設計思想
1. 1970年10月5日に始まる物語
1970年4月、月へ向かう途上で酸素タンクが爆発したアポロ13号は、機内の電力を切り詰めて地球への帰還を目指した。デジタル計器を断たれた乗員は、軌道修正のための14秒間のエンジン点火を、手元のSpeedmaster Professionalのクロノグラフで計測した。同年10月5日、NASAは飛行の安全と任務成功への貢献者を讃える「Silver Snoopy Award」をOmegaに贈った。それからちょうど50年後の2020年10月5日、本Refは発表される。発表日の選定そのものが、すでにこのモデルの主題を告げている。
2. 過去二作との連続と決別
Speedmasterのスヌーピーモデルは本作で三作目である。一作目はRef.3578.51.00(2003年、5,441本限定)、二作目はRef.311.32.42.30.04.003(2015年、1,970本限定)であった。いずれも限定生産であり、出回る本数の少なさが市場での希少性を生み出してきた。本Refはこの系譜を引き継ぎながら、一つの大きな決断によって過去作と袂を分かつ。すなわち、限定数を設けない量産モデルとしてのリリースである。記念モデルとしての性格と継続生産との両立を試みた選択であり、Omegaがこのテーマをコレクションの一角として恒常的に提示する意思の表明でもある。
3. Cal.3861世代の先頭に立つ
ムーブメントには、2019年のApollo 11 50周年モデル(金製およびスチール製の限定モデル)で導入されたCal.3861を搭載する。本Refが発表された2020年10月の時点で、Cal.3861は限定モデルでしか手にできない存在であった。通常のMoonwatchがCal.1861からCal.3861へ刷新されるのは、本Refから約3か月後、2021年1月のことである。したがって本Refは、Speedmasterのレギュラー量産ラインで初めてCal.3861を載せたモデルでもあった。記念モデルでありながら、技術的にはコレクションの先頭を走った一本である。
意匠分析
42mmケースは、4世代目Speedmasterの非対称形状を踏襲する。一般的な現行Moonwatchの厚さがおよそ13.6mmであるのに対し、本Refは約14.5mmと厚みがある。差分は裏蓋に組み込まれたアニメーション機構に由来する。
ベゼルリングには青いセラミック(ZrO2)に白いエナメルでタキメーターを刻む。「90」の上に小さなドットを置く「Dot over Ninety」表記が採られ、初期Speedmasterへの参照を担う。ダイヤルはAg925銀製でレーザー彫刻が施され、青いPVD仕上げの矢羽根型インデックスと針を載せる。9時位置のスモールセコンドは青地で、Silver Snoopy賞のラペルピンと同じ意匠の銀製スヌーピーがエンボスで打ち出され、「50th Anniversary」の文字を冠する。
裏蓋はNAIAD LOCKによる固定方式を採り、刻印が常に正立する。サファイアクリスタルにはマイクロ構造化メタライゼーションで月の裏側が描かれる。クロノグラフを作動させると、内蔵されたアームに乗ったCSM(指令船・機械船)とスヌーピーが14秒間月の手前を周回し、その後月の影に隠れる。アポロ13号が軌道修正に要した14秒という時間が、機構の動きそのものに翻訳された設計である。背後では地球を象ったディスクがスモールセコンドと連動して1分で1回転する。
ストラップは青いコーティング・ナイロンファブリックで、白いコントラストステッチが入る。内側にはアポロ13号の飛行軌道がエンボス加工で記される。
系譜と歴史
本Refは2020年10月5日に発表された。NASAがOmegaに「Silver Snoopy Award」を授与した1970年10月5日からちょうど50周年にあたる日付であり、発表日そのものが記念行事の延長線上に置かれている。発表時の店頭価格は欧州で9,500ユーロに設定され、Apollo 13をモチーフとした専用ボックス、マイクロファイバークロス、ブックレット、ケースバックの細部を確認するためのルーペが付属する形で販売が開始された。保証期間はOmegaのMaster Chronometer製品共通の5年が適用される。
過去のスヌーピー2作(2003年Ref.3578.51.00と2015年Ref.311.32.42.30.04.003)が限定生産であったのに対し、本Refは非限定の量産モデルとして発表された。ただし発表直後から世界的に需要が供給を大きく上回り、複数の販売店で長期の待機リストが生じる状態が続いた。
2021年1月にはOmegaが通常のMoonwatchをCal.1861からCal.3861へと刷新する大規模なリフレッシュを発表しているが、本Refはそれより約3か月先行して市場に投入されていたことになる。2026年現在も生産は継続中である。