物語
01源流——ボートからジラール・ペルゴへ(1791–1856)
ジラール・ペルゴという名が世に出るより以前、ジュネーブの若い時計師がブランドの遠い起点をかたちづくっていた。1772年生まれのジャン=フランソワ・ボートは、19歳の1791年に最初の自署入り時計を発表する。ケース職人、ギヨシェ装飾師、時計師、金細工師として研鑽を積んだ彼は、当時分業が常であった時計づくりの工程を一つの拠点に集約させ、後に「マニュファクチュール」と呼ばれる体制を実地に示した。作家アレクサンドル・デュマも旅行記『スイス紀行』でボートの店を取り上げ、ジュネーブ随一の流行店と評している。
時を同じくして、ヌーシャテル山地ラ・ショー=ド=フォンの時計師コンスタン・ジラールが1852年に自身の工房「Girard & Cie」を設立する。1854年、ル・ロックルの時計商家ペルゴ家のマリーと結婚し、二人の名を結んだ社名「ジラール・ペルゴ」が1856年に正式に登録された。クロノメトリーへの偏執的な関心と、装飾としてのムーブメント設計という二つの主題は、この夫妻の代から既に芽生えていた。
02三本ブリッジの誕生(1867–1906)
コンスタン・ジラールの関心は早くから精度に向けられていた。1867年、彼は三本のブリッジを並列に配した懐中時計用トゥールビヨンを発表し、ヌーシャテル天文台のクロノメトリー競技で表彰を受ける。当初ニッケル合金で造られたブリッジは、後に矢じり型のソリッドゴールドへと姿を変え、コンスタンは1884年、この構造で米国の特許を取得した。
その到達点が1889年のパリ万国博覧会に出品された「ラ・エスメラルダ」である。20リーニュのトゥールビヨンに、ピボット付きデテント脱進機と金製の三本ブリッジを組み込んだ56mmの懐中時計で、機構そのものを文字盤側に露出させる構成は当時例を見ないものだった。本作は金賞を受け、その後の国際出品では「他に比肩する作がない」として競技対象から外されたと伝わる。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、三本ブリッジのトゥールビヨンは20点前後しか製造されておらず、現存品はオークションでもごく稀に姿を見せるのみである。
1880年には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の発注により海軍士官向けの腕時計が約2,000本製造されたとされる。腕時計の最初期の量産例と紹介されることが多いが、原品が現存せず一次資料も限定的なため、近年の研究者の間では経緯の細部について慎重な検証が続いている。1906年、コンスタンの子コンスタン・ジラール=ガレが祖業ボートの遺産を統合し、ジュネーブの源流とラ・ショー=ド=フォンの本拠が一つの企業のもとに収まった。
03グレーフ家の時代と戦中戦後(1928–1960)
1928年、ドイツの時計師オットー・グレーフがマニュファクチュールの株式の過半を取得した。グレーフはすでにMIMO(Manufacture Internationale de Montres Or)を所有しており、両ブランドの並行運営が始まる。1930年には腕時計の販売数が懐中時計を初めて上回り、防水モデル「シーホーク」が欧州と米州で同社の顔となっていく。1956年には初の自動巻きキャリバー21を擁する「ジャイロマティック」を発表し、戦後の機械式時計の主軸を据えた。
04精度の頂点とクォーツへの移行(1965–1980)
1965年、ジラール・ペルゴは毎時36,000振動 (5Hz) の機械式キャリバー「ジャイロマティックHF」を発表する。多くの専門家が「機械式時計に対する最後の実用的改良」と評するこの高振動機構を擁する量産モデルは、1967年にヌーシャテル天文台が発行した腕時計用クロノメーター証明書のおよそ7割を一社で占めたと伝わる。1966年にはヌーシャテル州議会から天文台百周年賞が授与された。
精度競争の頂点に立った同時期に、同社の関心は既に次の段階へと向かっていた。1970年、スイスで初の工業生産型クォーツ腕時計を世に送り、翌1971年には水晶振動子の周波数を32,768Hzに定めたキャリバー「GP350」を完成させる。この周波数値は後にクォーツ時計の世界標準となった。
1975年、「ロレアート」が登場する。八角形のベゼル、トノー型のケース、一体化したブレスレットからなる統合設計は、後年「一体型ブレスレットのスポーツウォッチ」と呼ばれる潮流の先駆けの一つとなった。続く1976年から1978年にかけて、LEDディスプレイを採用した未来主義的な「カスケット」が約8,200本生産されている。クォーツ危機を「拒絶する」のではなく「先導する」立場に身を置いた選択は、戦後の同社を最も特徴づける方針判断であった。
05機械式復権、独立、そして再独立(1988–現在)
1988年、企業家ルイジ・マカルーソがソーウインド・グループを設立し、機械式時計の復権の波の中でジラール・ペルゴを再建していく。1995年には初の機械式ロレアートを発表、1998年には三本ブリッジ・トゥールビヨンを腕時計化した「ロレアート・トゥールビヨン」を世に出した。2008年にはケリング・グループ(当時PPR)が23%を出資、2010年のマカルーソ逝去を経て、2011年にケリングが過半を取得する。
2013年、シリコン製のブレードを用いた定力脱進機「コンスタン・エスケープメントL.M.」がジュネーブ時計グランプリで最高賞「金の針賞」を受賞。本作は、主ゼンマイの解放力の変動が歩度に与える影響という機械式時計の積年の課題に、新たな解を提示した。2018年にパトリック・プルニエがCEOに就任し、2022年にはソーウインド・グループが経営陣によるバイアウトを通じてケリングから独立する。2025年、ロレアート誕生50周年に合わせて新型自動巻きキャリバー「GP4800」と限定モデル「ロレアートFIFTY」が発表され、独立後の新たな技術的方向性を示した。