エリック・ジルー
MB&Fのホロロジカル・マシンとハリー・ウィンストンのOpus 9を手がけた、建築家出身のスイスの時計デザイナー
- BRAND
- MB&F — 2005年創業
- MODELS
- 4 本
概要
エリック・ジルー(Eric Giroud)はスイス出身の時計デザイナーである。建築家として出発し、グラフィックや製品のデザインを経て、1998年に自身のデザイン事務所を開いた。2007年のMB&F第一作HM1でマキシミリアン・ブッサーの構想を立体に起こし、以後20年にわたり同社の造形を担ってきた。2009年には時計師ジャン=マルク・ヴィーダーレヒトと組んだハリー・ウィンストンのOpus 9が、GPHGで賞を受けた。顧客はティソやミドーから宝飾メゾン、独立系の新興ブランドまで幅広い。
生涯
01建築から時計へ
ジルーはスイスに生まれ、建築を学んで建築家として働きはじめた。1980年代の終わりから1990年代の初めにかけては、自身の建築事務所も構えている。だが事務所は長く続かなかった。湾岸戦争期の景気後退で閉じざるを得なかったと、本人は語っている。
その後、ジルーはセネガルを中心に約1年半をアフリカで過ごした。帰国するとスイスのデザイン事務所に加わり、グラフィックやパッケージを受け持つ。製品そのものを描くのは別のデザイナーで、当時の自分はデザイナーではなかったと本人は言う。
転機は、その事務所に持ち込まれた一件の時計の依頼である。社内で案を競うことになり、ジルーの提案が採られたと本人は振り返っている。同じころジャック・ホイヤー(Jack Heuer)の知遇を得たことも大きかった。ホイヤーは独立を急がないよう助言し、ミドーとの接点もつくったと、ジルーは語っている。
02独立と最初の足がかり
1998年、ジルーは自身のデザイン事務所を開く。最初の数年は文字盤の仕事が中心で、受注は多くなかったという。足がかりになったのはミドーとティソだった。ミドーの文字盤を手がけるうちにティソからも声がかかった。やがてケース、文字盤、ブレスレットまでを一式で任され、時計を仕事として描き続けられると初めて感じたと本人は語っている。
二つ目の転機は2009年のハリー・ウィンストン「Opus 9」だった。組んだ相手は時計師ジャン=マルク・ヴィーダーレヒト(Jean-Marc Wiederrecht)である。本人によれば、作品に自分の名が記されたことの意味が大きかった。同年秋、Opus 9はGPHGでデザインウォッチ賞を受ける。これを境に、ブランドの側から依頼が届くようになったと本人は語る。ジルーはスタッフを抱えて事務所を広げる道を選ばず、一人で描く働き方を続けた。
03MB&Fとの20年
マキシミリアン・ブッサー(Maximilian Büsser)との出会いは、ブッサーのハリー・ウィンストン時代にさかのぼる。二人を引き合わせたのは時計師ピーター・スピーク・マリンだったと、ジルーは語っている。
2005年にブッサーが独立してMB&Fを興すと、ジルーはその最初の協力者の一人になった。2007年の第一作HM1では、ブッサーのスケッチを最終的な立体設計へ起こす役を担っている。同社の公式な説明によれば、この作業には数百時間が費やされた。以後もジルーは、同社のほとんどのモデルの造形に関わってきたとされる。
2025年、MB&Fの創業20周年に合わせ、姉妹ブランドM.A.D.Editionsの第2作「M.A.D.2」が出た。第1作の裏蓋にはブッサーの名が刻まれていたが、第2作にはジルーの名が入る。M.A.D.2は同年のGPHGで「プティット・エギュイーユ」部門の賞を得た。ジルーは現在もジュネーブを拠点に、個人の事務所で仕事を続けている。
業績・代表作
01宝石が時を示すOpus 9
ハリー・ウィンストンのOpus 9は、針と文字盤の代わりに宝石の列で時刻を示す。バゲットカットのダイヤモンドを連ねた二本のチェーンが動き、その中に置かれたガーネットの位置で時と分を読む。機構はヴィーダーレヒトが組み、外装の意匠をジルーが描いた。
GPHGの公式発表は、デザインウォッチでありながら複雑な機構を備える点を受賞理由に挙げている。宝飾を飾りではなく表示そのものに使うという発想は、宝飾商の時計という出自と機構の新しさを一つの形にまとめた。
02ケースを立体として描く
ホロロジカル・マシンで、ジルーが向き合ったのは文字盤ではなくケースである。HM1のケースは48の部品から成ると、MB&Fは説明している。当初は同じケースの発展形として各作を考えていたが、ブッサーが毎回まったく新しい主題へ切り替えると決めたと、ジルーは振り返る。デザイナーにとっては贅沢な条件だったという。
設計の手順についても本人は具体的に語っている。サファイアクリスタルの形から詰め、時計を縦に切った断面で考え、そこから3Dデータを起こす。切削でケースを削り出す製法の普及が、こうした立体的な造形を可能にしたとされる。机を囲むのはオーナー、時計師、デザイナーの三者で、人数を増やしすぎると創造性が文字盤の色決めにまで縮むとも述べている。
