ルイ・ブラント
1848年にラ・ショー=ド=フォンで時計の組み立て商を開き、のちのオメガの源流を築いたスイスの時計師(1825-1879)
- BORN
- 1825年
- DIED
- 1879年
- BRAND
- オメガ — 1848年創業
- MODELS
- 58 本
概要
ルイ・ブラント(Louis Brandt、1825-1879)は、オメガの源流となる事業を興したスイスの時計師である。スイス歴史辞典によれば、1848年、ラ・ショー=ド=フォンで「コントワール・デタブリサージュ」を開いた。外部の職人から部品を集めて時計に組み上げる組み立て商である。1877年に息子ルイ=ポールとルイ・ブラント&フィスを設立し、1879年に亡くなった。その後、息子のルイ=ポールとセザールが事業をビエンヌへ移して自社での製造に改め、1894年のオメガ・キャリバーがのちに会社の名となった。
生涯
01組み立て商の開業
スイス歴史辞典(DHS)によれば、オメガの起源は1848年にさかのぼる。この年、ルイ・ブラント(1825-1879)がラ・ショー=ド=フォンでコントワール・デタブリサージュを開いた。Time Transformedも、のちにオメガとなる事業は、1848年6月にルイ・ブラントがラ・ショー=ド=フォンで始めた時計の組み立ての商いだったと書いている。
02息子との共同経営
DHSによれば、ブラントは1877年に息子のルイ=ポール(1854-1903)と組んで、ルイ・ブラント&フィスを設立した。Time Transformedは、その日付を1877年7月14日とし、ブラントがその2年後の1879年に亡くなったと伝えている。
業績・代表作
01コントワール・デタブリサージュ
ブラントが営んだコントワール・デタブリサージュは、ジュラの時計産業に広く見られた業態である。部品やケース、文字盤を外部の専門の職人から仕入れ、自らの工房で組み立てて完成品の時計にする。ブラントの事業は、この組み立てと販売の仕組みのうえに築かれた。
02息子たちによる転換
DHSによれば、ブラントの息子のルイ=ポールとセザール(1858-1903)は1880年にビエンヌへ移り、時計の製造工場を立ち上げた。会社は1891年にルイ・ブラント&フレールとなって急速に成長し、1903年にルイ・ブラント&フレール・オメガ・ウォッチ社となった。Time Transformedによれば、兄弟は共同経営者となって自社での製造を取り入れ、1880年に会社をビエンヌへ移した。
オメガの名は、1894年に作られたキャリバーに由来する。DHSは、このキャリバーが部品の互換性を持たせる方法で作られたと書いている。Time Transformedも、精度と修理のしやすさを狙って設計されたこのキャリバーが大成功を収め、会社の名がルイ・ブラント&フレール・オメガ・ウォッチ社に改められたと伝えている。
評価・後世への影響
ブラントが1848年に始めた組み立て商は、息子たちの代に自社で製造する会社へと姿を変え、スイスで有数の時計会社オメガに育った。DHSによれば、オメガは1900年に537人を雇い、1920年には1180人の従業員で24万6000本の時計を作り、1970年代の危機の前には3000人で170万本を作る規模になった。
Time Transformedによれば、1984年1月にビエンヌの本社の向かいに開かれたオメガの博物館には、ブラントが1848年に使い始めた時計師の作業台が展示されている。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Omega Heritage
- 02 報道 Omega - Dictionnaire historique de la Suisse (DHS)
- 03 専門メディア Omega - Time Transformed