設計思想
1. ジャンボ復活の文脈
1976年、ジェラルド・ジェンタの筆から生まれた初代ノーチラス3700/1Aは、ステンレススチール製でありながらゴールドモデルに比肩する価格を提示し、業界に衝撃を与えた。だがそのフォーマットは1990年に生産を終え、以後14年にわたり、シンプルな時分秒+日付の「鉄のジャンボ」はパテック・フィリップのカタログから姿を消す。1998年の3710/1A(パワーリザーブ表示付き)、2004年の3711/1G(ホワイトゴールド)、2005年の3712/1A(ムーンフェイズ・パワーリザーブ・スモールセコンド)は、いずれも本流の不在を埋める試行であった。30周年の2006年、ブランドは「鉄のジャンボ」を本来の姿で呼び戻すことを選び、5711/1Aとして発表する。同年に5712、5980、5800を含む新世代ノーチラスが一斉に投入され、本機はその中核に据えられた。
2. 5711/1A-010が引き受けたもの
リファレンス5711/1A-010が指すのは、2009年のバーゼルワールドでパテック・フィリップ・シールが導入された後の個体である。発表当初の5711/1A-001はジュネーブ・シールを冠し、Cal.315 SCを搭載していたが、2008年中頃に振動数4HzのCal.324 S Cへと静かに移行した。翌2009年、ブランドはジュネーブ州の認証から離れ、自社管理下の品質基準を持つに至る。文字盤6時下の刻印が新シールに改められ、品番は-010へと改番された。製造期間の大半をこのRefが占めることになる。2019年春には秒針停止機構を備えるCal.26-330 S Cへの世代交代があり、本機は最後の技術的刷新を受けた。
3. 「ブランドの顔」となる代償
5711/1A-010は、2010年代後半に世界中で需要が過熱した時期の主役であった。待機リストは10年に届くともいわれ、ハイ・コンプリケーションを擁するメゾンが単一の鉄製モデルに依存する状況は、ブランド側にとって望ましいものではなかった。社長ティエリー・スターン氏は2021年1月、スイス紙NZZのインタビューで5711/1Aの製造終了方針を公にする。同年、オリーブグリーン文字盤の5711/1A-014と170本限定のTiffanyブルー文字盤5711/1A-018で幕引きの線を引き、翌2022年、ホワイトゴールドの5811/1G-001へバトンが渡された。本Refは、現代ノーチラスの典型像を作り上げた一本としてその役目を終えている。
意匠分析
ケースは40mm(10時から4時方向の計測)、ラグ間で約43mm、厚さ8.3mmと、現代の腕時計としては明確に薄い。初代3700/1Aの一体型モノブロック構造から、本Refは三部構成へと改められ、サファイアクリスタル製の透けたバックを介してムーブメントを観察できる。ベゼルは丸みを帯びた八角形——「舷窓」をかたどった初代の意匠を踏襲しつつ、両脇の「耳」(ヒンジ)はベゼルの曲線に沿ってわずかに湾曲している。直線的だった初代のラインを微調整し、より抑揚のある装着感に仕上げた。仕上げはサテンとポリッシュの面取りを切り分け、ベゼル天面はサテン、ベベル面はミラー仕上げという立体構成を採る。
文字盤は青から黒へ抜けるグラデーション・ブルーで、サンバースト仕上げに水平方向のエンボス加工が重ねられている。光が当たる角度で表情を変え、写真上では現物の色味を捉えきれない領域がある。アプライド・インデックスはホワイトゴールド製でルミノヴァ夜光を充填、棒針も同様の処理で視認性を保つ。3時位置の日付窓はフレームを持たず、文字盤面と段差なくはめ込まれている。ブレスレットは中央リンクが平らに整えられ、初代3700/1Aの丸みを帯びたリンクから線が変わった。
ムーブメントは生涯で三世代を経る。発表当初のCal.315 SCに代わり2008年からCal.324 S C、2019年からは秒針停止機能を備える最終形のCal.26-330 S Cが搭載された。いずれも自動巻きで、21Kゴールド製のセンターローター、シリンバー素材のスピロマックス・ヒゲゼンマイ、4腕のジャイロマックス・テンプを採用する。28,800振動毎時(4Hz)、約35〜45時間のパワーリザーブ。日差-3/+2秒という独自基準パテック・フィリップ・シールの精度を満たす。
系譜と歴史
2006年4月、バーゼルワールドでノーチラス誕生30周年を記念する4本の新作の中核として5711/1Aが発表された。当初のリファレンスは5711/1A-001で、振動数3Hz・パワーリザーブ約48時間のCal.315 SCを搭載し、文字盤6時下にはジュネーブ・シールが刻まれていた。2008年中頃、ムーブメントはCal.324 S C(4Hz、約45時間)へと公式アナウンスなく切り替わる。2009年のバーゼルワールドでパテック・フィリップ独自の品質基準「パテック・フィリップ・シール」が導入されると、本機の文字盤刻印が新シールへ改められ、品番は5711/1A-010へと変更された。2019年春、Cal.324 S Cからハッキング機能(秒針停止)を備えるCal.26-330 S Cへの世代交代が静かに行われ、本Refは最後の技術的刷新を受ける。2021年1月、社長ティエリー・スターン氏がスイス紙NZZのインタビューで5711/1A製造終了の方針を公表した。同年4月にはオリーブグリーン文字盤の派生5711/1A-014が、同年12月にはTiffany & Co.との170年来のパートナーシップを記念したティファニーブルー文字盤5711/1A-018(170本限定)が発表され、5711/1Aシリーズの幕引きを飾った。本機ブルー文字盤の5711/1A-010は2022年カタログから消え、後継5811/1G-001(ホワイトゴールド、41mm)へとバトンを渡している。