設計思想
1. 自社製ムーブメント時代の出発点
79230N-0009が登場した2016年のバーゼルワールドは、Tudorにとって象徴的な年だった。2012年の現代Black Bay (Ref. 79220R) で復活ののろしを上げた同社は、それまで姉妹ブランドRolexのケース運用や、ETA社の調達ムーブメントに依存してきた。Manufacture Tudorは2015年にNorth Flag用のCal. MT5621で自社製ムーブメント時代に踏み出していたが、ダイバーへの展開は翌2016年に持ち越されていた。
その2016年バーゼルで、Tudorは79220系列をCal. MT5602搭載の79230系列で置き換えると発表する。バーガンディ (79230R)、ブルー (79230B)、ブラック (79230N) の三色構成は前世代から継承された。
2. 79220Nから引き継いだもの、変えたもの
前任の79220N (黒ベゼル版は2013年導入) との視覚的な差は意図的に最小化された。41mmケース、ドーム型サファイア、リューズガードなしの「ビッグクラウン」、スノーフレーク針、マットブラック文字盤、黒アルマイトのアルミニウム製ベゼルインサート — Tudorダイバーの記号はそのまま残された。
変わったのは内側と、表面の細部である。Cal. MT5602はETA 2824より背が高く、ケース厚は約12.7mmから約14.8mm (ドーム型サファイア頂点まで) へと増した。フラットだったケースバックはムーブメント収容のため緩やかなドーム形状となる。文字盤6時側の最終行は、ETA版の「Rotor Self-Winding」表記からCOSC取得を示す「Chronometer Officially Certified」へ書き換えられた。ブレスレットも刷新され、1970年代の鋲付きブレスを参照したリベット意匠が導入される。
3. 黒ベゼル版という選択
三色のうち、ブラックベゼルはBlack Bay系列のなかで最も「サブマリーナ的」な性格を持つ。視覚的なコントラストは最も強く、用途的にも最もオールラウンドな構成である。-0009はそのなかでもスティールブレスレットを選んだ構成番号にあたり、本機を最も「フルパッケージ」のダイバーとして提示する仕様となる。
4. 次世代への橋渡し
79230Nの役目は2023年から段階的に移譲されていく。2023年のWatches and Wonders Genevaでバーガンディ版がCal. MT5602-UによるMETAS Master Chronometer認定の第3世代 (M7941A1A0RU) に置き換えられ、翌2024年には黒ベゼル版もM7941A1A0NUへ移行した。79230Nは、ETA時代と現行Master Chronometer時代をつなぐ約8年間を担ったRefとして位置づけられる。
意匠分析
41mmのステンレスケースは、前任の79220Nから外径こそ据え置かれたが、ケース厚は約14.8mm (ドーム型サファイア頂点まで) と前世代より約2mm増している。原因は搭載するCal. MT5602で、ETA 2824より自動巻機構の背が高いためだ。スラブサイド気味のケース側面と相まって、装着時の存在感は同径の他社製ダイバーより明確に大きい。ラグ間距離50mm、ラグ幅22mmは前任から不変である。
リューズは1958年のサブマリーナRef. 7924で導入された「ビッグクラウン」を参照した大径仕様で、リューズガードを持たない。1936年からダイヤルに登場するTudorのバラが刻まれる。
文字盤はマットブラックの仕上げ。アプライドのインデックスは金色の縁取りに白色夜光を充填するゴールド枠仕様で、針もスノーフレーク針 (1969年のサブマリーナRef. 7016から継承される、菱形に膨らんだ時針の意匠) に揃えて金縁となる。同時期に登場した姉妹色とは文字盤の刷り色のみが異なる。
黒アルマイト処理されたアルミニウム製ベゼルインサートは、セラミックではなく敢えて経年で焼ける素材が選ばれた。視認性のための一方向回転で、60分目盛が刻まれる。
ブレスレットは「リベット風」と呼ばれるスティール仕様だが、実際は1970年代の鋲付きブレスを意匠だけ参照したもので、片側スクリューバー方式によりサイズ調整は容易である。フォールディングクラスプにセーフティを備える。同梱されるTudor Jacquard製ファブリックNATOへの掛け替えも前提とした設計で、ラグの裏側にバネ棒の通し穴が設けられている。
系譜と歴史
79230Nは2016年3月のバーゼルワールドで、バーガンディの79230R、ブルーの79230Bと同時に発表された。前任の79220系列を置き換える第2世代Heritage Black Bayの黒ベゼル仕様として、即時に正規流通へ投入される。-0009は本機のスティールブレスレット構成にあたる構成番号で、同時にレザー版 (-0001 / -0008)、ファブリックNATO版 (-0002 / -0005) が並行展開された。
発表当初の米国定価は3,800ドル前後で、ETA搭載の79220N (3,495ドル) からおよそ305ドル上昇している。価格差は自社製Cal. MT5602への移行コストを反映する。
2018年には39mm版の姉妹モデルBlack Bay Fifty-Eight (Ref. 79030N、Cal. MT5402搭載) が登場し、41mmの79230Nと並存する二極構成が形成された。これにより、79230Nはより本格的なフルサイズ・ダイバーとしての位置づけが明確化される。
2023年4月のWatches and Wonders Genevaで、Tudorは第3世代Black Bayの幕を開ける。Cal. MT5602-UによるMETAS Master Chronometer認定、約13.6mmへ薄型化されたケース、「T-fit」5段階クラスプを備えるバーガンディ版 (Ref. M7941A1A0RU) がまず発表され、79230Rがこれに置き換えられた。翌2024年4月のWatches and Wonders Genevaでは、ブラックベゼル版も第3世代化 (Ref. M7941A1A0NU) され、79230Nの正規流通もこれに歩調を合わせて段階的に終了している。約8年にわたる本機の生産は、ここで一区切りを迎えた。