コンスタン・ジラール
三本の平行ブリッジでトゥールビヨンの構造を意匠に変えた、ジラール・ペルゴの創業者(1825-1903)
- BORN
- 1825年
- DIED
- 1903年
- BRAND
- ジラール・ペルゴ — 1791年創業
- MODELS
- 5 本
概要
コンスタン・ジラール(Constant Girard、1825-1903)は、ジラール・ペルゴを創業したスイスの時計師である。ラ・ショー=ド=フォンに生まれ、1854年にル・ロックルの時計商の家のマリー・ペルゴと結婚した。1856年、二人の姓を結んだ社名で工房を再出発させている。トゥールビヨンを三本の平行なブリッジで支える構造を考案し、1884年に米国で特許を得た。この構造を金の矢じり形ブリッジで仕上げた懐中時計「ラ・エスメラルダ」は、1889年のパリ万国博覧会で金賞を受けた。機構の配置そのものを意匠として見せる発想を、19世紀の精密時計で示した人物である。
生涯
01時計の町に生まれて
コンスタン・ジラールは1825年、スイス・ヌーシャテル州の山あいの町ラ・ショー=ド=フォンに生まれた。スイス歴史辞典は、その姓をオテナン=ジラール(Othenin-Girard)と記している。
同社の社史によれば、祖父は時計師、父は彫金師であったという。ジラール自身は親方のもとで修業を積み、時計師としての基礎を身につけたと伝わる。
独立の時期については、資料によって記述に幅がある。同社の公式年表は、1847年、22歳で自身の事業を興したとする。一方、スイス歴史辞典は、1852年に兄ヌマと共同で「Girard & Cie」を設立したと記す。この1852年の設立は、専門誌の社史記事でも共通して挙げられる年である。
02ジラール・ペルゴの誕生
1854年、ジラールはマリー・ペルゴ(Marie Perregaux、1831-1912)と結婚した。マリーは、ル・ロックルで時計の商いを営む家に生まれた女性である。
1856年、二人の姓を結んだ「ジラール・ペルゴ」が社名となった。ここからジラール・ペルゴの歴史が始まる。同時代の資料や後年の記述では、ジラール本人もしばしば「コンスタン・ジラール=ペルゴ」の名で呼ばれる。
この結婚は、販路の拡大にもつながった。マリーの兄弟たちが、海外で同社の代理人を務めたからである。アンリ(Henri Perregaux)とジュール(Jules Perregaux)は南北アメリカへ渡り、新しい市場を開いた。
兄弟のフランソワ・ペルゴ(François Perregaux、1834-1877)は、1860年に横浜で商いを始めた。1865年には横浜に自らの商会を設け、1877年に没するまで同社の公式代理人を務めている。同社とスイス時計協会は、彼を日本に拠点を構えた最初のスイス時計商と位置づけている。
03天文台と万国博覧会の時代
工房が評価を固めた舞台は、精度を測る公的な試験と国際博覧会であった。ジラール・ペルゴはヌーシャテル天文台のクロノメーター・コンクールで多くの賞を受け、精密時計の作り手として名を知られていく。
1860年頃から、ジラールはトゥールビヨンの研究に多くの時間を注いだ。その成果は1867年と1889年のパリ万国博覧会に出品され、いずれも受賞している。
経営者としてのジラールは、精密時計の研究と、地域の時計産業の一員としての事業運営を並行して担った。南北アメリカとアジアに血縁の代理人を置く体制は、家族経営の工房が国際市場に向き合うための現実的な選択であった。
04晩年と継承
1903年、ジラールは没した。1852年の会社設立から数えて、半世紀余りを自らの工房とともに過ごしたことになる。経営は、息子のコンスタン・ジラール=ガレ(Constant Girard-Gallet、1856-1945)が引き継いだ。父が築いた精密時計の評価と、海外の販路という二つの資産は、そのまま次の世代へ渡された。
業績・代表作
01トゥールビヨンを見せる構造
トゥールビヨンは、ジラールの発明ではない。この機構は、アブラアン=ルイ・ブレゲが1801年に特許を得たものである。調速機構を回転する籠に収め、姿勢による誤差を平均化する。ジラールが取り組んだのは、その機構をどう配置し、どう見せるかという問題だった。
1867年、ジラールは三本のブリッジを平行に並べたトゥールビヨン懐中時計を、ヌーシャテル天文台とパリ万国博覧会に出品した。同年の万博では、この時計で賞を受けている。
専門誌の解説によれば、上段のブリッジが香箱を、中段が輪列を、下段がトゥールビヨンを受け持つ。動力源から調速機構までが一本の縦軸に沿って並び、部品の配置がそのまま左右対称の図形になる。
当初のブリッジは、装飾を抑えた直線的な棒状であった。公式年表は、その素材を洋銀(ニッケルシルバー)と記す。同社によれば、この時計は天文台の試験で記録的な成績を残し、その記録は17年間破られなかった。
02金の矢じりとラ・エスメラルダ
ジラールはその後も、構造と外観の両面で改良を続けた。ブリッジは金で作られるようになり、両端が矢じり状に尖る輪郭へと変わる。中央部を肉抜きして軽やかに見せ、下の機構をのぞかせる処理も加えられた。