2023年のHM11 Architectは、1960年代末の住宅建築の潮流を下敷きにした。中央の吹き抜けを四つの部屋が囲む構成で、ケース全体を回して主ぜんまいを巻く。ジルーはこの作品を、自身が描いた中で特に気に入っている時計の一つに挙げている。
03他人の家を設計する
ジルーの設計言語を貫くのは、建築の現場で学んだ規律である。依頼主の家を設計するとき、それは自分の家ではない。本人はこの考えを繰り返し口にしてきた。若いデザイナーには、自我を家に置いてくるよう勧めているという。
量販価格のティソから一点物に近い複雑時計まで、ジルーは同じ熱量で取り組むと評される。新興ブランドのゲブリー(Guebly)の創業者も、その姿勢を証言している。ジルーは自分の作風を押しつけず、ブランドの来歴を尊重しながら弱点から直していくという。建築と同じく光の反射を重視し、ベゼルの形一つで見え方が変わると語ってもいる。
04名前の出ない仕事と、表に出た仕事
スイスの時計業界では、外部デザイナーの名を伏せる慣行が根強い。ジルーが手がけた仕事の多くも、契約上名前を挙げられない。公表されている顧客だけでも、ヴァシュロン・コンスタンタン、ブシュロン、ヴァン クリーフ&アーペル、ハリー・ウィンストンに及ぶ。
独立系との仕事は、名が残りやすい。ジルーが描いたレベリオン「T-1000」は、直列に働く6つの香箱で約1,000時間の駆動を得る。スピーク・マリンでは2017年の「アカデミック ワン&トゥ」を担当したとされる。同社のローマ数字を、余白で浮かび上がらせる形に描き直したという。2023年にはシュヴァルツ・エティエンヌの「ジオメトリー」で、文字盤を四つの区画に割り、区画ごとに異なるギヨシェを配した。
M.A.D.2には、ジルー自身の記憶が多く持ち込まれている。中央の時と分の表示はDJ卓のターンテーブルを、文字盤の溝はレコード盤を写す。外周の回転盤は自動巻きローターを兼ねる。丸い小石のようなケースには、1990年代に描いて世に出なかった最初の時計案「アーモンド」の面影が残る。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Horological Machine N°1
- 02 公式 M.A.D.2
- 03 報道 Eric Giroud
- 04 報道 #GPHG - M.A.D. EDITIONS M.A.D.2 GREEN - Winner of “Petite Aiguille” Watch Prize 2025
- 05 報道 Eric Giroud - the man with time on his hands
- 06 専門メディア Les midis horlogers - Eric Giroud
- 07 専門メディア The Breguet Classique Souscription 2025 Wins the GPHG 2025 Aiguille d'Or (And All Prize Winners)
- 08 専門メディア Eric Giroud Designed Your Favourite Watch (Probably)
- 09 専門メディア The Rebellion T-1000: Endurance Racing On The Wrist
- 10 専門メディア Architect, Reimagined: The MB&F HM11 Art Deco
- 11 専門メディア Baselworld 2013: Rebellion T-1000 Gotham with 41 day power reserve
- 12 専門メディア MB&F Introduces the HM11 Architect
- 13 専門メディア Schwarz Etienne Introduces the Geometry
- 14 専門メディア Eric Giroud — Through the looking glass
- 15 専門メディア Eric Giroud, the Architect of Watch Design
- 16 専門メディア Magic Night
- 17 専門メディア Official results
- 18 専門メディア From Designer Eric Giroud, the New Schwarz Etienne Geometry Has One of the Trippiest Dials We've Seen
- 19 専門メディア Interview With Watch Designer Eric Giroud
- 20 専門メディア 【未来に残る時計たち】「クール」なデザインに必要なことをエリック・ジルーが語る