フランソワ・コンスタンタン
1819年にジャック=バルテルミ・ヴァシュロンと組み、旅を重ねて販路を開いたヴァシュロン・コンスタンタンの共同経営者(1788-1854)
- BORN
- 1788年
- DIED
- 1854年
- BRAND
- ヴァシュロン・コンスタンタン — 1755年創業
- MODELS
- 10 本
概要
フランソワ・コンスタンタン(François Constantin、1788-1854)は、ジュネーヴの商人で、ヴァシュロン・コンスタンタンの共同経営者である。1819年4月、創業者の孫で時計師のジャック=バルテルミ・ヴァシュロンと組み、メゾンの名はヴァシュロン・エ・コンスタンタンとなった。同社によれば、コンスタンタンは30年にわたる旅で多くの新しい市場を開いた。1819年7月5日にトリノから送った手紙の一節「できるならもっとよく、それはいつでもできることだ」は、のちにメゾンの標語となった。
生涯
01商人の子
ヴァシュロン・コンスタンタンの公式の記事によれば、フランソワ・コンスタンタンは商人の子で、若いころからアルプスとジュラの街道を旅して、鋭い商才を磨いた。スイス歴史辞典(DHS)は、ジュネーヴ生まれの有能な商人と紹介している。
02ヴァシュロンとの共同
同社の沿革によれば、1819年4月、創業者の孫で親方の時計師のジャック=バルテルミ・ヴァシュロン(1787-1864)と、経験豊かな実業家フランソワ・コンスタンタン(1788-1854)の共同経営によって、メゾンの名はヴァシュロン・エ・コンスタンタンとなった。
業績・代表作
01販路の開拓
同社の沿革によれば、コンスタンタンは鋭い商売の目を持ち、メゾンのために30年にわたって旅を重ね、いくつもの新しい市場を開いた。DHSも、コンスタンタンが販売の網を国際的に広げたと書いている。
02標語となった手紙
同社によれば、1819年7月5日、コンスタンタンはトリノから共同経営者のジャック=バルテルミ・ヴァシュロンに手紙を書いた。その中の一節「Faire mieux si possible, ce qui est toujours possible(できるならもっとよく、それはいつでもできることだ)」が、メゾンの標語となった。WorldTempusも、この手紙の言葉が会社の標語になったと伝えている。
03一族
同社によれば、フランソワの兄弟アブラアム・コンスタンタンはロマン派の画家で、1826年にフランス宮廷の公式画家の称号を得た。フランソワの兄弟の曾孫にあたるシャルル・コンスタンタンは、ジュネーヴの時計学校で学んだのち1914年にメゾンに加わり、1928年にヴァシュロン・コンスタンタンの回想録を書いて、1936年に会社の取締役となった。
評価・後世への影響
コンスタンタンの名は、ヴァシュロンの名と並んでメゾンの名に残った。彼が旅で開いた販路と、トリノからの手紙に書いた一節は、時計を作る側のヴァシュロン家と、売る側のコンスタンタンという役割の分担を象徴している。
同社は2025年、創業270年を記念して、この標語を掲げた。コンスタンタンの手紙の言葉は、いまもメゾンの考え方を示す言葉として使われている。
この人物が関わったモデル
出典
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