ピーター・スピーク・マリン
ロンドンの修復工房からスイスへ渡り、ピカデリーケースとファウンデーション・ウォッチの意匠を生んだ英国人時計師
- BORN
- 1968年
- DIED
- 存命
- BRAND
- スピーク・マリン — 2002年創業
- MODELS
- 5 本
概要
ピーター・スピーク・マリン(Peter Speake-Marin)は、1968年にイングランドで生まれた時計師である。ロンドンの古美術商で古典時計の修復を担い、スイスのルノー&パピで複雑機構に携わった。2002年、独立ブランドのスピーク・マリンを興す。トゥールビヨン懐中時計ファウンデーション・ウォッチと、腕時計のピカデリーケースが代表作である。ハリー・ウィンストンやMB&Fの企画にも加わった、2000年代初頭の独立時計師の一人である。2017年に自らのブランドを離れ、教育サイトの運営を経て、2022年にPSオロロジーを設立した。
生涯
01ハックニーからピカデリーへ
ピーター・スピーク・マリン(Peter Speake-Marin)は1968年、イングランドに生まれた。出生時の名はピーター・ネヴィル・スピークで、マリンの名は結婚に際して加えたものである。宝飾の道を考えて技術学校に入り、そこで時計製作に出会ったと本人は語っている。
1980年代半ば、ロンドンのハックニー工科大学で時計製作を学んだ。続いてスイス・ヌーシャテルの時計学校ウォステップ(WOSTEP)で研鑽を積む。帰国後は、オックスフォードとロンドンでアフターサービスの時計師として働いた。
転機となったのは、ピカデリー・アーケードの古美術商ソムロである。工房を持たなかった同店で、彼は修復部門の立ち上げを任された。以後1996年まで、古い懐中時計から20世紀の複雑時計まで、時代も銘柄も異なる品を手がける。本人の回想によれば、修復した時計を自ら撮影し、解説記事を英国の専門誌に寄せてもいた。
02ルノー&パピと独立
1996年、彼はスイスへ渡り、ル・ロックルの複雑ムーブメント工房ルノー&パピに職を得た。在籍は2000年までの4年間である。この時期、将来への備えとして工作機械を買いそろえたと本人は語っている。その機械を使い、余暇に1本の懐中時計を作り始めた。のちにファウンデーション・ウォッチと呼ばれるこの時計が、独立時計師アカデミー(AHCI)への加入につながる。
2000年前後に独立し、2002年に自らの会社を設立した。創業当初は他社向けにミニッツリピーターを製作し、その収入で自身のコレクションを準備したと語っている。最初の3年間は過酷だったとも振り返る。並行して他社の企画にも技術者として加わったが、2008年からは自身のブランドに専念した。
03自らの名を冠したブランドとの別れ
2008年の金融危機ののち、彼は会社の株式を段階的に手放していったとされる。2017年、彼はスピーク・マリンを去る。この時点で同社はフランスのロノブレ家の所有となり、創業者は持ち分を持っていなかったと報じられている。退任は株主との合意によるものだったとされる。
04分解する時計師、ふたたび作る時計師
同じ2017年の9月、時計を分解して撮影し、構造を解説する教育サイト、ザ・ネイキッド・ウォッチメーカーを公開した。職人の仕事を多くの人に見せたいという動機は、ソムロ時代の記事と変わらないと本人は書いている。主要ブランドから独立系の工房まで、およそ5年にわたって分解と撮影を重ねた。
2022年、新しいブランドPSオロロジー(PS Horology)を設立し、2025年1月に最初の作品群を発表した。近年はピーター・スピークの名で活動している。2026年のインタビューでは、19世紀英国の懐中時計に着想した私的な製作計画をロンドンで進めていると語った。
業績・代表作
01ファウンデーション・ウォッチという原型
スピーク・マリンの作風は、最初の1本にほぼ出そろっている。ファウンデーション・ウォッチは、2系統の輪列を備えたトゥールビヨン懐中時計である。自ら買いそろえた機械を使い、手作業で製作された。量産を前提としない、自分のための1本であった。
この時計に、のちの腕時計へ受け継がれる要素が並ぶ。のちにファウンデーション針と呼ばれる針、ひだを刻んだリューズ、手彫りの装飾、そしてトッピングツールの意匠である。トッピングツールは、時計師が歯車の歯形を整えるのに使う道具を指す。彼はその歯車の形をキャリッジに用い、のちには自動巻のローターにも転用した。道具そのものを意匠に変える発想が、彼の署名となった。
02ピカデリーケースと長く使うための設計
