設計思想
漆黒のブルドッグが生まれるまで
HM10「ブルドッグ」は2020年に発表された、MB&Fの10番目のホロロジカル・マシンである。創業者マキシミリアン・ブッサーが日本を旅する中で着想した犬型の機械で、回転ドームの"眼"、開閉する"顎"、脚のように屈曲するラグを備える。発表時のラインナップは、青い眼を持つグレード5チタン版(100.TL.BL)と、黒い眼を持つ18Kレッドゴールド+チタン版(100.RL.B)の2本立てだった。
100.AL.Bは、その2年後の2022年3月に加わった「ダーク・ブルドッグ」3部作の1本である。マイクロブラスト仕上げのステンレススティールにブラックPVDコーティングを施し、眼の色だけを黒・青・赤に塗り分けた3つのリファレンスが同時に発表された。各色8本、3色合計でも24本という小さなシリーズであり、発表から数日で完売したとブッサーは後に語っている。
なぜセラミックではなく、PVDスティールだったのか
オールブラックの時計を作る手段として、MB&Fはセラミックも検討していた。しかしHM10の複雑な立体ケースをセラミックで成形すると、構造上ケースが大型化してしまう。一方、PVDは傷が付く可能性こそあるものの、母材がスティールであれば再仕上げが利く。チタンよりスティールの方が補修しやすいという判断から、ダーク・ブルドッグはPVDスティールという構成に落ち着いた——ブッサー自身が後年のインタビューでそう説明している。
ベースのHM10がチタンと貴金属という構成だったのに対し、HM10にスティールが採用されたのは本作が初めてである。素材のヒエラルキーをあえて一段下げながら、限定数で希少性を担保するという成立のさせ方も、本作の性格を物語る。
青い眼という血統
3部作の中で100.AL.Bが受け持つのは「青い眼」である。これは初代チタン版100.TL.BLが掲げた配色の継承であり、ブルーのアルミニウムドームを漆黒のボディへ移すことで、初代の面影を残しつつ全く異なる表情を獲得した。兄弟機の100.AL.BL(黒眼)と100.AL.R(赤眼)に対し、本機はHM10の原点の色をダークサイドへ引き込んだ仕様と位置づけられる。
HM10自体、HM3の回転ドーム、LM1のフライング・テンプ、HM4の多関節ラグという、ブランドの語彙を一体に束ねた機械である。その集大成を黒一色に沈めたダーク・ブルドッグは、HM10という章の終盤に位置する。ブッサーは「ブルドッグは灰の中から蘇るかもしれない」と将来の派生を示唆する発言も残しており、系譜が完結したかどうかは明言されていない。
意匠分析
ケースは横45mm、縦54mm、高さ24mmの立体造形で、寸法はベースのHM10と共通する。本機固有の選択は素材と表面処理にある。マイクロブラストで艶を抑えたステンレススティールにブラックPVDを重ね、初代チタン版のグレーの輝きを塗り潰した。マットな黒は造形の陰影を吸い込み、サファイアクリスタルのドームと開口部だけが光を返す。
時刻表示の"眼"は着色アルミニウム製の回転ドームで、本機では左右ともブルー。数字とマーカーにはSuper-LumiNova(蓄光塗料)が施され、黒い顔の中で眼だけが発色する構図を作る。中央のサファイアドーム下には直径14mmのフライング・テンプが浮かび、4本のチラネジを備えた調速機構が毎時18,000振動 (2.5Hz)でゆっくりと脈打つ。
操作系は尾部の2つのリューズに分かれ、首輪のスタッドを思わせるローレットが刻まれる。一方が巻き上げ、他方が時刻合わせ専用である。ケース下面の"顎"は45時間のパワーリザーブと連動して開閉し、開いた口には磨かれた歯列が覗く。針1本で済む表示をあえて可動する顎に置き換えながら、機構自体は消費エネルギーを最小化するよう設計されている。
ラグは4本の"脚"として独立し、関節部で屈曲して手首に沿う。HM4由来のこの構造により、高さ24mmの塊でありながら装着姿勢は安定する。ただし母材がチタンからスティールへ変わったぶん、初代より重量は増し、手首の上の存在感も増幅された。ボディには「Forget the dog, beware of the owner(犬ではなく飼い主に用心せよ)」の刻印が残る。時刻もパワーリザーブも着用者の視点からしか読めない、所有者だけに忠実な設計思想は本機でも貫かれている。防水は50m防水である。
系譜と歴史
HM10「ブルドッグ」は2020年に発表された。当初はグレード5チタン版と18Kレッドゴールド+チタン版の2仕様で、ダーク・ブルドッグはまだ存在しない。2021年11月には、チャリティオークションOnly Watchのためのユニークピース「HM10パンダ」が出品され、ブルドッグに派生が生まれうることを示した。
100.AL.Bが世に出たのは2022年3月である。ブラックPVDスティールの「ダーク・ブルドッグ」として、黒眼の100.AL.BL、赤眼の100.AL.Rと同時に発表された。各色8本限定で、3色合計24本のみ。発表から数日で完売したと、後年のインタビューでブッサーが明かしている。3本は機械と寸法を初代と共有し、変更点は外装の素材と配色に限られた。
限定本数の完売をもって100.AL.Bの生産は完了し、以後、ダーク・ブルドッグの追加生産や再販は行われていない。2023年にはHM11「アーキテクト」が登場し、HM10はホロロジカル・マシンの最新作の座を譲った。初代の2仕様はその後もブランドのコレクションに掲載され続けているが、ダーク・ブルドッグについては、ブッサーが将来の復活を示唆するに留まり、続編の有無は現時点で公表されていない。