ジョルジュ・ファーヴル=ジャコ
1865年、22歳でル・ロックルに工房を開き、時計づくりの工程を一つ屋根の下に集めたゼニスの創業者(1843-1917)
- BORN
- 1843年
- DIED
- 1917年
- BRAND
- ゼニス — 1865年創業
- MODELS
- 8 本
概要
ジョルジュ・ファーヴル=ジャコ(Georges Favre-Jacot、1843-1917)は、ゼニスの創業者である。Swisswatches Magazineによれば、13歳で自らの仕事を始めて時計づくりに打ち込み、20歳で時計職人のルイーズ=フィリピーヌ・ジャコ=デコンブと結婚してファーヴル=ジャコと名乗った。1865年、22歳でル・ロックルに工房を興した。Monochromeは、彼を、時計づくりの主な職種を一つ屋根の下に集めるマニュファクチュールの考え方をいち早く形にした人物の一人と紹介している。のちに彼が送り出したキャリバーの名「ゼニス」が、会社の名となった。
生涯
01若き時計師
Swisswatches Magazineによれば、ファーヴル=ジャコは学校で何年も過ごすより大きな望みを抱き、13歳で自らの仕事を始めて時計づくりに身を捧げた。20歳で時計職人のルイーズ=フィリピーヌ・ジャコ=デコンブと結婚し、以後ジョルジュ・ファーヴル=ジャコとして知られるようになった。
02ル・ロックルの工房
同誌によれば、1865年、22歳のファーヴル=ジャコはル・ロックルに工房を興した。これがのちにゼニスと名を改め、いまに続く。Monochromeも、ゼニスが1865年にル・ロックルでファーヴル=ジャコによって創業されたと書いている。ル・ロックルのビヨード通りのささやかな工房は、やがて大きな工場群へと姿を変えた。
業績・代表作
01一つ屋根の下へ
Swisswatches Magazineによれば、当時の時計づくりは、職人がそれぞれの工程を別々に担う分業の仕組みに頼っていた。22歳のファーヴル=ジャコは、時計を作るすべての職種を一つ屋根の下に集めるという、マニュファクチュールの考え方でこれを変えようとした。単調さを避けるため、従業員にさまざまな仕事を訓練したとも伝えられる。Monochromeは、20世紀の初めまでに18棟の建物で600人を超える職人が働き、年に10万本の時計を作るようになったと書いている。
02ゼニスの名
Monochromeによれば、ファーヴル=ジャコは理想の時計を作ることを目指し、1898年、自信を持って送り出したキャリバーを、天頂を意味するゼニスと名づけた。Swisswatches Magazineによれば、1900年のパリ万国博覧会で、このゼニスのキャリバーがグランプリを受け、1911年に会社全体がゼニスと名を改めた。
03商いの広がり
Monochromeによれば、ファーヴル=ジャコは商才にも長け、1896年に甥のジェームズ・ファーヴルに会社の販路を広げる役目を託した。ジェームズは欧州からアジア、アメリカまでの各大陸を巡った。ファーヴル=ジャコは1888年にフランス語の「Pilote」、1904年に英語の「Pilot」を商標として出願している。
評価・後世への影響
ファーヴル=ジャコが始めた工房は、ゼニスとして現在まで続いている。Monochromeによれば、ゼニスはその後、1969年1月10日に毎時36,000振動の自動巻クロノグラフ、エル・プリメロを発表した。
ゼニスの名は、ファーヴル=ジャコがキャリバーに与えた「天頂」に由来する。時計づくりのすべての工程を一つ屋根の下に集めるという彼の考え方は、現在の同社の、自社で一貫して作る体制の出発点として語られている。
この人物が関わったモデル
出典
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