ヘルムート・ジン
戦後に飛行の道を絶たれ、航空時計と飾りのない実用時計の会社を築いたドイツの飛行家・時計企業家(1916-2018)
- BORN
- 1916年
- DIED
- 2018年
- BRAND
- ジン — 1961年創業
- MODELS
- 10 本
概要
生涯
01飛行家として
SJXによれば、ジンは1916年、いまはフランス北部にあり当時はドイツ領だったロレーヌのメスで生まれた。パイロットの訓練を受け、第二次世界大戦中はドイツ空軍で飛んだ。ロシアの領域の上空で撃墜され、両手の小指を失っている。その後は終戦まで飛行教官を務めたが、戦後は連合国の当局が課した禁止によって、飛行の仕事を諦めざるをえなかった。
02時計の商売へ
SJXによれば、次にジンが打ち込んだのは自動車のレースで、1953年にはアルジェからケープタウンまでのラリーをフォルクスワーゲンのビートルで制した。しかし生計を立てる必要があり、ドイツに駐留する米国人に鳩時計を売り始めた。ジンは100歳を迎えた2016年に、ドイツの新聞フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングに、職がなく、場所も材料もあまり要らないものを探していたと、時計の商売を選んだ理由を語っている。
ジン・シュペツィアルウーレンの創業の年は資料によって異なる。Monochromeは1961年としており、SJXは中年に差しかかった1956年にフランクフルトで設立したと書いている。
03売却と晩年
SJXによれば、ジンは78歳で会社を元IWCの生産技術者ロタール・シュミットに売却した。1994年のことである。売却後もジンで働き続けることを望んでいたとされるが、シュミットとの対立とその後の訴訟で、それはかなわなかった。2年後、ジンはフランクフルトでユビラーを興し、1995年に取得していたスイスの休眠ブランド、ギナーンとこれを統合した。会社は最終的にギナーンと名を改めた。ジンは2018年2月14日、短い病の後に亡くなった。SJXは享年を102歳と伝えている。
業績・代表作
01計器としての時計
SJXによれば、ジンはホイヤーのクロノグラフとストップウォッチのドイツの輸入元として出発し、やがて職業人のための、手頃で飾りのない計時器を作ることに特化していった。腕時計で知られる一方、会社はドイツ空軍の戦闘機の計器盤の時計も手がけた。1985年には、スペースラボの任務でドイツの宇宙飛行士の手首にジン140クロノグラフが着けられ、宇宙へ渡った。
02直販という方法
SJXは、ジンの直販の方式も新しかったと書いている。一般の人がカタログを見て郵便やファクスで時計を注文でき、それが価格を低く保つ助けになった。
03他社の資産と在庫
ジンの会社は、1979年に経営破綻したブライトリングが売りに出した資産のかなりの部分を取得できるほどの成功を収めた。SJXは、これが、現在のジンが同社のナビタイマーやコスモノートとほとんど同じ時計を作っている理由だと説明している。Monochromeによれば、1979年にブライトリングの一部が清算され、ナビタイマーの権利が最高値の入札者に売られた結果、ジンとオレック&ワイスが意匠と権利を手に入れた。
Monochromeは、1980年代から1990年代初めにかけて、ジンがドイツ連邦軍の在庫から退役した時計を買い取り、整備したうえで、文字盤にSINNの文字を加えて「パイロット用連邦軍クロノグラフ」の名でモデル155 Bwとして販売したと書いている。SJXも、ジンの時代の実績として、ドイツ軍が使ったホイヤーとレオニダスの連邦軍クロノグラフの整備の契約を挙げている。また1992年にフランスの2人のデザイナーがベル&ロスを興した際、時計の製造を任されたのもジンであった。
評価・後世への影響
SJXは、ジンの時計がスイスで作られながら、紛れもなく機能的なドイツの空気をまとっており、それがいまもこのブランドの魅力の核心だと書いている。ジンが去った後も、会社はシュミットのもとで成功を続け、技術をより多く取り入れた製品へ進んだ。
ギナーンでも、ジンは実用的で手頃な、軍用の趣を持つ時計という当初の方針を守り続けた。Monochromeは、ジンを、軍のパイロット出身の創業者が、頑丈なスポーツウォッチ、パイロットウォッチ、計器としての時計を専門とするブランドを築いた例として紹介している。U1、連邦軍クロノグラフ、103 Stといった代表作が、その評判を形づくった。
この人物が関わったモデル
出典
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