設計思想
1. 番号の刷新と夜光の転換期
3570.50.00は、1996年に国際コレクションとして登場したスピードマスター・プロフェッショナルの標準仕様である。前任は、オメガが1988年に導入したPIC(製品識別コード)体系で番号を得た3590.50.00だった。番号の刷新は外観の変化を伴っていない。変わったのはまずブレスレットで、数年のうちにムーブメントと夜光の更新が続く。
背景には業界全体の転換がある。1990年代前半、時計業界では放射性物質を含む夜光塗料からの脱却が課題となっていた。日本の根本特殊化学が非放射性の蓄光材「N夜光(ルミノーバ)」を完成させたのは1993年である。本Refは、トリチウム夜光の最終期と、それに代わる蓄光材の普及期にまたがって生産されたムーンウォッチであった。
2. ひとつの番号に二つの中身
本Refの特異さは、同じ番号のまま中身が入れ替わった点にある。初期の個体は前任と同じ18石のCal.861とトリチウム夜光を備えていた。やがてロジウムめっきのCal.1861が載り、夜光も蓄光材へ移行する。切り替えは部品ごとに段階的に進み、同じ番号でも製造時期によって中身が異なる。
ケース、風防、文字盤の構成、ソリッドバックといった外形は、3590.50.00をほぼそのまま継いだ。この世代でオメガが行ったのは意匠の刷新ではない。素材と表面処理を時代に合わせる、目立たない更新であった。
3. ヘサライトとソリッドバックの基準点
2000年代に入り、表裏ともサファイアの3573.50.00が現代的な選択肢を担うようになると、本Refの役割はかえって明確になる。アポロ計画期と同じヘサライト風防と金属製の裏蓋を守る、通常生産の基準機という役割である。月面に向かった個体に最も近い構成を、現行の製品として保ち続けたことになる。
同じ構成は派生の土台にもなった。三越限定の3570.31.00や、日本市場向けの3570.40.00ジャパン・レーシングがその例である。いずれもケースやムーブメントを本Refと共有し、文字盤と針だけを変えている。基準形が揺らがないからこそ、文字盤ひとつで性格を変える派生が成り立った。
4. 後継へ受け渡されたもの
2014年、本Refは311.30.42.30.01.005へ引き継がれる。変更は番号体系とブレスレット、付属品が中心で、時計そのものの構成はほぼ維持された。本Refが固めた姿は、その後もムーンウォッチの標準であり続けた。区切りとなったのは2021年、段付き文字盤などを呼び戻したCal.3861世代の310.30.42.50.01.001である。本Refの発表から数えれば、四半世紀にあたる。
意匠分析
本Refの外形は、42mmの非対称ケースと、ねじれを伴って広がるリラ・ラグという第4世代以来の骨格を継ぐ。この番号に固有の選択は、むしろ目立たない部分に集中している。
裏蓋はねじ込み式のステンレス製ソリッドバックで、中央に海馬(ヒッポカンパス)の紋章を置く。周囲に刻まれるのは「Flight-qualified by NASA for all manned space missions」と「The first watch worn on the moon」の二文である。内部を見せる代わりに、来歴を文字で語る造りといえる。
風防はドーム状のヘサライト(アクリル系の樹脂風防)である。縁に近づくほど文字盤の像がゆがみ、光を柔らかく拾う。樹脂ゆえに表面の擦り傷は研磨で目立たなくでき、道具としての手入れのしやすさも備える。
文字盤は段差のないフラットなマットブラックで、オメガのロゴは印刷で表される。三越限定の3570.31.00がアプライド(植字)ロゴを備えたのとは対照的に、標準機は平面的な構成に徹している。黒いアルミニウムのタキメーター・インサートは、90の目盛りの脇に点を置く。2021年の後継は、段付き文字盤と「ドット・オーバー・ナインティ」を復活させた。それと並べると、本Refが長く続いた簡素な仕様の到達点にあることがわかる。
夜光の表情は製造時期で異なる。初期のトリチウムは経年でクリーム色を帯びやすく、蓄光材へ移行した後の個体は白さを保つ。同じ番号でも、インデックスと針の色味で製造時期のおおよその見当がつく。
ブレスレットは生産期間中に数度改められ、後期の個体はプッシュボタン式クラスプを備える。末期のブレスは、駒をピンとパイプで連結する方式である。後継の311.30.42.30.01.005では、これがねじ留めに改められたとされる。
ムーブメントは手巻のCal.861、のちにCal.1861である。毎時21,600振動 (3Hz)で、時刻合わせの際に秒針を止める機能は持たない。両者の差は主に地板と受けのめっきにあり、ロジウムめっきは耐食性の向上を狙ったものとされる。ただしソリッドバックの本Refで、その変化を目にすることはない。仕上げを見せる役割は、サファイア裏蓋の3572.50.00に載った装飾版Cal.1863が担っていた。
系譜と歴史
3570.50.00は1996年、オメガの国際コレクションに加わった。オメガ公式のヴィンテージ資料は本Refを1996年のモデルとし、搭載キャリバーを「861/1861」と併記する。WatchBaseは生産開始を1996年1月と記録している。前任の3590.50.00と入れ替わる形で、新しい番号とともに新設計のブレスレットが与えられた。
初期の個体には、前任と同じ金色系めっきの18石Cal.861と、トリチウム夜光の文字盤・針が組み合わされた。1997年頃から、ロジウムめっきのCal.1861への置き換えが始まる。夜光の切り替えはやや遅れ、Cal.1861とトリチウム文字盤を併せ持つ1998年から1999年製の個体も報告されている。以後、文字盤と針は非放射性の蓄光材へ移行した。
ブレスレットは1990年代末に1998系へと移ったとされる。2002年前後には、プッシュボタン式クラスプを備えた改良型へ更新されたと伝わる。
2003年頃、ヘサライト風防にサファイア裏蓋を組み合わせた姉妹機3572.50.00が生産を終えた。後を継いだのは、表裏ともサファイアの3573.50.00である。これ以降、ムーンウォッチの通常生産品は、本Refを中心とするヘサライト系統と、表裏サファイアの系統に分かれる。
同じ時期、日本市場に向けた派生が続く。三越の店舗で扱われたパンダ文字盤の3570.31.00は300本限定とされ、2003年の発売とする資料が多い。2004年には、グレー文字盤の3570.40.00が日本市場に投入された。1960年代末のレーシング文字盤を範とし、限定数は発売年と同じ2,004本とされる。
WatchBaseの記録では、本Refの生産は2014年7月に終了した。後継は、新しい番号体系による311.30.42.30.01.005である。その311.30.42.30.01.005も2021年、Cal.3861を積む310.30.42.50.01.001に道を譲っている。
出典
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