Girard-Perregauxジラール・ペルゴ
機構を意匠に変えた稀有な系譜——ラ・ショー=ド=フォンに本拠を置くスイス・オートオルロジュリーの源流の一つ
ジラール・ペルゴは、1791年のジュネーブで時計師ジャン=フランソワ・ボートが工房を構えたことに端を発し、1856年にラ・ショー=ド=フォンで現在の社名のもとに統合されたスイスの高級時計マニュファクチュールである。1867年に確立された矢印型「三本ブリッジ」、1965年の高振動キャリバー、1971年の32,768Hzクォーツ、2013年の定力脱進機など、機構の独創と垂直統合された製造体制を二世紀以上にわたり継承してきた。現在はソーウインド・グループの中核として、2022年の経営陣によるバイアウト以降、再び独立資本のもとに運営されている。
設計思想
ジラール・ペルゴの設計思想は、自社が掲げる「見えないものを見えるようにする」という一句に要約できる。ムーブメントを単なる動力装置ではなく、視覚的に成立する構築物として扱う姿勢は、1867年にコンスタン・ジラールが矢印型の三本ブリッジを発表した時点で確立された。ブリッジは機構を背面で支える地板の延長ではなく、文字盤側へと持ち上げられ、それ自体が意匠の主役となる。同様の発想は2020年代のネオ・ブリッジやフリー・ブリッジにも継承されており、150年を超える一貫性として観察できる。
機構面では、20世紀後半のジャイロマティックHF、初期工業用クォーツのGP350、そしてシリコン製ブレードを用いたコンスタン・エスケープメントへと連なる「精度の探求」が軸となる。これらは話題性のためではなく、実用域での歩度安定をいかに確保するかという問いへの回答として開発された。ラ・ショー=ド=フォンの拠点ではケース、ムーブメント、文字盤、ブレスレットまでを自社で内製しており、その垂直統合は今も独立系オートオルロジュリーの基準として参照される。
商業哲学としては、ハイコンプリケーションと現代的な日常使用の両域を等しく重視する。1975年のロレアートに代表される統合ブレスレット型スポーツウォッチを早期に手がけながら、同時期に複雑なトゥールビヨンを継続して生産してきた事実は、両極を矛盾なく抱えるブランドの性格を示す。生産規模を競う方針は採られず、限定モデルや少量生産の編集的なリリースに比重が置かれる。何を捨て、何を残すかという判断は、市場の流行ではなく、二世紀以上続く設計言語との整合性によって決められている。
物語
1. 源流——ボートからジラール・ペルゴへ(1791–1856)
ジラール・ペルゴという名が世に出るより以前、ジュネーブの若い時計師がブランドの遠い起点をかたちづくっていた。1772年生まれのジャン=フランソワ・ボートは、19歳の1791年に最初の自署入り時計を発表する。ケース職人、ギヨシェ装飾師、時計師、金細工師として研鑽を積んだ彼は、当時分業が常であった時計づくりの工程を一つの拠点に集約させ、後に「マニュファクチュール」と呼ばれる体制を実地に示した。顧客には英国王女ヴィクトリア(後の英国女王)や作家アレクサンドル・デュマも名を連ねたと伝わる。
時を同じくして、ヌーシャテル山地ラ・ショー=ド=フォンの時計師コンスタン・ジラールが1852年に自身の工房「Girard & Cie」を設立する。1854年、ル・ロックルの時計商家ペルゴ家のマリーと結婚し、二人の名を結んだ社名「ジラール・ペルゴ」が1856年に正式に登録された。クロノメトリーへの偏執的な関心と、装飾としてのムーブメント設計という二つの主題は、この夫妻の代から既に芽生えていた。
2. 三本ブリッジの誕生(1867–1906)
コンスタン・ジラールの関心は早くから精度に向けられていた。1867年、彼は三本のブリッジを並列に配した懐中時計用トゥールビヨンを発表し、ヌーシャテル天文台のクロノメトリー競技で表彰を受ける。当初ニッケル合金で造られたブリッジは、後に矢じり型のソリッドゴールドへと姿を変え、コンスタンは1884年3月25日付でこの構造を米国特許庁に出願した。
その到達点が1889年のパリ万国博覧会に出品された「ラ・エスメラルダ」である。20リーニュのトゥールビヨンに、ピボット付きデテント脱進機と金製の三本ブリッジを組み込んだ56mmの懐中時計で、機構そのものを文字盤側に露出させる構成は当時例を見ないものだった。本作は金賞を受け、その後の国際出品では「他に比肩する作がない」として競技対象から外されたと伝わる。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、三本ブリッジのトゥールビヨンは20点前後しか製造されておらず、現存品はオークションでもごく稀に姿を見せるのみである。