当時のスイスには、この種の意匠を保護する連邦の制度がなかった。そのためジラールは1883年12月に米国へ出願し、1884年3月25日付で意匠特許第14,919号を得た。特許が対象とするのは、三本のブリッジを平行かつ等間隔に並べる意匠である。博物館の解説によれば、香箱にもこの日付の刻印があるという。
1889年、改良の到達点となる懐中時計がパリ万国博覧会に出品され、金賞を受けた。彫金を施したピンクゴールドのケースに、矢じり形の三本の金ブリッジを収めた作である。専門誌は、竪琴を思わせるキャリッジの形もこの時計の特徴に挙げる。脱進機には、デテント脱進機の一種であるピボテッド・デテントが使われたとされる。
この時計は、のちに「ラ・エスメラルダ」と呼ばれるようになる。名はメキシコで代理店が営んだ宝飾店に由来し、その後メキシコ大統領ポルフィリオ・ディアスの所有となったと伝わる。1960年代末にディアスの曾孫から同社が取得したとされ、現在は同社の博物館に収蔵されている。
03精度と構造を一つにする設計
ジラールの作品を貫くのは、精度のための構造を隠さないという姿勢である。1867年の原型は、まず精度を追うクロノメーター・トゥールビヨンとして設計された。ラ・エスメラルダも、博覧会の前にヌーシャテル天文台で試験を受け、成績証明を得たとされる。
ブリッジは本来、地板の上で部品を支える受けにすぎない。ジラールはこの機能部品の配置を整え、形を与えることで、時計の顔にした。機能を損なわずに構造を見せるこの考え方を、同社は現在「見えないものを見えるように」という言葉で表している。
1867年の原型から1889年の完成形までには、22年の歳月がある。同じ設計を繰り返し磨き続けたこの時間のかけ方にも、量より精度を選んだ作り手の姿勢が表れている。
04腕時計をめぐる伝承
ジラールの名は、腕時計の初期史にも登場する。1880年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の発注で、海軍士官向けの腕時計を手がけたとする話である。同社系の資料では、風防を格子で守る仕様で、2,000本が作られたとされる。
ただし、この逸話は息子ジラール=ガレの覚え書きに由来するとの指摘がある。広く流布する写真の個体についても、製造時期を疑う見方がある。本記事では、これを確定した史実としては扱わない。
評価・後世への影響
01継承と統合
没後、ジラール・ペルゴは息子ジラール=ガレのもとで事業を広げた。スイス歴史辞典によれば、同社は1905年に万国博覧会の常任審査員に任じられている。1906年には、1791年にジャン=フランソワ・ボートが興したジュネーブの工房の流れを汲む会社を傘下に収めた。ジラールが築いた工房は、こうしてより古い源流と一つの系譜に結ばれた。
02三本ブリッジの再生
三本ブリッジが再び本格的に取り上げられたのは、1980年代のことである。1981年、同社は歴史的な個体を分解し、部品を一つずつ解析した。翌1982年には、その成果をもとに三本金ブリッジのトゥールビヨンを懐中時計として再製作している。
1991年には部品の小型化が実を結び、三本金ブリッジを備えた腕時計が完成した。以後、この構造は同社の複雑時計の中核に据えられ、ロレアートにも取り込まれていく。2025年には、ロレアートの名を冠した三本金ブリッジのモデルも発表された。
03評価
ジラールの業績は、新しい機構の発明というより、既存の機構に構造の秩序と形を与えた点にある。ブリッジを隠す部品から見せる部品へ変えた発想は、素材や寸法を変えながら、150年以上を経た現行品に受け継がれている。
その影響は、復刻や引用の多さだけでは測れない。同社の複雑時計を語るとき、三本の矢じり形ブリッジは今も出発点として参照される。一人の時計師が定めた構造が、一社の設計言語として生き続けている。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Crafting history
- 02 専門メディア Girard-Perregaux
- 03 専門メディア Girard-Perregaux - First Swiss Watchmaker In Japan
- 04 専門メディア USD14919S - Design for a watch-movement
- 05 専門メディア Watch movement (D336865)
- 06 専門メディア The New Girard-Perregaux Laureato Fifty Tourbillon 39 mm and the Evolution of the Three Bridges
- 07 専門メディア Constant Girard the visionary
- 08 専門メディア Watchmaking exhibition at Boucheron, Paris
- 09 ブログ Girard-Perregaux