物語
01パリ、アニエール、そして時計への遠回り
物語は1837年、16歳のルイ・ヴィトンが故郷ジュラ地方アンシェイから徒歩でパリへ向かう道のりに始まる。トランク職人マレシャルのもとで長い徒弟修業を経て、1854年、ルイは自らの店をパリのヌーヴ・デ・カピュシーヌ通り4番地に構えた。1858年に発表した平天面の積み重ね可能なトランクは旅装の常識を覆し、貴族や上流階級から注文が相次いだ。1859年、彼は工房をパリ近郊アニエール・シュル・セーヌに移す。ここは現在もブランドの精神的中心であり続けている。
息子のジョルジュ、孫のガストン・ルイへと家業は継承され、メゾンは旅行用品から香水、宝飾品へと領域を広げていく。ガストン・ルイが主導した1910年の旅行用クロック「エトワール」は、メゾン初の時計関連製品として記録に残るが、これは旅装の延長線上のオブジェであり、本格的な時計事業ではなかった。
021988年のモンテレー — 建築家とともに始まった実験
腕時計としての最初の挑戦は1988年に訪れる。デザインを託されたのはイタリア人建築家ガエ・アウレンティ。パリのオルセー美術館の改装で世界的に知られた彼女は、時計界の慣例に縛られない解釈で「LV I(モンテレー I)」を生み出した。ラグを持たない小石状のケース、12時位置に配されたリュウズ、ワールドタイムや月相を一軸に統合した個性的な文字盤 ── ムーブメントはIWCが製造したクオーツであった。続く「LV II」は当時としては先駆的なカラーセラミックを採用し、アラーム機能を備えたクオーツを搭載する。販売本数は限定的であったとされ、長く忘れられた存在となるが、後年「ファッションメゾンが時計に取り組むときの自由さ」を示す作品として再評価されることになる。
03タンブール誕生 — 二度目の本格参入
1987年のLVMH誕生によって財政的な後ろ盾を得たメゾンは、2002年、本格的な時計事業へと踏み出す。スイス・ラ・ショー・ド・フォンに自社アトリエ「アトリエ・オルロジェ・ルイ・ヴィトン」を構え、デザインスタジオBBDCの手によるタンブールを発表した。フランス語で「太鼓」を意味するこの腕時計は、上端から下端へ末広がりに広がる太鼓型ケースと、側面に刻まれた「LOUIS VUITTON」の12文字を最大の意匠とした。最初の作品はGMT機能を備えた39.5mmのスチールケースで、ムーブメントは外部から調達した汎用キャリバーが用いられた。2004年には初のトゥールビヨンを発表し、ハイ・ウォッチメイキングへの足がかりを得る。
04ラ・ファブリック・デュ・タン — 独立工房の合流
2007年、ミシェル・ナヴァスとエンリコ・バルバジーニがジュネーヴ郊外でラ・ファブリック・デュ・タンを設立した。両者はジェラルド・ジェンタやパテック・フィリップで複雑機構を磨いた経歴を持ち、独立後は他のメゾンにもムーブメントを供給するスペシャリストであった。
ある時、ナヴァスは空港でスプリットフラップ表示板が立てる小気味よい機械音に耳を留める。「あの音はとても心地よかった。それが着想のきっかけになった」と彼は後に語っている。この発想は12個のキューブが立体的に回転して時刻を示す機構として結実し、2009年、ルイ・ヴィトンとの協業によりタンブール・スピン・タイム(キャリバーLV89)として発表された。
両者の親和性は明らかであった。2011年、ルイ・ヴィトンはラ・ファブリック・デュ・タンを買収する。翌2012年に文字盤工房レマン・カドランを傘下に収め、2014年にジュネーヴ郊外メイランの新拠点へと統合された。
05オダシティ — 賞と認知の時代
買収から十年、ラ・ファブリック・デュ・タン・ルイ・ヴィトンは複雑機構の表現力を磨いていく。2014年、エマイユとミニチュア絵画で世界の都市を描いた「エスカル・ワールドタイム」が発表され、世界時計の硬質な慣例を覆す配色で大きな反響を呼ぶ。2021年は転機の年となった。ジャクマール式オートマタを備えた「タンブール・カルペ・ディエム」が、その年のジュネーブ時計グランプリ(GPHG)で「オダシティ賞」を受賞する。426個の部品からなるキャリバーLV525は、ケース脇のレバーを押すと文字盤上の蛇が頭をもたげて時刻のアパチャーを開き、髑髏の顎が「Carpe Diem」と笑う演劇を見せる。エマイユはアニタ・ポルシェ、彫金はディック・ステーンマンという業界屈指のメティエ・ダール職人が手がけた。
06ジャン・アルノーの再起動
2020年代に入る頃、ベルナール・アルノーの末子ジャン・アルノーが時計部門の責任者を担うようになる。自らも独立時計師の作品を蒐集する熱心な収集家であり、就任後の方針は明快であった。「大きなメゾンであるからこそ、短期の販売数よりも優れた時計づくりに集中できる」と彼は語る。2023年7月、パリのオルセー美術館で発表された新世代タンブールは、ケース径40mm・厚さ8.3mm、一体型ブレスレットを備え、ル・セルクル・デ・オルロジェとの共同開発による自社キャリバーLFT023を搭載した。製品群は高価格帯へと大きく移行し、男性向けのSKU(品番)は約130種に整理されている。
並行して、ジャン・アルノーは独立時計師シーンへの関与も進めた。2023年に独立時計師を支援する「ルイ・ヴィトン・ウォッチ・プライズ」を創設し、賞金15万ユーロと1年のメンタリングを隔年で提供する。2025年のLVMHウォッチ・ウィークでは、モントル・ア・ギシェに着想を得たタンブール・コンヴァージェンスと、新世代機構のタンブール・タイコ・スピン・タイムが発表された。LVMHはまた、ブルガリ傘下にあったダニエル・ロートとジェラルド・ジェンタを独立メゾンとして再構築している。ファッションメゾンが時計を売るための時代は終わり、ルイ・ヴィトンはハイ・ウォッチメイキングのプレイヤーとしての座標を組み直す段階に入った。