1880年には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の発注により海軍士官向けの腕時計が約2,000本製造されたとされる。腕時計の最初期の量産例と紹介されることが多いが、原品が現存せず一次資料も限定的なため、近年の研究者の間では経緯の細部について慎重な検証が続いている。1906年、コンスタンの子コンスタン・ジラール=ガレが祖業ボートの遺産を統合し、ジュネーブの源流とラ・ショー=ド=フォンの本拠が一つの企業のもとに収まった。
3. グレーフ家の時代と戦中戦後(1928–1960)
1928年、ドイツの時計師オットー・グレーフがマニュファクチュールの株式の過半を取得した。グレーフはすでにMIMO(Manufacture Internationale de Montres Or)を所有しており、両ブランドの並行運営が始まる。1930年には腕時計の販売数が懐中時計を初めて上回り、防水モデル「シーホーク」が欧州と米州で同社の顔となっていく。1956年には初の自動巻きキャリバー21を擁する「ジャイロマティック」を発表し、戦後の機械式時計の主軸を据えた。
4. 精度の頂点とクォーツへの移行(1965–1980)
1965年、ジラール・ペルゴは毎時36,000振動 (5Hz) の機械式キャリバー「ジャイロマティックHF」を発表する。多くの専門家が「機械式時計に対する最後の実用的改良」と評するこの高振動機構を擁する量産モデルは、1967年にヌーシャテル天文台が発行した腕時計用クロノメーター証明書のおよそ7割を一社で占めたと伝わる。1966年にはヌーシャテル州議会から天文台百周年賞が授与された。
精度競争の頂点に立った同時期に、同社の関心は既に次の段階へと向かっていた。1970年、スイスで初の工業生産型クォーツ腕時計を世に送り、翌1971年には水晶振動子の周波数を32,768Hzに定めたキャリバー「GP350」を完成させる。この周波数値は後にクォーツ時計の世界標準となった。
1975年、「ロレアート」が登場する。八角形のベゼル、トノー型のケース、一体化したブレスレットからなる統合設計は、後年「インテグレーテッド・スポーツウォッチ」と呼ばれる潮流の先駆けの一つとなった。続く1976年から1978年にかけて、LEDディスプレイを採用した未来主義的な「カスケット」が約8,200本生産されている。クォーツ危機を「拒絶する」のではなく「先導する」立場に身を置いた選択は、戦後の同社を最も特徴づける方針判断であった。
5. 機械式復権、独立、そして再独立(1988–現在)
1988年、企業家ルイジ・マカルーソがソーウインド・グループを設立し、機械式時計の復権の波の中でジラール・ペルゴを再建していく。1995年には初の機械式ロレアートを発表、1998年には三本ブリッジ・トゥールビヨンを腕時計化した「ロレアート・トゥールビヨン」を世に出した。2008年にはケリング・グループ(当時PPR)が23%を出資、2010年のマカルーソ逝去を経て、2011年にケリングが過半を取得する。
2013年、シリコン製のブレードを用いた定力脱進機「コンスタン・エスケープメントL.M.」がジュネーブ時計グランプリで最高賞「金の針賞」を受賞。本作は、主ゼンマイの解放力の変動が歩度に与える影響という機械式時計の積年の課題に、新たな解を提示した。2018年にパトリック・プルニエがCEOに就任し、2022年にはソーウインド・グループが経営陣によるバイアウトを通じてケリングから独立する。2025年、ロレアート誕生50周年に合わせて新型自動巻きキャリバー「GP4800」と限定モデル「ロレアートFIFTY」が発表され、独立後の新たな技術的方向性を示した。
歴史
ジラール・ペルゴの源流は、1791年のジュネーブにさかのぼる。19歳の時計師ジャン=フランソワ・ボートが自らの工房を構え、ケース、ギヨシェ、組立、研磨といった当時分業されていた工程を一つの拠点に集約し、「マニュファクチュール」の概念を実地に示したと伝わる。1837年にボートが没した後、事業はジャック・ボートとジャン=サミュエル・ロセルへと引き継がれた。
ブランドの直接の起源は、1852年にラ・ショー=ド=フォンに設立されたコンスタン・ジラールの工房「Girard & Cie」にある。1854年、ジラールはル・ロックル出身の時計商家の娘マリー・ペルゴと結婚し、二人の姓を組み合わせた「ジラール・ペルゴ」の名は1856年に正式な社名として登録された。
