ジョージ・ダニエルズ
コーアクシャル脱進機を発明し、たった一人で時計のすべてを作り上げた20世紀英国の独立時計師
ジョージ・ダニエルズ(George Daniels、1926-2011)は、20世紀後半の機械式時計を語るうえで欠かせない英国の独立時計師である。1974年に考案し1980年に特許を取得したコーアクシャル脱進機は、トーマス・マッジ(Thomas Mudge)による1754年のレバー脱進機以来、量産化に至った唯一の新型脱進機とされ、1999年にオメガが採用した。生涯に完成させた時計は37本ほどに過ぎないが、そのほぼ全工程を独力で担い、ブレゲ以来の流儀を現代に蘇らせた人物として知られる。
生涯
1. 貧困の中の出会いから従軍まで
ジョージ・ダニエルズ(George Daniels)は1926年8月19日に生まれた。出生地はサンダーランドと伝わるが、ほどなくロンドンへ移り、東部の貧困地域で十一人兄弟の一人として育った。本人が自伝『All in Good Time』で振り返るところによれば、五歳のときに家の床に転がっていた時計をパンナイフでこじ開けたことが、機械式時計との最初の出会いだったという。
1944年、ダニエルズは英国陸軍に入隊する。戦地で仲間の時計の修理を引き受けるうちに、自らの進む道を確信したと語っている。1947年に除隊すると、わずかな除隊金で道具と書籍を買い揃え、ロンドンで時計修理の仕事に就いた。
2. 独学と工房の確立
1949年からノーザンプトン工科専門学校(Northampton Polytechnic)の夜間部に通い、本職の傍ら時計学を学んだ。もっとも、彼自身は学校で学んだのは理論だけだったと述懐している。実技は、骨董市で買い集めた古い時計を分解しては組み直す独学によって身につけられた。
1960年前後にロンドンで自らの工房を構えると、アンティーク時計の修復家として頭角を現す。とりわけアブラアン=ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)の作品への造詣は深く、1974年には研究書『The Art of Breguet』を上梓し、ブレゲ社のロンドン代理店も務めた。同年、自作時計の脱進機として後にコーアクシャル脱進機へと結実する設計の原型を完成させている。
3. マン島時代と発明の結実
1982年、ダニエルズはイングランド本土を離れマン島ラムジーに居を移し、以後の作品はすべてこの島の工房で生まれた。1980年に特許化したコーアクシャル脱進機は、スイス時計業界からは長く黙殺された。風向きが変わったのはスウォッチ・グループのニコラス・ハイエック(Nicolas Hayek)が関心を示してからで、1999年にオメガが量産モデル「デ・ヴィル」(Cal. 2500)として世に送り出した。
1998年からは唯一の弟子とされるロジャー・W・スミス(Roger W. Smith)とともに記念ウォッチ「Millennium」シリーズを制作し、晩年もマン島で作品を残し続けた。2009年には自身の発明35周年を祝う「Co-Axial Anniversary」を、やはりスミスとの共作で35本のみ製作している。
4. 最晩年
2011年10月21日、ダニエルズはマン島の自宅で没した。享年85。CBE、英国時計学会(BHI)フェロー、英国古物協会(FSA)フェロー、独立時計師アカデミー(AHCI)会員などの栄誉を生涯に得た。
業績・代表作
1. コーアクシャル脱進機
ダニエルズの業績の核は、1974年に基本構想を固め1980年に特許化したコーアクシャル脱進機にある。レバー脱進機が抱えていた最大の弱点は、ガンギ車とアンクルの摺動摩擦と、そこに不可避な潤滑油の劣化であった。ダニエルズは同軸に重ねた二枚のガンギ車と三つの石をもつアンクル、テンプ側のローラー石を組み合わせることで、エネルギー伝達を摺動から直押しに置き換え、潤滑油への依存を大幅に減らした。
スイスの主要メーカーへの売り込みは長く実らなかったが、1990年代に入りスウォッチ・グループのニコラス・ハイエックが採用を決断する。1999年、オメガが「デ・ヴィル」シリーズに搭載したCal. 2500によって量産化が実現し、2007年の自社開発Cal. 8500ではコーアクシャル前提の設計思想で再構築された。後年のオメガ機械式モデルの多くがこの脱進機を採用するに至り、トーマス・マッジ(Thomas Mudge)が1754年にレバー脱進機を発明して以来、唯一量産化された新型脱進機との評価が定着している。
2. 自作時計群とSpace Traveller
ダニエルズが生涯に完成させた時計は、試作を含めても37本程度とされる。そのほぼすべての工程を一人でこなし、ケース・ダイヤル・ハンド・歯車・ネジに至るまで自らの手で仕上げた点が、彼の自作時計を独立時計製作の象徴的存在に押し上げている。1819年の文献が一本の時計の製作に必要としていた34の職種のうち、ダニエルズは32の職種を独力で習得したと伝わる。
代表作はアポロ計画に触発された懐中時計「Space Traveller」(1982年)で、平均太陽時と恒星時を別ダイヤルで同時に示し、時の方程式を表示する独自機構を備える。本作はダニエルズが特に偏愛した一本で、1982年に手放した直後に「Space Traveller II」を製作し、自らの手元に残した。ほかに大複雑時計「Grand Complication」(1987年)も知られ、トゥールビヨン・ミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー・ムーンフェイズを一台に収めている。
3. ブレゲの継承と「自作できねば理解したことにならぬ」
ダニエルズの設計言語の根底には、アブラアン=ルイ・ブレゲへの徹底した研究がある。エンジンターン仕上げのダイヤル、控えめな書体の銘、機能を素直に映す指針配置といった意匠は、いずれもブレゲから学び直されたものである。一方で、すべての工程を自らの手で行うという原則は、本人の信条である「自ら作れぬものは、真に理解したとは言えない」という考えに支えられていた。
4. 著作と理論的遺産
ダニエルズは技術者であると同時に著述家でもあった。1965年にセシル・クラットン(Cecil Clutton)との共著として刊行した『Watches』、1974年の『The Art of Breguet』、そして1981年の単著『Watchmaking』は、いずれも英語圏における時計研究の基本文献となった。なかでも『Watchmaking』は一個人による時計製作の全工程を体系化した実技書として、後続の独立時計師たちに教科書として参照され続けている。
評価・後世への影響
没後の評価
ダニエルズの没後、その評価は時計師個人としての枠を超えて高まり続けている。2012年11月にサザビーズが彼の遺品を競売にかけた「The George Daniels Horological Collection」では、134点の出品が総額800万ポンドを超える落札額を記録した。なかでも自作懐中時計「Space Traveller II」は約133万ポンドで落札され、その後2017年のサザビーズの再競売では300万ポンドを超える価格にまで高騰した。さらに2019年には、市場へ三十年ぶりに姿を現した「Space Traveller I」が約361万ポンドで落札され、英国製時計および独立時計師の作品としての世界記録を更新している。
教育遺産と直系の継承
落札益の大部分は、本人の遺志により設立された「ジョージ・ダニエルズ教育信託(George Daniels Educational Trust)」に充てられた。時計学・工学・医学などの高等教育を志す学生への奨学事業を担う基金として、現在もマン島と英国本土で運営されている。
直系の継承者は、唯一の弟子と公言されたロジャー・W・スミスである。スミスはマン島の工房を引き継ぎ、ダニエルズ式コーアクシャル機構を発展させた英国製ムーブメントを年間およそ十本のペースで送り出しており、彼自身の独立時計師としての評価もダニエルズの理念の正統な延長線上で確立されつつある。