2003年末に工房を出た最初の腕時計は、ソムロで過ごした日々にちなみ、ケースをピカデリーと名づけた。ねじ留めのラグと、ひだを刻んだ大ぶりのリューズが特徴である。大きなラグとリューズは、アフターサービス時代に摩耗や故障の箇所を見てきた経験から来ていると、彼は説明している。初期の腕時計は汎用ムーブメントを大幅に改造して搭載した。
彼はピカデリーでの修復時代を、職業人生で最も影響の大きかった時期と語っている。白い焼成エナメル文字盤のレジリエンスも、修復した古い懐中時計が百年を経ても色あせなかった記憶から生まれたという。
03自社機SM2と複雑機構
2009年のバーゼルで、初の自社ムーブメントSM2を発表し、マリン1に搭載した。受けにはめっきを施さない洋白を用い、ファウンデーション・ウォッチの作法に立ち返った。組み立てと調整のしやすさを優先し、時計師のためのムーブメントを目指した設計とされる。
複雑機構では、トゥールビヨンとミニッツリピーターを一つに収めたルネッサンスが要となる。トゥールビヨンは最初の作品に由来し、リピーターはロンドンの修復で学んだ機構だと語っている。2011年のスピリット・パイオニアは、ソムロ時代に修復して愛用した軍用時計に着想したという。
04協働と、物語を持つ時計
独立後の彼は、他社の企画にも深く関わった。ハリー・ウィンストンのエクセンター・トゥールビヨン、MB&Fのホロロジカル・マシン No.1がその例である。メートル・デュ・タンのチャプター・ワンにも参加した。ブランドを離れたのちも、シュワルツ・エティエンヌなどとの協働を続けた。
米Worn & Woundは、彼の時代のスピーク・マリンを、物語を持つ時計を早くから打ち出した存在と評している。本人も、作ったものすべてに存在する理由が必要だったと語る。髑髏の作品は死を想えという警句を、龍の作品は物語を宿すアジア美術への関心を映すという。こうした作品の多くは、キャビネ・デ・ミステールの系譜に収められている。
PSオロロジーのツバも、この姿勢の延長にある。日本刀の鍔に着想したケースは、旧知のデザイナー、ダレン・ジョーンズの発案による。ツバ・ブルーの青は、英国の古いマリンクロノメーターに見られる青焼きのねじと針への目配せである。ツバ・ドンソンでは、かつて何度も描いたベトナムのドンソン銅鼓の文様を描き直した。修復台で学んだ古典の語彙を、現代の構成へ置き換えること。それが彼の仕事を貫いている。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 専門メディア Speake-Marin: creating something people want!
- 02 専門メディア Basel news: new Speake-Marin in-house movement SM2
- 03 専門メディア Speake-Marin Spirit Pioneer - limited to 68 pieces
- 04 専門メディア This week's Collector Series is an Editor's pick: Our very own Frank and his Speake-Marin Piccadilly
- 05 専門メディア Guest Post: Peter Speake-Marin Explains His Reasons For The Naked Watchmaker (A Tale In Time)
- 06 専門メディア PS Horology by Peter Speake Presents Tsuba Blue and Tsuba Dong Son (+ Video)
- 07 専門メディア Breaking News: Peter Speake-Marin Departs Speake-Marin
- 08 専門メディア Speake-Marin watches
- 09 専門メディア Peter Speake-Marin
- 10 専門メディア Swiss watchmaking, English flair
- 11 専門メディア Interview: PS Horology's Peter Speake is Still a Romantic About Watchmaking
- 12 専門メディア Peter Speake is Back with PS Horology and the New Tsuba Blue and Tsuba Dong Son