1867年、コンスタンは三本のブリッジを並列に配したトゥールビヨンを発表し、ヌーシャテル天文台のクロノメトリーコンクールで初の表彰を受ける。1884年に米国特許庁で構造特許を取得、1889年のパリ万国博覧会では「ラ・エスメラルダ」と呼ばれる懐中時計が金賞を獲得した。1906年にはコンスタンの子コンスタン・ジラール=ガレが旧ボート工房を統合し、ジュネーブとラ・ショー=ド=フォンの遺産が一つの企業のもとに収まる。1928年、ドイツ系時計企業MIMOの所有者オットー・グレーフが資本の過半を取得し、グレーフ家の経営は三代にわたって続いた。
戦後は防水モデル「シーホーク」が国際市場で同社の顔となっていく。1956年に自動巻きキャリバー21を擁する「ジャイロマティック」を発表、1965年には毎時36,000振動 (5Hz) の高振動機構「ジャイロマティックHF」を完成させた。翌1966年、ヌーシャテル州議会はマニュファクチュールに天文台百周年賞を授与している。1970年にはスイス初の工業生産型クォーツ時計を世に送り、翌1971年には現在の世界標準周波数となる32,768Hzのキャリバー「GP350」を発表した。
1988年、企業家ルイジ・マカルーソがソーウインド・グループを設立しブランドを再建。2008年にケリング・グループ(当時PPR)と戦略提携し、2011年に同グループの過半数子会社となる。2013年に定力脱進機「コンスタン・エスケープメントL.M.」を発表し、ジュネーブ時計グランプリ最高賞「金の針賞」を受賞。2022年、ソーウインド・グループは経営陣によるバイアウトを通じて再び独立した運営体制に戻った。
シリーズ概観
現行ラインアップは、ロレアート、ブリッジ、1966、ヴィンテージ1945、キャッツアイの5系統と、過去作を再解釈するレガシー・エディションで構成される。
ロレアートは1975年に登場した統合ブレスレット型スポーツウォッチで、八角形ベゼルと円形ベースをトノー型ケースに重ねる三層の幾何学が特徴である。設計者は長くミラノの建築家アドルフォ・ナタリーニとされてきたが、同社は近年の調査でこれを裏付けのない風説として退け、社内のデザイナーによる設計だとしている。34mmから44mmまで展開され、シンプルな三針からクロノグラフ、トゥールビヨンまでを擁する、今日のジラール・ペルゴの中核ラインといえる。
ブリッジ・コレクションは1867年に確立された矢印型ブリッジの構造を現代に翻案するライン。クラシック・ブリッジ、ネオ・ブリッジ、入門価格帯のフリー・ブリッジに分かれ、いずれもムーブメントの骨格を文字盤側で見せる構成を共有する。最上位には2013年のコンスタン・エスケープメントL.M.と、その進化形である2023年のネオ・コンスタン・エスケープメントが位置する。
1966は1960年代の薄型ドレスウォッチの語彙を継承するライン。三針、永久カレンダー、ムーンフェイズなどクラシカルな複雑機構を取りそろえる。ヴィンテージ1945は同名年に発表されたレクタンギュラーケースを起点とし、アール・デコ的な造形を現代寸法へと展開する。
キャッツアイは2004年に登場した楕円形ケースの女性向けコレクションで、機械式ムーブメントとカーブを描くケース造形の親和性を主題とする。
これらに加え、1976年のLED時計を復刻したカスケット2.0(2022〜2024年)や、ダイバーズの旧作を再構築したディープ・ダイバー・レガシー・エディションなど、アーカイブを参照する限定企画が継続的に発表されている。
代表シリーズ
主要キャリバー
文化との接点
1957年に出版されたイアン・フレミングの長編小説『From Russia, with Love』では、敵対者ドノヴァン・"レッド"・グラントが「鰐革のストラップに重厚な金製のジラール・ペルゴ」を身につける場面が冒頭近くで描かれる。フレミングが具体的な銘柄を実名で書き込んだ事実は、戦後欧州における同社の文化的位置を端的に示している。
2012年には「ル・コルビュジエ・ウォッチ・トリロジー」を発表し、ラ・ショー=ド=フォン出身の建築家へのオマージュとした。本拠地と歴史的人物を結ぶ本企画は、土地に根差した編集姿勢の一例といえる。
2021年からは英国の自動車メーカー、アストンマーティンとの正式パートナーシップを開始した。F1チームのオフィシャル・ウォッチパートナーとして、両社の設計言語を交差させた限定モデルが継続的に発表されている。