設計思想
1. 復刻キャリバーの器をめぐって
2019年1月、オメガは1968年に生産を終えていたCal.321の復刻を公表した。コラムホイール式のこのクロノグラフは、初期スピードマスターの心臓として知られる。発表時点では、どのモデルに載るのかは明かされなかった。
同年7月に登場した最初の搭載機は、42mmのプラチナケースにオニキス文字盤と隕石のインダイヤルを組み合わせた311.93.42.30.99.001だった。仕立ては豪奢だが、コレクターの多くが待っていたのは、ステンレススチールのストレートラグで往年の姿を再現した一本だったと伝わる。その答えとして2020年1月に示されたのが本機である。
2. なぜ105.003だったのか
原型に選ばれたST 105.003は、1963年に登場した第3世代にあたる。ストレートラグを持つ最後の世代で、後の「Professional」ケースへ移る直前の姿を伝える。1965年6月3日、ジェミニ4号のエド・ホワイトはこのRefを腕に、米国人初の船外活動を行った。本機が「エド・ホワイト」と通称されるのはこのためで、オメガ自身の公式名称ではない。
選定の理由をオメガは詳しく語っていない。ただ、初代CK2915は2017年の60周年トリロジーで再現済みで、CK2998の系譜は「ファースト・オメガ・イン・スペース」311.32.40.30.01.001が担っていた。白いバトン針を初めて備えた105.003は、スピードマスターらしい顔立ちが完成した最初の世代でもある。消去法と象徴性の両面から、このRefが選ばれたと専門誌は読み解いている。
3. 前任なき復刻
本機には、現行カタログ上の直接の前任Refが存在しない。同じ39.7mm径の311.32.40.30.01.001と並べても、共有部品はないとされる。ケースは105.003の実機を採寸し直して新たに起こされたものである。
現行ムーンウォッチとの違いは、何より機構にある。1968年以降のスピードマスターはカム式のCal.861系へ移り、2021年にはCal.3861を積む310.30.42.50.01.001へ更新された。本機はその流れから一歩外れ、コラムホイール機を積んでいた時代そのものへ戻る。量産性よりも史実への忠実さを優先した、系譜上の例外といえる。
4. 同じ心臓を持つ兄弟
復刻Cal.321は、プラチナの311.93.42.30.99.001、本機、そして2022年のキャノーパスゴールド製311.50.39.30.01.001に搭載された。後者は初代CK2915を範とした38.6mm径である。三者のなかで本機は唯一のスチールケースであり、宇宙開発史の具体的な一場面に最も直接つながる一本となっている。
意匠分析
ケースは直線的なラグと左右対称の輪郭を持ち、リューズとプッシャーを守るガードはない。上面をポリッシュ、側面をサテンで仕上げる古典的な切り分けである。39.7mmという径は現行ムーンウォッチの42mmより小さい。一方でストレートラグは全長を稼ぐため、実際の装着感は径の差ほど小ぶりには感じられないとされる。
素材の選択には、外観の再現と実用上の耐久性を両立させる意図が読み取れる。ベゼルインサートは当時のアルミニウムに代えてポリッシュ仕上げのブラックセラミック(ZrO2)とし、タキメーター目盛りを白いエナメルで表す。90の上に点を打つ「ドット・オーバー・90」の配置も踏襲された。風防は当時のヘサライト(アクリル系樹脂)ではなくサファイアクリスタルだが、ドーム形状で旧来の見え方を模し、中央にΩロゴをレーザー刻印する。
文字盤は外周のミニッツトラックが一段低い「ステップダイヤル」である。インダイヤルの窪みも現行品より深く、見返しの傾斜は広い。アプライドのΩロゴと書体は105.003の販売当時の様式に合わせられた。針は105.003で初めて採用された白いバトン型を再現する。夜光は経年変化を模した着色を避け、トリチウムの新品時に近い淡いベージュのスーパールミノバとした。エイジング加工を施さず、1960年代の出荷時の姿を目指した判断である。
裏蓋は105.003のソリッドバックと異なり、サファイアクリスタルのシースルー仕様とした。本機の存在理由であるムーブメントを見せるための、意図的な非再現といえる。
ブレスレットは、105.003に合わせられたRef.7912に代表される1960年代のフラットリンクを模す。ただし構造は折り曲げリンクではなくソリッドリンクで、ラグ側19mmからバックル側16mmへ絞られる。クラスプにはセーフティプッシャーを備え、ヴィンテージ様式のΩロゴを刻む。
搭載するCal.321は、コラムホイールと水平クラッチを備えた手巻きクロノグラフである。毎時18,000振動(2.5Hz)という当時の振動数を守りつつ、パワーリザーブは55時間とされる。オリジナルで銅めっきだった地板と受けには、変色を防ぐためセドナゴールドのPVD処理が施された。コーアクシャル脱進機やマスタークロノメーター認定は採用されず、現代化よりも1対1の再現を優先している。
系譜と歴史
本機の前史は2019年1月に始まる。オメガはこの月、1968年に生産を終えていたCal.321の復刻を公表した。ジーン・サーナンがアポロ17号で着用したST 105.003を断層撮影で走査し、部品の形状を再現したとされる。組立はビール本社内の専用工房で行われ、1基のムーブメントからケーシングまでを一人の時計師が受け持つ体制が示された。同年7月、最初の搭載機としてプラチナケースの311.93.42.30.99.001が登場している。
本機が発表されたのは2020年1月である。本機はCal.321復刻の公表からほぼ1年後にあたる。限定数は設けられず、常設コレクションとして位置づけられた。ただし製造体制の性格上、生産数は少ないと当初から伝えられていた。受注はオメガ・ブティックを中心に始まり、同年秋には最初の個体の引き渡しが報じられている。
2022年1月には、同じCal.321を載せたキャノーパスゴールド製の311.50.39.30.01.001が加わった。初代CK2915を範とする38.6mm径で、本機とは近いミドルケース構成を持ちながら、ベゼルの違いで径が異なる。1950〜60年代の初期世代と同じ関係を、現代の二本がなぞる形である。
発表以降、ケース・文字盤・ブレスレットについて公表された仕様変更は確認できない。2026年9月時点で本機はオメガ公式サイトの現行ラインに掲載されており、生産終了の告知は出ていない。
出典
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