設計思想
1. 一つの構図で始まったシリーズ
Slim d'Hermèsは、2015年のバーゼルワールドで披露された。クリエイティブディレクターのフィリップ・デロタルに示された課題は、「薄く、エレガントで、控えめに」だったと伝わる。その答えが、ヴォーシェと開発した極薄の自動巻ムーブメントである。そしてもう一つが、グラフィックデザイナーのフィリップ・アペロワによる数字の書体だった。
初年度の39.5mm自動巻は、明るい地に数字を刷る一つの構図だけで世に出た。書体が主役の時計にとって、地の色は書体の見え方を決める条件そのものである。その条件を一つに絞ったことで、シリーズの顔は迷いなく伝わった。
2. 2016年、色だけを変える
2016年、エルメスはこの39.5mmのスチールモデルにスレートグレーとミッドナイトブルーを加えた。本機W043203WW00は、そのうちのグレーである。SJX Watchesは、色を除けば前年の時計と同一だと伝えている。ケース、ムーブメント、書体には手を付けず、変わったのは文字盤とストラップの色だった。
Monochrome Watchesは、初年度の成功を受けたコレクション拡充としてこの二色を紹介した。確立した輪郭を崩さずに選択肢を広げるのは、新しいシリーズが二年目に取る手堅い一手である。Forbesによれば、2016年の新作は、自社の革工房で仕立てたストラップによって馬具と革の技術に敬意を示す構成をとった。文字盤の色に革の色を合わせる発想は、革から始まったメゾンの時計らしい。
3. 明暗の反転が問うたもの
アペロワの数字は、輪郭の一部を途切れさせ、余白で形を読ませる書体である。明るい地に置かれていた字形が、本機では暗い地に浮く銀の線になる。書体が配色の反転に耐えるかどうか。本機とブルーの兄弟機W043204WW00は、通常生産の39.5mmスチールモデルとしてその問いに初めて答えた二本だった。
4. グレーが受け継がれた先
本機の配色は、のちに複雑機構のモデルへ引き継がれる。2018年のGMTモデルは、パラジウムのケースにスレートグレーの文字盤とグラファイトのアリゲーターを合わせた。第2時間帯を足しても、灰色と銀による抑えた表情は変わらない。2016年に一本のスチールモデルで試された配色は、旅の時計の顔にも選ばれた。
意匠分析
ケースは2015年の初出モデルと同じ39.5mmのステンレススチールで、ラグは内側へ向けて斜めに落とされる。簡素な円形ケースに、横から見たときの表情を与える細部である。
文字盤は三つの層からなる。外周のシャプター(時字環)、中央の円盤、6時位置のスモールセコンドである。SJX Watchesはスレートグレーの文字盤を金属的な仕上げと紹介した。Time+Tideの実機評は、外周のサンレイ仕上げと、中央と秒針サークルの同心円の筋目の対比を挙げている。光の角度で灰色の濃淡が移ろうのは、この仕上げの切り分けによる。
数字はアペロワの書体を銀色で刷る。暗い地の上では、途切れた輪郭がそのまま光る線となり、字形の骨格がくっきり見える。一方でTime+Tideは、光の条件によっては灰色の地と要素が溶け合い、読み取りにくい場面があると指摘した。細いバトン針も含め、読みやすさは書体と地色の対比に委ねられている。
ムーブメントは、ヴォーシェと開発したCal. H1950である。エルメスはヴォーシェの株式の4分の1を保有する。マイクロローター(ムーブメントの内側に収めた小型の回転錘)で自動巻きを担い、厚さを2.6mmに抑えた。振動数は毎時21,600振動 (3Hz)、パワーリザーブは42時間である。シースルーバックからは、手作業でアングラージュを施した受けと、エルメスの機械に共通するHの装飾が見える。
防水は30m防水にとどまり、ドレスウォッチとしての使い方を前提とする。ストラップはグレーのアリゲーターである。発表時の資料はエレファントグレー、Time+Tideの実機評はマットなグラファイトと呼んだ。同誌は、裏に橙色の革を張り、鐙を思わせる曲線のピンバックルを備えると記した。
系譜と歴史
Slim d'Hermèsは2015年のバーゼルワールドで発表された。39.5mmの自動巻モデルは当初、銀白色のオパーリン文字盤のみで展開された。
2016年2月18日、SJX Watchesは、スチールの39.5mmに二つの新色が加わると報じた。スレートグレーとミッドナイトブルーの文字盤である。披露の場は同年のバーゼルワールドとされた。同月24日にはMonochrome Watchesも、同じ二色の追加を伝えている。本機W043203WW00はこのうちのグレーで、ブルーはW043204WW00として同時に登場した。
同じ2016年には、39.5mmのオパーリン文字盤に色鮮やかなストラップを合わせた女性向けの展開も始まった。ベゼルに66石のダイヤモンドを留めた仕様も加わっている。WatchBaseは本機を、2016年製造開始の非限定モデルとして登録する。
2018年3月、パラジウムケースのSlim d'Hermès GMTが90本限定で発表された。H1950に厚さ1.4mmのGMTモジュールを重ね、ケース厚を9.48mmに収めている。文字盤とストラップには、本機と同系のグレーが選ばれた。
生産終了の時期は、2026年10月時点で公式に示されていない。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 報道 Hermès' Slim Watch Collection Proves That Thin Is In
- 02 専門メディア New Release: Travel in style with the chic Slim d'Hermès GMT
- 03 専門メディア Fade to gray: The new Slim d'Hermès GMT
- 04 専門メディア Introducing the Slim d'Hermes with slate grey and blue dials (specs & price)
- 05 専門メディア Introducing the Slim d'Hermes, Now in Slate Grey or Midnight Blue
- 06 専門メディア That time we got into a fight over Hermès
- 07 専門メディア Hermès W043203WW00 : Slim d'Hermès GM Stainless Steel / Graphite
- 08 専門メディア Hermès caliber H1950