したテンプを近接させ、共鳴現象によって相互に精度を安定させる機構である。1665年にクリスティアーン・ホイヘンスが観察し、18世紀にジャンヴィエとブレゲが懐中時計に応用した原理を、ジュルヌは1983年から研究を始め、17年を経て腕時計サイズで実現させた。
2001年に発表された自動巻ムーブメント、キャリバー1300「オクタ(Octa)」も画期的な仕事である。120時間という長大なパワーリザーブを単一の香箱で確保し、同一ベースに大日付、パワーリザーブ、ムーンフェイズ、年次カレンダー、フライバック・クロノグラフなど多様な複雑機構を載せ替え可能とする汎用プラットフォームとして設計された。
3. ソヴラン三部作とアギーユ・ドール
2005年のクロノメーター・スヴラン(Chronomètre Souverain)は、複雑機構を排した三針時計でありながら、二香箱並列の定力構造と自由テンプを備える。同年のジュネーブ・グランプリ(GPHG)で「最優秀メンズウォッチ」を受賞し、ブランドの設計言語を決定づけた。
2006年に発表されたソヌリ・スヴラン(Sonnerie Souveraine)は、グランド・ソヌリとミニッツ・リピーターを腕時計に統合した。安全性に関わる10件の特許を取得し、開発に6年を要したと伝わる。年産わずか4本、2018年の生産終了までに約60本のみが製作されたとされる。
ジュルヌはGPHGの最高賞アギーユ・ドールを、2004年(デッドビート秒針付きトゥールビヨン・スヴラン)、2006年(ソヌリ・スヴラン)、2008年(センティグラフ・スヴラン)と三度受賞しており、これは同賞史上最多である。
4. 「Invenit et Fecit」が指す哲学
文字盤に刻まれるラテン語「Invenit et Fecit(発明し、製作した)」は、ジュルヌの全業績を貫く原理である。彼の作品はブレゲ、ジャンヴィエ、フェルディナン・ベルトゥーといった18世紀古典を出発点に据え、それを現代の腕時計として再構成するという一貫した方法を採る。新規性を競うのではなく、古典から論点を引き出し、自分の手で解き直す。ムーブメントを18金ローズゴールド製とする現行仕様も、修復家として古典に触れ続けた経歴と接続する作家的選択である。
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